静かな食卓、変わる未来
王都から半日続く街道を、僕は息が切れるのも構わず全力で駆け抜けた。
胃が飛び出そうなくらいの吐き気がする。だが、視界の先に『リナスの村』ののどかな風車が見えた瞬間、その吐き気は安堵の息へと変わった。
「はぁっ、はぁっ……! 間に、合った……!」
黄金色に揺れる豊かな麦畑。黒い煙などどこにも上がっていない。焦げた匂いもしないし、悲鳴も聞こえない。
「おお、これは勇者様ではございませんか! 一体どうなされたのです、そんなに汗だくで急がれて……」
村の入り口で農作業をしていた村長が、目を丸くして駆け寄ってくる。
僕は膝に手をついて荒い息を整えながら、必死に笑って誤魔化した。
「あ、い、いや……ちょっとね。走ってきただけだよ。村に異常はない?」
「異常? ええ、ご覧の通り平和なものですよ。わざわざ辺境の村までパトロールとは、さすがは勇者様ですなぁ」
村長が朗らかに笑った、まさにその時だった。
『カンッ! カンッ! カンッ!』
村の見張り台から、けたたましい半鐘の音が鳴り響いた。
「村長! 森の方から魔物の群れが! ゴブリンです!!」
悲鳴を上げる若者の声。だが、僕の心は驚くほど冷徹に研ぎ澄まされていた。
(来たな……。でも、今回は僕がいる!)
「村長はみんなを避難させて! 僕が行く!」
僕は腰の聖剣を抜き放ち、森の入り口へと疾走した。
現れたのは二十匹ほどのゴブリンの群れだったが、僕の目には彼らの動きがまるでスローモーションのように見えた。
(まずは右!……次は左!……こいつは足元を!)
恐怖はない。幾多の死線を越えてきた僕の身体は、冷静、かつ正確にゴブリンを切り裂いた。
聖剣の黄金の軌跡が宙を舞うたび、ゴブリンたちが容易く沈んでいく。かすり傷一つ負うことなく、僕はたった一人で、群れをあっという間に壊滅させた。
(……よし!)
僕は聖剣をクルリと返し、誇らしげに鞘に収めた。
「すごい……! さすがは勇者様だ!」
「誰も怪我をしていないぞ!」
村人たちの歓声に包まれながら、僕は「誰も死ななかった」ことの達成感に、胸を熱く焦がしていた。
ーその日の夜。
僕とリアは、村長の家で一泊させてもらうことになった。
「勇者様、大したおもてなしもできませんが、どうぞ召し上がってください」
「ありがとう。すごく美味しいよ」
村長の奥さんが作ってくれた、温かい野菜シチューを頬張る。
ふと、僕は前回の町の様子を思い出した。
到着が遅れたせいで半分が焼かれた家々。
亡くなった家族のために涙を流した生き残った村人たち
僕たちをもてなすための村総出での悲痛な宴。
でも、今は違う。
静かで、温かくて、誰も泣いていない。のどかな家族の食卓がここにある。
(……変えられるんだ。僕が未来を知っていれば、みんなを救える)
夕食後。
あてがわれた客室で、僕は窓辺に立つリアに小声で話しかけた。
「ねえ、リア。未来を知っているって、僕たちにとって最大の武器だよ。今日だって、村を無傷で救えた」
「ええ、素晴らしい活躍だったわ、アレン」
「だからさ、ガランやクロエと合流したら、僕が未来を知っていることは伏せたまま、『嫌な予感がする』とか『直感だ』って誤魔化して、危険な道を避けたり、罠を教えたりできると思うんだ。そうすれば――」
「それはダメよ、アレン」
リアの声が、急に冷たくなった。
「なぜ? 事前に危険を教えれば、誰も傷つかずに済むのに!」
「過去に戻って同じ選択をしたとしても、世界が全く同じ出来事を繰り返すとは限らないわ。あなたが不自然に未来を捻じ曲げれば、彼らの運命にどんな歪みが生じるかわからない」
リアはゆっくりと振り返り、その青い瞳で僕を真っ直ぐに射抜いた。
「それに……アレン。あなたは共に旅をする仲間たちの強さを、信じていないの?」
「えっ……」
「ガランとクロエ……あなたが前回の旅で共にした仲間ね。二人とも、歴戦の戦士であり、天才魔導師として王都でも広く名が知られているわ。ちょっとやそっとの困難で死ぬような柔な人たちではない。あなたが先回りしてすべてを排除してしまったら、彼らの誇りはどうなるの? ……それとも、そうでもしないと彼らがすぐに死んでしまうとでも思っているの?」
「ちが、う……っ! 僕は、ただ、みんなを死なせたくないだけで……!」
核心を突かれた僕は、言葉に詰まった。
僕のせいで全滅した、あの日の記憶が胸を締め付ける。
「なら、彼らの力を信じて、普段通りに振る舞いなさい。勇者であるあなたは、ただ堂々と前を向いていればいいのよ」
リアのその正論すぎる言葉に、僕はそれ以上反論できず、ただ俯くことしかできなかった。
「……おやすみなさい、アレン。ゆっくり休んで」
リアはそれだけ言い残し、静かに隣の部屋へと去っていった。
一人残された薄暗い部屋で、僕はベッドに横になりながら、深いため息をついた。
(リアの言う通りかもしれない。ガランもクロエも強い。僕が信じなくてどうするんだ……)
昼間の疲れもあって、だんだん眠たくなってくる。
(大丈夫。村は救ったし、未来は良い方向に変わってる)
右手の勇者の印を見つめながら、目を閉じた。
――その時だった。
ズンッ……!
地響きのような、重い振動が下から伝わってきた。
「……え?」
微睡みは一瞬で吹き飛んだ。
窓ガラスがビリビリと震え、遠くから、聞いたこともないような獣の咆哮が夜の静寂を切り裂いた。
「ひぃぃぃっ! ば、化物だァァァッ!!」
「火だ! 火を消せ! 見つかるぞ!!」
外から聞こえてきたのは、昼間とは比べ物にならないほどの、悲痛な絶望の悲鳴だった。
僕は弾かれたようにベッドから飛び起き、窓の外を見下ろした。
「な、なんだよ……あれ……」
燃え広がる炎に照らされた村の広場。
そこには、昼間に倒したゴブリンの群れが、再び押し寄せていた。
いや、違う。その後ろだ。
群れを率いるように立っていたのは、見上げるほど巨大で、丸太のような太い腕を持つ上位種――『ホブゴブリン』だった。
全身の血の気が引いていくのがわかった。
(嘘だろ……昼間に、全部倒したはずだ……!)
前回は、夜襲なんてなかった。
(……僕が早く着いて、未来を変えたせい……なのか?)
「アレン! 大変よ!」
部屋に飛び込んできたリアの声が、遠く聞こえる。
燃え上がる炎の赤い光が、絶望する僕の顔を照らしていた。




