嘆きの峠と最弱の四天王
交易都市『アイゼン』での束の間の休息を終え、僕たちは再び過酷な旅路へと足を踏み出した。
魔王の領地が近づくにつれ、魔物たちの襲撃は日に日に激しさを増していく。
だが、僕たちの連携もまた、戦闘を重ねるごとに確実に研ぎ澄まされていた。
ガランの豪胆で鉄壁の前衛、クロエの精密かつ絶大な後方支援、傷ついた仲間を瞬時に癒やす、聖女リアの治癒魔法。そして、僕の聖剣の力と「直感」
4人は互いの弱点を補い合い、数多の魔物たちを退けながら、順調に魔王の領地へと近づいていた。
そして数日後。
僕たちが現在足を踏み入れているのは、切り立った岩山が連なる険しい道、「嘆きの峠」。
空は常に厚い暗雲に覆われ、太陽の光は届かない。肌を刺すような冷たい風が、岩肌を這うように吹き抜けている。
「足場が悪いな。俺みたいな重装備には堪えるぜ、一歩間違えりゃ谷底だ」
先頭を歩くガランが大盾を構えつつ、周囲を警戒する。
「しかし、こんな道しかなかったのかよ。アイゼンで美味いエールと肉を食ってたのが嘘みたいだぜ」
「文句言わないでよ、ガラン。じゃあ引き返して、アンデッドだらけの『死の樹海』を抜けて魔王城に向かうってわけ?」
クロエが呆れたようにため息をつく。
「うっ……それは勘弁だな。あそこは昼夜問わず、絶えずアンデッドが湧いてきやがる。一睡もできずに戦いっぱなしなんて、いくらタフな俺でも堪えるぜ」
「だったら大人しく足元に気をつけて歩きなさい。アレンも、滑らないようにね」
「あはは、ありがとうクロエ。でもガランの言う通り、確かにこの風と足場はキツいかもね。リアも疲れてない?」
振り返って声をかけると、後方を歩く聖女リアはただ静かに微笑んで、大丈夫だと首を振った。
――ふと、風の音が止んだ。
先程まで肌を刺していた冷たい風の咆哮が嘘のように消え、不自然なほどの静寂が辺りを重く包み込む。
聞こえるのは、僕たちのザクッ、ザクッという乾いた足音と、ガランの鎧が擦れる鈍い金属音だけ。
ガランの足元から崩れ落ちた小石が谷底へ吸い込まれていく音すら、深い霧に飲み込まれて全く聞こえてこない。
まるで、この岩山全体が息を殺して、何かの『登場』を待ち構えているかのような。
見えない巨大な壁に閉じ込められたような、肌が粟立つほどの異様な静けさだった。
「……なんだか静かすぎる。気味がわるいわね」
クロエは立ち止まり、魔導書を開いて索敵の魔法を展開した。
淡い光の波紋が、濃霧の奥へと広がっていく。
「……」
先頭のガランがスッと腰を落とし、大盾の陰で戦鎚の柄が軋むほどきつく握り直した。
「……」
僕も無言で頷き、いつでも聖剣を抜けるよう腰の鞘に手を添え、極限まで神経を澄ませる。
「……」
後方のリアも、祈るように両手で杖を強く握りしめていた。
風の音すら消えた不気味な静寂の中、僕たちの荒い呼吸だけが白く濁って消えていく。
「アレン! ガラン! リア! 」
魔法陣を見つめていたクロエの端正な顔が、一瞬にして青ざめ、驚愕に歪んだ。
「来るわ!」
クロエの警告と同時に、峠の頂上から漆黒の霧が滝のように溢れ出した。
霧は瞬く間に周囲を包み込み、光を奪う。
その暗闇の奥から、重厚な金属音が一つ、また一つと響いてきた。
「ククク……。勇者の紋章を持つ小僧。こんなヒヨッコが、我らが魔王様の脅威になるだと?」
霧の中から姿を現したのは、常人の倍近い巨体を持つ騎士だった。
全身を禍々しい黒金の重装甲で包み、その手には、身の丈を越える巨大な暗黒の大剣が握られている。兜の奥で、血のように赤い二つの眼光が僕たちを射抜いた。
「我が名は魔王軍四天王が一角、……黒騎士ヴォルガ!」
「ヴォルガ! まさか、幻影のゾフィアに続いて、また四天王が直接仕掛けてくるなんて……!」
(四天王……あのゾフィアと同格のバケモノ!)
僕の背筋を、強烈な悪寒が駆け上がった。
あんな巨大な剣、一度でもまともにくらえば即死だ。しかも、この足場の悪い峠。相手の巨体とパワーをいなすスペースすらない。
ヴォルガが巨体に似合わぬ速度で、大きく一歩を踏み込んできた。
漆黒の大剣が、僕の頭上から無慈悲に振り下ろされる――かに見えた。
『ズルッ』
「……?」
兜の奥から、間抜けな声が漏れた(気がした)。
ヴォルガが力強く踏み込んだその先は、ちょうど脆くなっていた斜面の岩肌だった。
彼の常人の倍近い巨体と、分厚い重装甲、そしてバカみたいに巨大な大剣。そのすべての重量が、たった一つの不安定な岩に一点集中した結果。
ガラガラガラッ!!
足元の岩盤が呆気なく崩落し、ヴォルガは完全にバランスを崩した。
重々しい金属音を峠に響き渡らせながら、豪快に落ちていく。
そして、僕たちのはるか下まで猛スピードで転がっていくと、最後は岩壁に激突。
ズゴーーーーンッ!
「…………」
「…………」
僕とガランは、聖剣と大盾を構えたまま、ピタリと硬直していた。
ピクピクと痙攣していた黒騎士は、ゆっくりと首だけをこちらに向けた。
そして、谷底から不気味に木霊する大声が響き渡ってきた。
「見事だ、勇者。だが忘れるな。我は四天王の中でも最弱。魔王様の玉座に辿り着くまでに、貴様らは真の地獄を……」ガクッ。
転落で自滅した黒騎士は、安っぽい『ボスの最期の台詞』を吐き捨てると、漆黒の霧となって霧散し、完全に消滅した。
静寂が戻った峠。
「…………は?」
僕が間抜けな声を漏らした、その時。
「ぶっ……あははははははははははッ!!!」
静寂を破って、ガランが大爆笑しながら岩壁をバンバンと叩き始めた。
「おい見たかアレン! なんだアイツ! 自爆じゃねえか!! 足元も見えねえのかよ!!」
「ちょ、ガラン、笑いすぎよ……ふふっ、でも……」
張り詰めていたクロエも、呆れたように肩から力を抜いて吹き出した。
「あんなに大層な登場をしておいて、勝手に落ちて自滅するなんて……本当に『最弱』だったのね。驚いて損したわ」
「だいたい『四天王の中でも最弱』って、自分で言うことかよ! プライドねえのかアイツ!」
「ふふっ、確かに。それにしても、あんな豪快に落ちるなんて……。アレン、剣を抜く手間すら省けたわね」
「よーし、こんなドジな四天王なら魔王軍も大したことねえな! おいアレン、あいつの落とした大剣、拾いに行くか? 結構高く売れそうだったぞ!」
「いやいや、あんな谷底まで降りたら、今度は僕たちが登ってこれなくなるよ……」
「ちぇっ、もったいねえ。まあいい、アレン、怪我はないか? さっさとこの峠を越えちまおうぜ!」
ガランが豪快に僕の背中をバシバシと叩く。
「あ、うん……怪我はない、けど……」
(魔王軍の指揮はどうなっているんだ?……あんな重装備の剣士を、こんな崩れやすい場所に配置するなんて)
僕は、聖剣を鞘に収めながら、心底ホッと息を吐き出した。
(……もしあのまま戦っていれば、僕が致命傷を負っていたかもしれない。)
この足場の悪さが、今回は奇跡的に僕たちを救ってくれたのだ。
「リアも、無事でよかった」
後方を歩くリアを振り返ると、彼女もまた、谷底を見つめながら静かに安堵の息をついているように見えた。
「さあ、行こう! 魔王の領地はもうすぐだ!」
ガランの明るい声に背中を押され、僕たちは再び険しい峠道へと足を踏み出した。




