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言語化の範囲

作者: エンゲブラ
掲載日:2026/10/04

自分の中のイメージを他人に過不足なく伝える。


会話であれば当然のことでも、いざ文章で伝えるとなると、ついつい忘れてしまう部分がある。それは読み手の読解力の「見積もり」である。


会話はセッションなので、意外に簡単。相手の顔色を窺いながら、適宜、情報の過多の調節も可能。「あ、こいつこの話にはあまり興味ないな」とか、「そこまで細かく説明しなくてもベーシックな部分での見解は一致してるな」なども容易に見え、「最適の用量」も測りやすい。


しかし、それが文章でとなると話が変わる。

「想定読者」が、いつも可変的となるからだ。


ひとりで文章を書いていると、だんだんとそれは無意識に「自問」へと変わる。自問であるのだから、情報は読者を置き去りに、どんどんと削られていく。油断をしていると「自分だけが理解できればいい」という日記にも近い形状へと変化していく。


想定読者をイメージする際は、やはり大体の雰囲気で決めるべきではない。特定の世代や層をターゲットとするのなら、その範囲内にいる自分の知人「そのひと」に向けて、文章を書くべきである。筆者はいつもそれを忘れる。だから、いったい誰と会話しているのか分からない文章が出来上がる。


ただ、知人を設定する場合も、近しい人間はあまり設定しない方がいいだろう。近しい人間は、かならず自身との「共通言語」を持っており、それらの部分は常に「簡略化」されてしまうからだ。


内輪ネタは最も楽しいが、内輪ネタが楽しいのは内輪だけでもある。読者を内輪にいれたいのであれば、先に共通言語を読者に仕込んでいく必要があり、そこの手抜きはいっさいしてはいけない。―― しかし、いつもそれを忘れる。だとすれば、最初から「普段会話が通じにくい相手」を想定読者とし……となると、モチベーションも上がらないので難儀である。


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― 新着の感想 ―
共感・同調については概ね同意する一方で、理解と言う意味では会話の方が低かったりもするから何を伝えたいかでも変わるんだよな。小説内でも使い分けがいるかも
できるだけ誰にでも分かるように書くと、平易すぎたり、説明過多になったりすることもありますよね。 なろうでテンプレが流行るのも、その辺のバランスの最適化の結果なのでしょうか。
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