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必死で私が訴えたのに、返ってきたのは妙に落ち着き払った言葉だった。
「右かぁ。字が書けないじゃないか」
なにそれ。その言い草。神センは受験のことしか考えていない。
「すっごい痛がってるんです。九条さんにはバイオリンのコンクールがあるんです」
「それは我々の知る範囲じゃない」
マジ、切れた。
「なんでですか、花園君みたいな天才じゃないから、助ける価値がないって言うんですか? 右ですよ。利き手。しばらくは勉強できなくなる。こんな時期なのに。バイオリンの練習もできない。コンクールもあきらめなきゃいけない。
大事な天才、花園君を助けたのに」
理不尽すぎ。
「んー。でもなー」
頭が沸騰してるような状態の私の前には、脱力系で喋る神セン。この温度差。
「九条さんは言ってた。自己ベストを出したいって。こんなに受験勉強が大変で、ほとんどの人が習い事をやめちゃってる。それでもバイオリンの練習を続けてきたんです。私は、花園君の足よりも九条さんの腕を治して欲しいです。
ってか、こっちで治せるんなら治して。
じゃなかったら、もう協力しません。花園君に全部バラす!」
神センを睨んでまくしたてた。神センは困ったように腕を組んだ。
「どうすっかなー。ちょっとプロジェクトチームに相談してくる」
チームでやってんだ。
なんとかしてくれるかも。
「私はどうすれば?」
急に怒りが沈静化した私は聞いた。
「ここで2時間くらい待ってて。焦る必要はない。向こうじゃ1秒も進んでいない」
神センは私に念を押してから部屋を出て行った。
私は白い革製のソファに身を投げ出し、花園君の潰れたスマホを思い出していた。
寝不足でうとうとしていたとき、部屋から出ていった神センが再び現れた。なにやら大きなシルバーのスーツケースが神センの30センチくらい後からゴロゴロとついてくる。
「2人ともこっちの医療で治すことになったよ」
簡単そうに言うなぁ。
「2人をこっちに連れてくるんですか? 九条さんや花園君にバレてもいいんですか?」
ちょっと前に「花園君にバラす」なんて神センを脅した自分の言葉とは思えないじゃん。
「そこなんだよ。こっちのことは知られたくないから2人に麻酔をする必要がある。が、人前で麻酔はできない。こっちへ移るタイミングで麻酔をする。僕が花園に麻酔を打つから、仁科は九条さんに麻酔して」
「は? そんなん、どうやって。医療行為なんて」
私、医師免許なんて持ってないよ。その前に小学生なんだってば。
「そんなに深く考えなくても。吹矢だと思えば」
吹矢って、動物を眠らせる? そんな。
神センが何やら英語で指示すると、スーツケースから薄い手術台のようなものが2台登場した。どーなってんの? ってか、この台、紙みたいにぺらぺらなんだけど。人が載って大丈夫? いえいえいえ、ちょっと待って。
「ここで治療するんですか?」
「まあね」
まさかのここで治療。
「先生って、医者だったんですね」
「違うよ。僕の網膜のデータ、手の神経を提供する。治療の判断をして、実際に治療を行うのは遠くにいる医者」
「なんかヤバい」
そんなんできちゃうんだ。体を乗っ取らせるってこと?
「もう技術は、仁科の時代にあるんだよ」
乗っ取りが? そんなん、あるっけ。
「未来ってすごいんですね」
「礎を築いてきた全ての人間がすごいんだよ」
神センは綺麗に唇の両端を上げた。




