銀霧の森と深淵の魔導師
「……おい、アレン。さっきから同じ形の歪な巨木を、三回は通り過ぎてるぞ。完全に迷ってやがる」
ガランが苛立ちを露わにし、巨大なタワーシールドを肩に担ぎ直しながら周囲を睨みつける。
僕たちは、4人目の仲間を求めて、王国の北西に位置する『静寂の森』へと足を踏み入れていた。
一年中、銀色に輝く深い霧が立ち込める魔の森。
方向感覚を狂わせる幻惑の魔法が常時展開されており、腕利きの冒険者でさえ一度迷い込めば二度と帰ってこられないと恐れられている場所だ。
「おかしいな……地図の通りに進んでいるはずなのに。羅針盤もクルクル回って役に立たない」
アレンが困惑しながら羊皮紙を丸めた、その時だった。
濃密な銀の霧の向こうから、空気を凍りつかせるような鋭い殺気を伴って、数本の氷の礫が飛来した。
「危ねぇッ!」
ガランがとっさにアレンの前に飛び出し、盾で氷の礫を弾き落とす。
激しい衝撃音と共に、盾の表面が白く凍りついた。
その後ろで、聖女であるリアは静かに杖を構え、いつでも治癒魔法を放てるよう祈りの姿勢をとる。
「……何者だ。この森は、真理を求めぬ愚者が踏み入る場所ではない」
霧が晴れ、静かに現れたのは、透き通るような銀髪と、氷のように冷徹な紫の瞳を持つ少女だった。
漆黒のローブを身に纏い、右手に握られた重厚な魔導書からは、常人でも目視できるほどの膨大な魔力が青いオーラとなって溢れ出している。
若くして宮廷魔導師の座に就きながら、そのあまりにも危険な探求心から王国を追放された孤高の天才、セシリアだ。
「あなたがセシリアだね! 僕たちは、あなたを迎えに来たんだ。魔王を倒すために、あなたの知恵と魔法を貸してほしい」
アレンが剣の柄から手を放し、敵意がないことを示しながら一歩前に出る。
しかし、セシリアは冷たく鼻で笑い、言い放った。
「勇者? 魔王討伐? ……滑稽ね。運命や希望などという、非論理的で不確定なものに縋る者に、私の魔学を預けるつもりはないわ。……立ち去りなさい。さもなければ、この森の養分にしてあげる」
一触即発の空気。
だが、彼らが対峙したその足元で、突然、世界が震えた。
ドォォォォォンッ!
地面が爆発したように隆起し、巨大な魔獣が姿を現した。
全身が毒々しい紫色の蔦で覆われ、無数の鋭い牙を持つ植物型の魔獣『デス・ヴァイン』。
「チッ、大物が釣れやがった!」
ガランが戦鎚を構えて突進する。
しかし、魔獣の蔦は鞭のようにしなり、大盾ごとガランの巨体を軽々と吹き飛ばした。
「ガラン! ……はあああッ!」
アレンが聖剣を抜いて斬りかかる。
黄金の刃は蔦を切り裂くが、魔獣は切られた端から異常な再生力で新たな触手を生み出していく。
「……愚かね。物理攻撃で奴の再生力に勝てるわけがないわ。『氷壁』! 『烈風刃』!」
セシリアが即座に魔導書を開き、高度な魔法を次々と展開する。
氷の壁が蔦の進行を防ぎ、風の刃が的確に魔獣の急所を抉る。
だが――何百年も森の魔力を吸い上げたデス・ヴァインの異常な再生力と物量が、彼女の魔法を上回った。
分厚い氷の壁が、無数の蔦による打撃でメリメリとひび割れていく。
「……計算外ね。私の魔力出力をもってしても、この物量を相殺しきれない」
結界が砕け散り、致死の猛毒を帯びた蔦の雨がセシリアに降り注ぐ。
幾重にも張った防御術式が紙切れのように破られ、逃げ場を失った彼女が、屈辱に唇を噛み締めた、その瞬間――。
――ドクン。
アレンの視界が、真っ赤に染まった。
(あ……これ、知ってる。僕はこの蔦に、首を、跳ね飛ばされるんだ)
脳裏をよぎる、悍ましい死の光景。
首から噴き出す温かい血の感触。
「――っ、しゃがめッ!!」
アレンは叫ぶと同時に、セシリアの首筋を掴んで地面に押し倒した。
直後、セシリアの頭上があった場所を、巨大な蔦が音速で薙ぎ払う。
アレンはそのまま地面を蹴り、背後から迫る蔦を「見てもいないのに」完璧な位置で斬り伏せた。
「セシリア、詠唱を始めろッ!! 僕らが稼ぐ!」
後方では、リアが吹き飛ばされたガランの元へ駆け寄り、ヒールを放って懸命に治療を行っていた。
重傷のタンクを回復させる聖女。その背中を守るように、アレンは己の直感だけを信じて動き続ける。
「……なぜ? 私はあなたたちを拒絶したのに」
「見捨てるわけないだろ! 君の魔法なら倒せるんだろう!? 僕たちを……僕の『直感』を信じろ!」
アレンの、狂気すら感じるほど澄んだ瞳。
セシリアの心の中で、これまで彼女が信奉してきた「損得と論理」という数式が、音を立てて崩れ去った。
「……40秒。それだけ持ち堪えなさい。灰も残さず消し炭にしてあげる」
セシリアは魔導書を宙に浮かせ、高速で詠唱を開始する。
周囲の空気が急激に熱を帯び、真っ赤な魔方陣が展開されていく。
アレンは、脳裏に明滅する「自分の死に様」を一つずつ潰すように、ダンスを踊るような不自然な動きで蔦を避け続け、セシリアを守り抜いた。
「そこを退きなさいッ! 『紅蓮の裁き』!!」
セシリアの放った火炎魔法が、森を真昼のように照らし出し、魔獣を核ごと完全に焼き尽くした。
静寂が戻った森の中。
黒焦げになった魔獣の残骸を見下ろしながら、セシリアは静かに魔導書を閉じた。
そして、息を切らすアレンと、リアの治癒魔法によって無事に立ち上がったガランを見つめる。
(……全く、非効率で計算のできない連中ね)
セシリアはふっと、初めて年相応の柔らかな微笑みを浮かべた。
「その『非論理的な力』の果てに何があるのか。私のこの目で、検証させてもらうわ」
こうして、知略と圧倒的な火力を誇るセシリアが仲間に加わった。
しかしセシリアは、アレンの背中を見つめながら、独りごとのように呟いた。
「……ねえ、勇者サマ。あなた、さっきの攻撃……どうして『来る前』に分かったの?」
アレンはその問いに答えられなかった。
ただ無意識に、斬り飛ばされる幻覚を見たばかりの自分の首筋へとそっと触れる。
指先に触れたのは、温かい血肉ではなく、冷たく滲んだ汗だけだった。
(……どうして僕は、自分の『死に様』を知っているんだろう)
静まり返った薄暗い森の中で、答えのない疑問だけが虚しく霧に溶けていく。
勇者、聖女、戦士、魔導師。
互いの背中を預け合える、真のパーティーがここに完成したのだった。




