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ようやく元通り

「ケーキとか、頼んでいいよ」

 驚くほどくだけた態度に、だんだん、緊張の糸がほぐれてくる。声だけ聞いていると、中性的。男にしては高いが、女にしては、低い。涼介は急激に、熱が冷めて行くのを感じていた。

「甘いもの、好きじゃないから」

「へえ。好きそうに見えるのに」

 草食系らしくないな、と呟く。

「草食系じゃないし」

 さすがにムカッときた涼介は、そう言い返した。確かに柔らかい顔立ちなのは認めるが、性格や嗜好まで見た目で判断されたくない。すると奥村は悪びれるふうもなく、

「最近、多いんだよ。ピアノを習いたがる男の子が」

 悪いことじゃないけど、男子はもっと外で遊んだほうがいいのにね、と同意を求めてくる。自分もピアノを弾くくせに、と思いながら、それほど飲みたくもない珈琲を注文した。

「あの、一つ確認してもいいですか」

 席に着くなり、涼介は口を開いた。

「女の人じゃ、ないですよね」

 すると、奥村は珈琲を吹き出しそうになる。何とかそれを飲み込んで、

「なるほどね。そっちはそっちで、下心があったってわけか。残念でした」

 可愛い顔で憎たらしい言い方をして、また珈琲を飲む。カップを持つ指が綺麗で、本当に女性のようだ。そんなことを思っていた涼介は慌てて、

「ち、ちがうよ。ピアノを教えて欲しいって思っただけだよ。あんまり、上手だから」

 動揺のあまり、敬語を忘れてしまった。

「君、もしかして隣の予備校生?」

 涼介は憮然と頷いた。毎日、どんな綺麗な人が弾いているのかと思いを巡らせていた自分が、バカみたいだ。綺麗な人、には違いないが。あまりにガッカリしたせいか、やけに珈琲が苦く感じる。しかし、子供扱いされたくなくて、砂糖もミルクも足さなかった。

「せっかく、綺麗なお姉さんに会えると思って来たのに」

 もうどうでも良くなった涼介は、相手の言いたい放題な調子に合わせてそう言ったあと、一度、橋の上ですれ違ったことを話した。どう見ても、女性だった。

「髪が長くて、香水の匂いがしたら、女だって決めつけるの? 単純だね」

 その言いように、また、腹が立ってくる。言い返す言葉が見つからずに黙っていると、

「ま、下心はお互い様だし。仲良くやろうよ」

 そう言って涼介の肩を、ポン、と叩く。フワリ、と良い香りがした。



『綺麗なお姉さん、紹介しようか? まあ、彼女の場合はピアノじゃなくて、フルートだけど。どうせ楽器なんて何でもいいんでしょ?』

 思い出すだけで、腹が立つ。意地になった涼介は、ピアノが弾けるようになりたいから先生を探してたんだ、と嘘をつき通した。信じてくれたかどうかは疑問だが、そのあと奥村は、涼介がどの程度の初心者かを簡単な楽譜を見せて確かめ、教材は用意しておくから、体だけ来てくれればいいよ、と部屋の番号を教えて帰って行った。その後ろ姿は、やっぱりどう見ても女性そのもの。身長は高いが、線が細いのだ。ウエストがくびれたデザインのスーツに、紛らわしい音のするショートブーツを履いていて、バッグも女性もの。騙そうとしているとしか思えなかったが、よく考えれば、騙して本人に何の特もない。涼介は、ただただ自分の不運を呪いながら冷めた苦い珈琲を飲み干し、彼の姿が見えなくなってから、店を出た。

「それは災難だったな」

 なんとか夕飯の時間に寮に帰った涼介は、ことの成り行きを敦司たちに話していた。もうすっかり食欲も戻って、今までの分を取り返すかのように、おかわりをする。憤った涼介の話を聞いていた秀子が、涼ちゃんはちょっと抜けてるところが可愛いのよね、と笑った。

「ホントにレッスンを受けるのか」

「そうだよ。来週から、さっそく始めることにした」

 下心だけだったとは思われたくなくて、やめるとは言えなかったのだ。正直なところ、彼のつてで綺麗なお姉さんと知り合えるかもしれない、と新たな下心が芽生えてもいた。

「年上なんて、口うるさいだけだぜ? 真子ちゃんにしとけよ」

 六つ上の姉がいる敦司が平然とそんなことを言う。どうしていきなり真子の名前が出るのか、真剣に悩んでいると、今度は呆れたように、

「もしかして、超鈍感? 真子ちゃんも可哀相に」

 言われて初めて、昨日の差し入れのわけが解った。わざわざコンビニまで歩いて、それほど親しくもない自分のためにヨーグルトを買ってきてくれたわけが。幸い、食堂に彼女の姿はなく、声の大きい敦司を睨むだけに留めたが……。どうやら他の友人たちもとっくに気付いていたようで、ピアノの魔法にかかっている間抜けなヤツだと笑う。

「うるさいな。おまえらもあの姿を見てみろよ。何処から見たって女なんだよ。俺は、騙されたんだよ」

 二杯も牛丼をおかわりして、ようやく気が済んだ涼介は、そう言い放って部屋に戻った。開けた窓から、今日もピアノが聞こえている。が……。

「キラキラ星?」

 今までの情熱的なイメージからは程遠い、可愛らしい曲名を、思わず声に出してしまった。それでもまだ聴き入ってしまう自分をどうにかしたいと思っていると、突然演奏が止む。そして、メールが届いた。

『そういえば、名前、聞くの忘れた。なんて名前?』

『宮間です』

『宮間、何?』

『涼介』

 必要事項だけの、やりとり。最初にメールが届いた時のドキドキを返せ。そう念じながら、送信ボタンを押した。



 心の底からガッカリした涼介だったが、そのおかげでようやく授業に集中できる。両親の期待がどれほどのものか定かではないが、自分自身、もう少し勉強ができるはずだと信じたい。私立大ならいくらでも合格できそうなところはあったのに、あえて国立大一本に絞っていた。

 朝の八時半から、夕方五時半まで。これでもかというほど勉強させられる。しかし、辛いとかイヤだとか文句を言う者はいなくて、ここには目的を持った人間ばかりが集まっているのだと解る。涼介自身も、まだそれほど苦痛を感じてはいなかった。

 親元から離れて、という状況も良いのかも知れない。実際、大学は実家から通えない範囲を選ぶつもりだったし、一人暮らし、という響きにも憧れがあった。今は浪人生という肩身の狭い立場でありながら、それに近い自由を既に得ている。

 ただ一つ残念なのは、父親が心配していた「都会の誘惑」というものに、まだ出会っていないということ。休日に友人たちと出掛けてみても、それほど強く涼介を誘惑するものは見当たらなかった。

「ねえ、今度の土曜日、昼からバーベキューしようと思うんだけど、予定、どう?」

 夕飯を終えて敦司たちと喋っているところへ、真子たちがやってきた。先日の一件から、どうも意識してしまって、目を合わせられない。

「いいねぇ。でもさ、それ、日曜にならないかな。ちょっと土曜は都合が悪くて」

 チラッと涼介を横目で見ながら、敦司がそんなことを言う。

「それが、今度の日曜の講習会に出る子が多くて。土曜なら誰もいなかったから」

 敦司は涼介の予定のことを言っているのだ。意地で始めることになった、ピアノのレッスン。

「俺だったらいいよ。もし用事が早く終わったら行くようにするし」

 あえて用事、と言っておいた。むやみに自分の情報を広げることもない。

「じゃあ、場所聞いといて、タクシーで来いよ。な? 涼介」

 有無を言わせず、といった口調で敦司が言う。涼介は仕方なく頷いた。


「何意識してんだよ?」

 部屋に戻るなり、敦司がからかう。

「おまえのせいだろ? 変なこと言うから、」

「変なこと、じゃなくて、事実を言ったんだよ。そうやって意識してるうちに、好きになるってパターンだな」

 王道だけど、と面白そうに笑う。

「恋愛くらい、自由にさせてくれよ」

 呟きながら、ふと時計に目をやる。今さら気付いたが、もう癖になってしまっているのだ。涼介は大きく溜め息をつきながら、軽く頭を振った。

「そういえば、例の賭け、一応俺の勝ちだろ? ビール寄越せよ」

 思い出して、涼介は冷蔵庫に手を伸ばした。すると敦司が素早くそれを遮る。

「ダメだよ。男だったんだから」

「でも、同一人物だろ?」

「じゃあ、一本返してやるよ」

 敦司はそう言って二本取り出し、一本を涼介に差し出した。さっそく開けて、二人して飲む。いつものピアノが流れてきたことに気付いて、顔を見合わせた。タイトルは解らないが、相変わらず、情熱的な演奏だ。

「マジで彼女、作んないの? 真子ちゃん、オススメなのに」

 敦司がそう言うなら、多分間違いないのだろう。しかし、涼介は首を横に振った。

「自然にそうなりたいんだよ。くっつけられるとか、そういうのは絶対イヤだ」

 涼介なりに、恋愛観というものがある。いつも側にいて、空気のようになくてはならない存在。お互いにそれを意識したとき、恋愛が始まるのだ。勢いで付き合って、良かったことなど一度もない。

「なんか、結婚相手みたいじゃん、それ。……憧れるけど」

 敦司の彼女は、高校の後輩らしい。部活が同じだったと聞いた。付き合って二年目に入るが、遠距離になってしまって寂しくないのだろうか。敦司はあまり、自分のことを多くは語らない。

「まぁ、何がきっかけでどうなるか解らないから恋愛は面白いんだけどね」

 相変わらず、十八の受験生が口にする言葉とは思えなくて、涼介は感心して部屋に戻った。


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