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初めての外泊

 夜も更け、レジャーシートの上で転がって眠り出す連中が出てきた。先に帰る女性陣とリコの家族を乗せた車が出て行くと、ようやく静かになった浜辺で、ホッと息を吐く。思いがけなく連れ出されてこんなところに来たが、寮に一人でいるよりずっと良かったと、心底思っていた。とっくに門限の時刻も過ぎている。

「今日は来てくれてありがと」

 いつの間にか側にいた奥村が、そんなことを言った。

「……あいつがワガママ言ったからだろ? 別にいいよ」

「何のこと?」

 とぼけているのか、首を傾げる。

「リコだよ。同級生がいなきゃ行かないって言ったんだろ? だから俺を呼んだって。自分でそう言ってた」

 すると、奥村は驚いたような顔をしたが、やがて可笑しそうに吹き出す。

「違うよ、僕が誘いたかったから、誘ったんだよ。確かに、知り合いがいないから行きたくないって言ってるとは聞いたけど」

「……そうなの?」

「そうだよ。涼介と、早く打ち解けたくて」

 意外なことを言って、涼介を座らせ、自分も隣に座る。知り合って三ヶ月にしては、打ち解けていると思っていたが、彼はそう感じていなかったようだ。

「だって、まだ僕のこと、まともに呼んでくれないし」

 さっきは会ったばかりのリコちゃんを、リコって呼んだくせに。言われて、思い当たった。先生、と呼べば良いのか、奥村さん、と呼べば良いのか解らず、声をかける時にいつも困る。まるで倦怠期の夫婦のように、ねえ、とか、ちょっと、と呼んでいた。

「葉月って呼んでよ」

「え、呼び捨て?」

「うん。皆そう呼ぶし。そのほうが、やりやすい」

 それほど酔っているようには見えないから、多分本気なのだろう。涼介は戸惑いながらも頷いた。年齢を聞いたことはなかったが、こんなに歳の離れた知り合いは当然いなくて、呼び捨てにするのは何だか気がひける。

「あのさ、それと気になったんだけど」

 さっきの月子の言葉を思い出した。

「俺のこと、過大評価して言うの、やめてくれない? 絶対才能なんてないんだから」

 それに初対面のリコまで自分をライバル視しているようだったし。奥村は再び驚いたような表情になった。アルコールのせいでピンクに染まった頬が、ますます彼を女性的に見せている。もういい加減に慣れたいのに、心臓がドキンと鳴った。

「そうかな、僕はあると思うけど」

 その真剣な表情に、奥村の自分への評価が本当に高いのだということを知る。涼介はそれが何だか怖くて、それ以上は何も言えなかった。


 目が覚めたとき、涼介はそこが何処だか解らずに戸惑った。一面の、薄紫色の空。心地良いそよ風。すぐ側に、驚くほど綺麗な寝顔があって、息が止まりそうになる。繰り返す柔らかな波音が、少しずつ、夕べの記憶を運んできた。自分がどれだけ飲んだのか思い出せないが、何やら奥村と喧嘩をしたような記憶だけが残っている。しかし、その原因も内容も、全く思い出せなかった。ただの夢だったのかも知れない。

『マジで外泊しちゃったよ』

 少しの罪悪感は、大きな心地良さでもあった。自分を放って海外へ出掛けた家族に、今は感謝したい気分で起き上がる。同じシートの上に、数人の大人がまだ寝息を立てていた。彼らには罪悪感など微塵もないのだろう。この自由さと開放感が、羨ましい。夜、家にも帰らず外で寝るなんて、到底許されないことだと思っていたのに。

 こんなに朝早くに目覚めたのは、いつ以来だろう。波打ち際に佇んで、考える。小学校の頃、カブトムシを捕りに森へ出掛けたときも、日の出前だった。どうしてもオスのカブトムシが欲しくて、夢中になっていた頃。結局、クワガタしか捕れなかったな。ガッカリしたけれど、それを飼っているうちに、愛着が沸いてきた。死んでしまった時は、泣いて庭に埋めたことを思い出す。あの時のように、夢中になれるものが、今の自分にあるだろうか。なくしたとき、涙を流すほどの存在が、今の自分にあるだろうか。その答えを探すことが何だか怖くて躊躇っていると、後ろから声がした。

「涼介、おはよう」

 隣に奥村が並ぶ。おはよう、と返事をしながらも、何だかまだ夢の中のようで、ジッとその横顔を見つめた。文句なしに美しくて、まだ女性に見える。それに、いつもより優しい香りがした。知らなかったが、香水というのは時間とともに香りを変えるものが多く、付けた時と数時間後では、全く違う香りがするらしい。普段は薔薇の花のような香りなのに、今はふんわりと包むような、それこそ女性らしい香りだった。

「低血圧のくせに、早起きじゃん」

 戸惑いを隠すために、涼介はそんなことを言った。彼は可笑しそうに笑いながら砂浜に腰を下ろす。涼介もそれにならった。

「昨日はごめんね」

「何が?」

「覚えてないんだったら、いい」

「気になるよ、」

 どうやら喧嘩をしたのは事実のようだが、本当に何も覚えていなかった。実際に謝らなければならないのは、涼介のほうかも知れないのに。もう一度記憶の糸を辿ってみたが、やはり何も見つからなかった。

「夢の世界みたいだね」

 奥村は膝を抱え、明るくなってきた水平線の彼方を見つめて言った。

「朝の海って、好きなんだ。すごく、幻想的で、」

「俺は、朝の海って始めて見た。海のないところで、育ったから」

 だから、海へ行くというのは、涼介にとって特別なことだった。ないものに対する憧れがあった。

「ねえ、葉月って、いくつ?」

 ずっと知りたかったことの一つ。

「昨日、二十五になった」

「え、誕生日だったの?」

 嬉しそうに、頷く。八月生まれだから、葉月。そうか、これは、バースデーパーティだったんだ。そんなことは一言も言わない奥村が、何だか自分と変わらない意地っ張りに見えて、始めて親近感を覚える。

「ケーキ食べなかったじゃん」

「食べたよ。涼介が泣きながら寝ちゃったあと」

「え」

 からかうように笑う。全く記憶になかったが、涼介は恥ずかしくなって、俯いた。

「嘘だよ、泣いてたのは、僕のほう。あんなに泣いたの、久しぶりだった」

 清々しい笑顔を向けられて、勝手に抱えていたわだかまりが解けてゆく。最初からこの人には、裏も表も、なかった。

「なんで泣いてたの」

「それは、内緒」

「何だよ、もう」

 自分との喧嘩が原因だろうか。それだけが気になったが、教えるつもりはないらしい。涼介は自分の記憶力に期待して、いつかそのシーンが姿を現してくれることを願った。


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