回帰の目覚め
真っ白な視界の中に、一筋の温かな光が差し込んでいた。
(……あ、れ……?)
どこまでも深く、冷たい闇の底から浮上するように、僕はゆっくりと意識を取り戻していく。
鼻腔をくすぐるのは、古びた羊皮紙と、微かに甘い乳香の香り。
高く聳える大聖堂の丸天井、ステンドグラスから降り注ぐ極彩色の光。
すべてが、あの時と同じだ。
「……う、ん……」
ひび割れた声が喉から漏れる。だが意識が戻った瞬間、凄まじい濁流のような「記憶」が僕の脳内を埋め尽くした。
(僕の首が飛んで、地面に落ちて……。僕は死んだのか……?)
それは断片的な夢ではない。自分がどう殺されて、そして――仲間たちがどう『死』を受け入れてしまったか。そのすべてが、たった今起こった現実として、鮮明な色彩と温度を持って脳内に居座っている。
「はっ……ぁっ、はぁっ……!」
僕はは弾かれたように跳ね起き、両手で自分の首を狂ったようにかき毟った。
繋がっている。血も出ていない。だが、ワイヤーで首を断ち切られた時の、喉奥底の不快感がこびりついて離れない。
そして何より……僕の死を前にして、戦うことも逃げることもせず、抗うことを諦めて武器を投げ捨てた、あの痛ましい光景が、頭の中で何度も何度もリフレインしている。
(僕のせいだ……。僕のせいで……。みんなを全滅させてしまったんだ……)
「あ……。よかった! 目覚めたのね、アレン!」
視界の端から、聞き慣れた鈴を転がすような澄んだ声が降ってきた。
「リ……ア……っ」
思わず、その名前を呼んでいた。彼女が生きて目の前にいるという圧倒的な安堵と、激しい後悔が混ざり合い、僕の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「……あら? どうして、私の名前を?」
リアがわずかに小首をかしげ、不思議そうに目を丸くした。
(……えっ?)
僕の思考が、真っ白にフリーズした。
(どうしてって……あんなに過酷な旅を、ずっと一緒に乗り越えてきたじゃないか。なんで、初めて会ったみたいな反応を……!)
「あ……ごめん、僕は……、あの……」
言葉を濁す僕の右手を、リアがそっと包み込む。その手は温かく、慈愛に満ちている。
その瞬間、僕の手の甲に刻まれた黄金の紋章が、脈打つように淡い光を放ち始めた。
「これは……」
リアは少しだけ目を見張り、祈るように両手を組んで、静かに目を閉じた。
「……神託が、降りたわ」
「え……?」
僕は息を呑んだ。リアはゆっくりと目を開け、慈愛に満ちた微笑みを向ける。
「アレン。あなたの魂は一度、その悲しい結末を迎え……そして、ここに戻ってきたのね」
「僕が……、戻ってきた?」
僕の震える声に、リアは優しく頷いた。
「ええ。神託があなたの魂の軌跡を告げているわ。……あなた、これまでの旅の中で、自分の命が奪われる『死の瞬間』の生々しい光景を、幻覚のように見たことはなかったかしら?」
「っ……!?」
僕は目を見開いた。
驚く僕の様子に、リアはすべてを悟ったように微笑みを深めた。
「やはりそうなのね。それは勇者の魂に宿る『力の欠片』だったの」
リアの手が、僕の頬を優しく撫でる。
「これまでは、死の瞬間という、強烈な苦痛と恐怖『断片的な記憶』しか、過去へと送り届けることができなかった。」
(じゃあ……これまでの旅で見ていたあの不気味な死の幻覚は、予知なんかじゃなかったのか……?)
ゴブリンの棍棒で頭部をトマトのように砕かれた感触。蔦で首を跳ね飛ばされた激痛。
全部、実際に『僕が殺された記憶』だったというのか。あんな地獄を、自分は一体何度繰り返してきたのだろうか。
その途方もない事実に、僕の背筋が凍りつき、底知れない絶望が足元から這い上がってくる。
「……辛かったわね、アレン」
恐怖で震える僕の手を、リアは強く握りしめた。
「でも、今は違う。幾多の過酷な試練と、死の絶望。その想像を絶する経験が、真の技能――『回帰』を覚醒させたのね。死の瞬間だけじゃない。あなたは『すべての記憶と経験』を繋いだまま、運命をやり直すために帰ってきたのよ」
(勇者の力……『回帰』)
僕の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
「僕は……みんなを、救えるの?」
「ええ。あなたには、悲しい結末を変えるチャンスが与えられたのよ。アレン」
誰も死なせずに済む。僕のせいで全滅したあの光景を、なかったことにできる。
自分の不甲斐なさで仲間を死なせてしまったという絶望から逃れるように。僕は、リアが示してくれた「やり直せる」という言葉を、神が与えてくれた奇跡だと信じて必死ですがりついた。
僕は、自分を「勇者」だと肯定してきた右手の勲章を見つめた。
古代の迷宮を思わせる、複雑な幾何学模様。
(……あれ?紋章の形が、変わってる……?)
僕は、その紋章の「ごくわずかな変化」に気がついた。
模様の一部が、ほんの数ミリだけ形を変え、図形のバランスが微かに変わっている。
(そうか……やっぱり! 勇者の力が覚醒したから、紋章が変化したんだ!)
他の誰が見ても、絶対に気づかない程度の変化だ。だが、僕には分かった。
過去の記憶もなく、剣の腕も未熟だった僕にとって、この『勇者の証』だけが唯一の誇りだった。不安に押し潰されそうな夜はいつも、この紋章を擦り切れるほど見つめ、己を鼓舞し続けてきたのだから。
胸の奥で渦巻いていた不安と混乱が、スッと引いていくのを感じた。
リアの言葉と、この紋章の変化が、僕に「やり直せる」という確かな希望を与えてくれたのだ
「泣かないで、アレン。その記憶は、次こそ皆を救うための、あなただけの力なのだから」
リアの優しい言葉に、僕は強く頷いた。
(……そうだ。次は、誰も死なせない。僕がみんなを守ってみせる!)




