夜の帳と聖女の告白
静寂の森を抜け、僕たちは見晴らしの良い平野で初めての野営を迎えていた。
パチパチと爆ぜる焚き火の音が、夜の静寂に心地よく響く。
「それで? アレンのあの『異常な回避』のタネ明かし、そろそろ聞かせてもらえないかしら」
火の向こう側で、魔導書のページをめくっていたセシリアが、ふと顔を上げて僕を見た。
その紫の瞳は、未知の魔法陣を解読するような、鋭い探求心に満ちている。
隣で硬いパンを齧っていたガランも、「そういや、お前のあの身のこなし、どうなってんだ? 後ろに目でもついてるのか?」と興味深そうに身を乗り出した。
僕は膝を抱え、パチパチと燃える炎を見つめながら、少し迷ってから口を開いた。
「後ろの目……うーん、ちょっと違うかな。もっと、こう……嫌な感じなんだ」
「嫌な感じ?」
「うん。敵の攻撃が来る直前、頭の中に『映像』がフラッシュバックするんだ。……僕の、死に様が」
ガランがパンを咀嚼する手を止めた。
セシリアの目が、スッと細められる。
「ただの直感や予測じゃない。首を跳ね飛ばされる時の骨が砕ける音も、腹を貫かれた時の内臓が焼けるような熱さも……全部、リアルに感じるんだ。だから、それが嫌で、反射的に体が動く」
「……興味深いわね」
セシリアが魔導書を閉じ、僕を真っ直ぐに見据えた。
「人間の脳は、経験したことのない痛みをそこまで鮮明に幻視できない。まるで、あなたが『一度それを経験している』みたいじゃない」
「経験、している……」
セシリアのその言葉が、僕の脳裏に雷のように落ちた。
そうだ。どうして僕は、あんなにも生々しい死の感触を知っている?
あんな悍ましい痛みを想像できるのは、おかしい。
もしかして、あれは幻覚なんかじゃない……?
あれは、本当に『あったこと』で。僕は何度も、何度も、あの場所で――
(僕は……死んでる?)
思考の糸が決定的な真実へと繋がりかけた、まさにその時だった。
「――アレン、ガラン様、それにセシリア様」
祈りを捧げる時のような、どこまでも透き通った綺麗な声が、僕の思考を断ち切った。
振り向くと、火の粉の舞う闇を背にして、聖女リアが立っていた。
彼女は両手を胸の前で固く組み、どこか思い詰めたような面持ちで僕たちを見つめている。
「リア? どうしたんだ、急に」
僕が問いかけると、リアは静かに頷き、焚き火の明かりに一歩近づいた。
「申し訳ありません。皆さんの会話を遮るつもりはなかったのですが、どうしても、今夜のうちに3人にお話ししておかなければならないことがあるのです」
「お話ししなければならないこと?」
「はい。王都を出発する前、教会の儀式で判明した、アレンの『お身体』についての重大な事実です。これまで黙っていたことを、どうかお許しください」
リアは痛ましそうに伏し目がちになり、言葉を継ぐ。
「過酷な旅の始まりにこれをお伝えすれば、アレンが死を恐れ、戦いに躊躇してしまうのではないかと……私には、それが恐ろしかったのです。ですが、ガラン様だけでなく、セシリア様という頼もしい仲間が加わってくれた今なら……皆で補い合える今なら、お話しすべきだと判断しました」
リアは一度深呼吸をし、まっすぐに僕を見た。
「実は、アレンには――」
リアがその決定的な言葉を紡ごうと、微かに唇を開いた、次の瞬間。
「――ふふっ、くすくすくす」
突如、心地よく爆ぜていたはずの焚き火の音が、ピタリと止んだ。
燃え盛っていた赤い炎が、一瞬にして毒々しい紫色へと反転する。
「な、なんだ!?」
ガランが弾かれたように立ち上がり、戦鎚を構えた。
セシリアが即座に魔導書を開くが、彼女の顔色が悪く沈む。
「空間の魔力濃度が異常よ。結界が塗り替えられている!?」
「ふふっ、あら?大事な内緒話の途中だったかしら? 邪魔してごめんなさいね」
紫に染まった炎の中から、空間そのものが『ノイズ』のように歪み、ひび割れた。
周囲の平野の景色が剥がれ落ち、代わりに現れたのは、幾何学的な模様が浮かび上がる異様な黒い空間。
そして、その中心に『彼女』は浮遊していた。
妖艶な肢体を紫黒のドレスで包み、ステンドグラスのように極彩色の羽根を背中に生やした女。
その両目には、底知れない狂気と、僕たちをただの「舞台上の駒」として見下すような嘲笑が張り付いている。
「四天王が一角、『幻影の策士』ゾフィア……どうして、魔王軍の幹部がこんなところに!?」
セシリアが震える声でその名を呼んだ。
突如として現れた、魔王軍の最高戦力。
「さあ、勇者一行? 私の幻影の中で、いつまで正気を保てるかしら?」
ゾフィアが不気味な笑みを深めた瞬間、僕の脳裏に、これまでで最大級の『死のフラッシュバック』が嵐のように吹き荒れた。




