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予想外の夏休み

 予備校生にも、お盆休みという制度は存在していた。単に、講師たちの都合に違いないが、唯一帰省が許される四日間だ。と言っても、別に無理に帰省しなくても良くて、親元へ帰りたくない連中はずっと、寮で過ごしている。

「秀子さんも休みだからな。ここにいる意味がないよ」

 全く、同感だ。休みでも門限は変わらないわけで、食事が出ないとなると、何の魅力も感じられない。涼介も早々と支度をし、帰路につく予定だった。ところが。

『お父さんとお母さんと、グアムに行ってきます。お兄ちゃんのおみやげはTシャツでいいよね? また遊びに行ったとき渡すから、楽しみにしててね。真央』

 そんな残酷なメールが、妹から届いた。受験生の息子を一人残して、海外旅行だなんて。酷い、酷すぎる。しかもまた遊びにくるなんて。何もかもが腹立たしくて、涼介は寮のベッドの上でもがいた。日頃から頑張っている自分は、一体誰がねぎらってくれるのだろう。悲しくなってきたとき、再びメールの音。大方、母親からだろう。浮かれたメールを見たくなかったが、仕方なく、携帯を開く。

『今、何してるの? これから海でバーベキューをするんだけど、暇だったら来ない?』

 それも、全く思いがけないメールだった。涼介はすぐに、行く、と短い返事をして、部屋を飛び出した。

「急に誘ってごめんね。予定、あったんじゃない?」

 その言葉に、涼介は大きく首を横に振った。家族に置いてけぼりを食らったことを話すと、奥村は可笑しそうに笑う。

「そっか、じゃあ丁度良かったんだ。門限も気にしなくていいしね?」

「それが、門限だけはあるんだよ。面倒くさい、」

「帰らなきゃいいでしょ? 今日も、明日も、明後日も」

 全く、突拍子もないことを言う。門限というのは、帰る予定の者に課せられた義務であって、帰らないなら適用されないのだと。

「それもそうだね」

 もう、どうでも良くなった涼介は、その大胆な意見に同意した。何より、今から音楽仲間の友人たちも集まってくると言う。綺麗なお姉さんも来るらしく、そっちのほうが一大事だった。

「なんか、いつもと感じが違う」

「海だからね」

 奥村の服装はいつも、部屋着にしてもかなり女性的で、見慣れても戸惑ってしまうようなものが多かったが、今日はノースリーブの重ね着に、ミリタリー調のカーゴパンツ、それにビーチサンダルという軽装だ。スーツだと、胸がなくても膨らんでいるように見えてしまうときがあって、何度も奥村を女性なのではないかと疑ったものだ。しかし今は確実に男性だと認識できて、ホッとしたような、残念なような、複雑な気分だった。

 やがて友人のワンボックスが二台迎えにきて、涼介たちはその片方に乗り込んだ。奥村と同年代の人ばかりかと思いきや、小さな子供連れもいれば、結構な年配の夫婦もいる。一目で綺麗なお姉さんだと解る人物を見つけたはいいが、よく見たいのに自制心が邪魔をしてあらぬ方向に目をやった。何にしても知らない人ばかりで少々緊張していると、

「紹介するよ。この子が、新しいレッスン生の宮間涼介くん。予備校生、でいいんだよね?」

 紹介されるままに、頷いた。他に、同じ職場の講師たちと、声楽家、バイオリン奏者など、音楽にかかわる仕事をしているメンバーとその家族だ。で、あと一人は、連れてこられたらしい、女子高生。一番後ろの席で、窓に凭れて眠っている。ところが、車が走り出すと、

「私が、同い年の子がいないなら行かないって言ったから、あんたが呼ばれたのよ」

 突然、耳元でそんなことを囁いた。どうやら自己紹介を避けるための狸寝入りだったようだ。涼介は自分が誘われた理由に納得しながらも、

「いくつ?」

「十六」

 妹の真央と同い年だった。

「俺、今年で十九なんだけど」

 そこは、ハッキリさせておきたい。それなのに彼女は、

「そんなの見た目に変わんなければ、一緒よ」

 不機嫌に言って、窓の外に目を向けた。……感じ悪い。初めて妹のほうが可愛く思えて、涼介も反対側の窓に目をやった。


 浜辺につくと、もう薄暗くなってきていた。遊び慣れているらしく、バーベキューの準備も手際が良い。涼介は、ただ感心して、その様子を眺めていた。持ち寄ったバーベキューセットを組み立てて、木炭を並べ、まず新聞紙に火を点ける。それが全体に行き渡ると、赤々と木炭が燃え始める。もう、それを見ているだけでワクワクした。

「涼介、ビール飲める?」

 何処から声がしたのかとキョロキョロしていると、頭の上から缶ビールが差し出された。

「あ、ありがと」

 いつも寮の部屋でコソコソとしか飲めない立場の涼介は、公の場所で飲めることが何だか嬉しい。奥村はレジャーシートを広げて、涼介をそこへ座らせると、自分も隣に腰を下ろした。

「手伝わなくていいの?」

 さっさと缶ビールを開けた奥村に、尋ねた。

「いいの。指を怪我するといけないから、免除されてるんだ」

 そう言われてみると、準備をしているのは、楽器に関係のないメンバーばかり。それでようやく、奥村が真剣に音楽を生業としていることが知れた。今まで、他愛のない話はするものの、仕事の話は、あまり聞いたことがなかった。

「リコちゃんも、おいで。ビールが良かったら、飲んで良いんだよ?」

 リコと呼ばれたのは、さっきの女子高生だ。離れたところで恥ずかしそうに首を横に振りながら、ジュースでいいです、と答える。あまりに態度が違いすぎて、驚いてしまった。

「リコちゃんも、僕のレッスン生だよ。もう三年目くらいかな。可愛いでしょ」

 真剣に答えづらいことを聞いてくる。ハッキリ言って、可愛さの欠片も感じていなかったが、仕方なく、頷いた。

 やがて集団の誰かに呼ばれて奥村が走っていくと、離れたところに一人で立っていたリコが、側にやってきた。今まで奥村が座っていたところに座って、s

「随分可愛がられてるみたいね。葉月先生に」

 好戦的な態度は、変わらない。お気に入りの奥村の前でだけ猫を被っている、たちの悪い女子高生なのだ。

「私、本当のライバルは、月子つきこさんじゃなくて、あんただと思ってるから」

 突然、意味不明なことを言い出して、涼介を睨みつける。何のことだかサッパリ解らなくて、目を逸らした。

「男なんかに、絶対負けないわ」

 そう言い放って、リコはどこかへ行ってしまった。ホッとして残りのビールを飲み干し、何か手伝うつもりで立ち上がる。大人数の騒がしさに引き寄せられるようにして歩いて行くと、

「ホラ、焼けたよ。いっぱい食べて」

 奥村の彼女が、紙の皿に肉や野菜を乗せて、渡してくれた。左利きの人が箸を使うのを見ると、いつも感心する。

「若い子が来るって言うから、お肉を三人前、余分に買ってきたのよ? だから遠慮しないでね」

 年配の婦人が、そう声をかけてきた。一人の女子高生を除けば感じのいい人ばかりで、来て良かったとようやく笑顔になる。自分でも気付いていなかったが、幼い頃の人見知りが、時々顔を出すのだ。

「あ、やっと涼介が笑った」

 奥村がからかうように言う。観察されていたことが恥ずかしくなって彼を睨むと、さっきの年配の女性が、

「知らない人ばかりのところに連れてこられたのに、愛想が良くて、偉いわ」

 それに引き換え、ウチの娘は、と辺りを見渡す。リコはこの女性の娘だったのだ。

「リコちゃん、何処行ったんだろう。僕、探してきます」

 奥村はそう言って、飲みかけの缶ビールを涼介に渡し、走って行ってしまった。

「君が奥村くんの新しい生徒か」

 年配の男性のほうが、声をかけてきた。

「随分筋が良いって聞いたよ」

 信じられない台詞に驚いてしまう。お世辞にしても、奥村が自分のことをそんなふうに言ったなんて。何も言えずにいると、彼は奥村が走っていったほうを目で追いながら、

「あの子は天才肌なのに、驕ったところがなくて、本当に気立てがいい。うちのわがままな娘が心を開いてるのは、奥村くんだけなんだよ」

 聞くと、奥村が子供の頃にピアノを習っていたのが、リコの父親だったらしい。どうしても娘にピアノを弾かせたい両親だったが、反発して触れようともせず、あきらめていたときに、奥村に再会した。

「ピアノを教える仕事をしたいと言うから、娘を任せてみた。そしたら、あれほど嫌がっていたピアノを、弾くようになったんだ」

 嬉しそうにそう語った。何も知らなければ感動的な話なのだろうが、リコの下心を既に見抜いていた涼介は、その浅ましさに辟易した。幾つの時か知らないが、ピアノをダシに使って奥村と親しくなろうとしたことは、確かめるまでもない。


 やがて奥村がリコを連れて戻ってきて、勝手な行動を母親が咎めようとするなり、あからさまに不機嫌な表情でその場を離れて行った。娘の失礼を詫びる母親に、奥村は、

「反抗期なんですよ、きっと。僕もそういう時期、ありましたから。ね、涼介」

 何故か涼介に同意を求めてきて、仕方なく、頷いた。高校に入ったら治まったが、涼介にも反抗期らしきものがあったのは事実だ。食事中も一切家族と口をきかず、携帯の画面ばかり眺めていた。

「ホラ、もっと食べな。ここの皆は飲むばっかりで食べない連中だから」

 大方は、既にレジャーシートの上に移り、思い思いの飲み物を手に談笑を始めている。その中でも、一人離れたところにいるリコに気付き、奥村は皿に食べ物を乗せて運んで行った。

『放っとけばいいのに』

 心の中で思う。しかし、易々と意中の人の気をひく術に感心してもいた。遠隔操作など、男子には持ち得ない能力だからだ。

『いや、持ってるヤツもいるか』

 ピアノの音に引き寄せられたこと。あれも立派な遠隔操作だ。毎晩、誰が弾いているのか知りたくて、たまらなかった。

「涼介くんは、どうしてピアノを始めようと思ったの?」

 突然尋ねられ、我に返る。

「あ、まだ自己紹介してなかったね。私、緑川月子。子供たちにバイオリンを教えてるの」

 この人が月子だったのだ。バイオリン、ということは、さっきのリコの言葉が何を意味するのか、ますます解らない。楽器が違うのに、ライバルになりようがないではないか。

「葉月がね、涼介くんのこと、すごく褒めるのよ。それほど教えなくてもどんどん上手になるって。ご家族に、音楽関係のお仕事をされてる方がみえるの?」

 全く想定外のセリフに、涼介は思わず吹き出した。実家にある楽器と言えば、小学校の時のピアニカと、リコーダーくらいだ。カスタネットとオカリナもあったかも知れない。そう打ち明けると、月子もリコの両親も笑う。

「それだけあれば立派よ。ちゃんと音楽になるもの。私はオカリナの音色も好きだわ」

 オカリナは音の出しかたが難しい、という話になる。リコーダーすら難しかった涼介にはついていけなくて、ポカンとしていると、

「葉月は本当に面倒見がいいし、生徒の区別なんてしない人だけど、涼介くんだけは違う気がするの。だから、気になって」

 特別扱いが、羨ましい。月子は少々、恥ずかしそうに言った。

「月ちゃんと葉月くんは、小さい頃からホントに仲が良いわね」

 二人を子供の頃から知っている、というリコの母親の言葉に、ますます顔が赤くなる。そうか。二人は幼なじみなんだ。年上にもかかわらず、可愛い、と思った。リコなんかより、何倍も可愛い。未だに奥村を独占している様子をチラッと横目で見る。月子のほうはさすがにリコをライバルだとは思っていないようで、気にしている様子もない。所詮、リコが入り込む余地などないのだ。

 涼介は何だか気分が大きくなってきて、二本目のビールも飲み干した。月子は未成年の飲酒を咎めることなく、お酒強いのね、と感心したように言う。

「教えてくれないの? ピアノを始めた理由、」

 そんなに気になるのだろうか。恥ずかしいからはぐらかすつもりだったが、酔いの回ってきた涼介は、つい、本当のことを口にしてしまった。

「毎日、聞こえてきたんだ。すっごく上手なピアノが。今まで聴いたことないくらい、情熱的で、聴いてると、癒される。次は、どんな人が弾いてるんだろうって、気になって。どうしても会ってみたくなったから」

 まるで魔法にかかったようになってしまっていたこと。

「素敵な魔法にかかったのね。……その魔法は、解けることがあるのかしら?」

 その質問の真意も知らず、涼介はこう答えた。

「ううん。多分、解けないんだ。ずっと」

 今も夜になると、彼のピアノに耳を傾けていること。不思議な力で心の中まで入り込み、涼介の心を癒してくれる。その力は、魔法以外の何ものでもないと思った。


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