エピローグ
「ねえ、私のジーパンは?」
私は大声で叫ぶ。お気に入りのジーパンが見つからない。クローゼットにもないし、イスの上にもかかっていない。
「私のジーパン」
もう一度言うと、アパートの狭いキッチンの奥から、低い声がした。
「洗濯してるよ」
「えー!ジーパン洗っちゃダメだよお」
「使ったら洗わないと」
「ジーパンってのはそんなに洗っちゃダメなの」
キッチンから、黒い短髪が顔を出す。私は寝癖のついた髪の毛をとかしながら言う。
「履き古した感じがいいんだから」
鏡ごしに、セピア色の瞳が私の黒い瞳を見つめた。私は、自分の瞳と、セピア色の瞳の色をじっと見比べた。
カオスと私は、小さな安アパートに住み着いた。もう半年ほどになる。私は近くの修理工場で雇ってもらい、カオスはアパートの狭い部屋で、専業主婦をやっている。他人からすれば、まるで恋人同士のようにも見えた。リアルなカオスの顔を見て、私たちを本物の恋人同士だと考える人も少なくない。しかし、私は本当にカオスを愛していたし、カオスも私を好きでいてくれた。それでも、やはり私たちは人間とロボットだ。だから、その壁だけは越えられなかった。それでもかまわないと思った。
私はもう一人じゃないし、カオスはもうコンバットではない。その事実だけで十分だった。
カオスがキッチンの奥でジュージューと何かを焼きだした。私はようやく乾いたジーパンに足を通す。ぐっと背伸びをし、中古屋で見つけたおんぼろのラジオから流れる音を聞いていると、カオスがテーブルの上に皿を載せた。
「練習したんだよ。リンが出かけてる間に」
「すごーい!カオスのホットケーキ、初めて食べるわ」
私の声に反応して、カオスは嬉しそうに子供のような笑顔を浮かべた。この笑顔は、あのときとまったく変わっていない。それを見るたび、私は心が安らぐ気がした。
「初めてじゃないよ」
カオスはフライパンを洗いながら言う。私はその言葉を、水と食器の音とで聞き逃していた。またカオスは言った。
「前にも食べたことあるじゃない」
私はようやく彼の言葉に気付いた。『前にも』…?顔を上げると、カオスが生クリームの入ったチューブを手にしてテーブルの前にいる。
「リンは生クリームがいいんだよね」
そう言って、私のホットケーキの上に、たっぷりの生クリームをのせてくれた。ちょうど、私がずっと前にやったように――。
じっと生クリームたっぷりの皿を眺めていると、カオスが心配そうに言った。
「多すぎた?」
「ううん。そんなことない」
カオスの瞳を見つめると、一瞬、その色はオリーブグリーンのように見えた。しかし、一度瞬きをしてまた見ると、やはりセピア色だった。
「しばらく会えないけど、きっとまた元に戻る。俺は、リンの心の中にちゃんといる」
カオスが小さくつぶやいた。今度は聞き逃さなかった。カオスの瞳は、確かにセピア色をしている。私は目をこすった。あの夢の中で聞いた言葉と同じだった。当の本人は、何事もなかったかのように、また専業主婦を始めている。今の言葉は、誰が発したのだろう。それに、私は、セピアの瞳のカオスに、ホットケーキの話を一度もしたことがない。もちろん、生クリームのことなんか――。
カシーン…カシーン…
どこか遠くで、鉄の触れ合う音がする。生まれたときからその音を聞き続けている気がする。人間の街は、今日も色で溢れている。今頃、セピアの街はどうなっているのだろう。
「私、あなたが大好きよ」
カオスの背中に言うと、彼はこちらを振り向いて、前と同じ、屈託のない笑顔を浮かべた。
今日は快晴。ベランダからのぞく紺青の空に、手が届きそうな気がした。
SFというか、未来のお話に挑戦するのは初めてでした。未来の風景描写って全然わからなくて、ただただ書きたいものを書きなぐった…そんな作品になってしまいました。
ロボットと少女の恋愛の形を前から書きたいと思っていたのですが、そのためには私の頭の中の知識とか資料とかが不足していたみたいです。
ところどころおかしい部分もあったと思いますが、本当に、最後まで読んでくださって。ありがとうございました。