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第5話 師匠失格

村を出て、一日が過ぎた。


街道は緩やかに下り、森を抜け、開けた平原へと続いていく。遠くに王都の城壁が霞んで見える。まだ小さいが、確かにそこにある。


俺は歩きながら考えていた。


マルクは最後まで誰も殺さなかった。瀕死の身体で騎士五人を制圧し、村人を守り抜いた。それが、あいつの答えだった。


じゃあ、俺の答えは何だ。


フェリクスに会って、何を言えばいい。「お前の教えが間違っていた」と断じるのか。それとも「俺が悪かった」と膝を折るのか。どちらも違う気がした。言葉はいつも、肝心な時に役に立たない。


分からない。


ただ、問わなければならないことがある。


なぜ、あそこまでしなければならなかったのか。


国を守るために、本当にあれが必要だったのか。


「先生」


エリナの声が聞こえた。


「どうした」


「あそこ、何か起きてます」


視線を上げると、街道の先に人だかりが見える。


兵士の怒鳴り声と、誰かの泣き声が風に乗って届いた。


俺は足を速めた。


人だかりの中心には、荷車を引いた老人がいた。


車輪が壊れたのか、荷物が街道に散乱している。麦袋、干し肉、陶器の欠片。老人は膝をついて、兵士の前で頭を下げていた。


「申し訳ございません、申し訳ございません」


「謝って済むか。王都への道を塞ぎやがって」


兵士は三人。全員が槍を持ち、鎧には王家の紋章が刻まれている。フェリクスの直属だ。


「荷物を片付けますから、少しだけ、少しだけ時間を」


「黙れ。罰金だ。銀貨十枚、今すぐ払え」


「そんな……」


老人の声が震えた。


「持っておりません。どうか、どうか」


「持ってない? じゃあ荷物で払ってもらおうか」


兵士の一人が麦袋に手を伸ばした。


老人が慌てて袋を抱きしめる。


「これは、孫に食べさせる分なんです。これだけは、これだけは」


「離せ、爺」


兵士が老人を突き飛ばした。


老人は背中から地面に倒れ、呻き声を上げた。


周囲の人々は誰も動かない。ただ、俯いて見ているだけだ。


エリナが俺の袖を掴んだ。


「先生」


「ああ」


俺は人だかりを抜けて、兵士の前に出た。


「待て」


三人の兵士が一斉に俺を睨んだ。


「何だ、お前は」


「通りすがりだ」


「通りすがりが口を出すな。邪魔するなら、お前も罰金だぞ」


「罰金の理由は?」


「道を塞いだからだ」


「車輪が壊れただけだろう。荷物を片付ければ通れる」


「口答えするな」


兵士が槍を向けた。


「もう一度言う。邪魔するなら、お前も罰金だ」


俺は兵士の目を見た。


若い。二十歳にもなっていないだろう。目には恐怖と苛立ちが混ざっている。


ああ、こいつも分かっているんだ。


自分がやっていることが正しくないと。


「分かった」


俺は懐から銀貨十枚を取り出した。


「これで足りるか」


兵士は一瞬、目を丸くした。


「……足りる」


「じゃあ、受け取れ」


銀貨を兵士の手に押し付ける。


「老人の荷物には触るな。行け」


兵士は銀貨を握りしめたまま、仲間と顔を見合わせた。


そして、何も言わずに立ち去った。


老人は俺の手を握って、何度も頭を下げた。


「ありがとうございます、ありがとうございます」


「気にするな」


「どうお礼を……」


「いらない。荷物を片付けろ。また兵士が来るかもしれない」


周囲の人々が動き出した。


男たちが荷車を持ち上げ、車輪を直す。女たちが散らばった荷物を拾い集める。


誰も俺に声をかけない。ただ、チラチラと視線を送ってくるだけだ。


感謝と恐怖が入り混じった目だ。


エリナが小さく息を吐いた。


「これが、フェリクスの国なんですね」


「ああ」


「民が怯えてる。兵士も、民も、誰も笑ってない」


「そうだな」


俺は街道の先を見た。


王都の城壁が、少し大きく見える。


夕暮れ時、俺たちは街道沿いの小さな集落で足を止めた。


宿屋というより、民家に毛が生えた程度の建物だ。壁は薄く、屋根は所々破れている。


宿の主人は痩せた中年の男で、俺たちを見ると警戒した目を向けた。


「泊まりたいのか」


「ああ」


「一晩、銅貨五枚だ」


「高いな」


「嫌なら他を当たれ」


男は目を逸らした。


エリナが耳打ちする。


「先生、銅貨五枚って、普通は三枚くらいですよね」


「ああ」


「ぼったくりですか」


「違う」


俺は銅貨五枚を男に渡した。


「部屋を頼む」


男は銅貨を受け取ると、無言で階段を指差した。


部屋は狭く、窓もない。


ベッドは一つだけで、毛布も薄い。


エリナが壁に背を預けて座った。


「ひどい宿ですね」


「まあな」


「でも、文句も言わないんですね」


「言ったところで、変わらない」


俺はベッドの端に腰を下ろした。


エリナはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「先生、さっきの宿の主人、怖がってましたよね」


「ああ」


「私たちを、フェリクスの手先だと思ったんですか」


「逆だ」


「逆?」


「フェリクスに逆らう者だと思ったんだろう」


エリナが眉をひそめた。


「でも、なんで」


「さっき街道で兵士に逆らっただろう。誰かが見てたんだ」


「それで?」


「俺たちに関わりたくないが、断れば怪しまれる。だから、やんわりと追い出そうとしたんだ。……生きるための知恵だ」


エリナは何も言わなかった。


ただ、膝を抱えて俯いた。


「民が、生きるのに必死なんですね」


「ああ」


「それが、フェリクスの国」


「そうだ」


エリナは顔を上げた。


「先生、フェリクスは、なんでこんな国にしたんですか」


「分からない」


「でも、元は先生の弟子だったんでしょう」


「ああ」


「先生が、何かを教えたんでしょう」


「……ああ」


エリナの視線が俺を捉えた。


「何を、教えたんですか」


俺は窓のない壁を見た。


「強さだ」


「強さ?」


「強くなれ、と教えた。弱いままでは、誰も守れない。だから、強くなれ、と」


「それの、何が悪いんですか」


「悪くない」


「じゃあ」


「だが、足りなかった」


俺は拳を握った。


「強さだけを教えて、何のために強くなるのかを教えなかった」


エリナは黙っていた。


「フェリクスは貧しい村の孤児だった。毎日、飢えて、殴られて、虐げられて生きていた。そんな奴を、俺は拾った」


記憶が蘇る。


あの日、村の広場で、フェリクスは地面に倒れていた。


子供たちに囲まれて、蹴られて、笑われていた。


俺は子供たちを追い払い、フェリクスに手を差し伸べた。


「お前、強くなりたいか」


フェリクスは俺の手を掴んだ。


泣きながら、頷いた。


「それから、俺はフェリクスに剣を教えた。毎日、朝から晩まで。あいつは必死だった。誰よりも早く起きて、誰よりも遅くまで鍛錬した」


エリナが小さく息を呑んだ。


「そして、あいつは強くなった。誰にも負けないくらい、強くなった」


「でも」


「ああ。でも、俺は教えなかったんだ。強さを何のために使うのか、を」


俺は拳を開いた。


「あいつは、強さで人を守ろうとした。だが、守るためには、脅威を排除しなければならないと考えた。だから、敵を殺した。邪魔者を消した。そうやって、どんどん人を殺していった」


「それが、今の国に」


「ああ」


エリナは何も言わなかった。


ただ、俺の顔を見ていた。


「先生は、自分を責めてるんですね」


「当たり前だ」


「でも」


エリナは膝を抱えたまま、小さく呟いた。


「先生が悪いんじゃない、と思います」


「何?」


「フェリクスが、間違えたんです。先生の教えを、勝手に曲解して」


「だが、俺が教えたんだ」


「でも、マルクさんは違った」


エリナの声が少し強くなった。


「マルクさんは、先生の教えを正しく理解した。だから、誰も殺さなかった。それは、マルクさんが選んだことです」


「……」


「人は、自分で選ぶんです。先生が、全部決めるわけじゃない」


俺はエリナを見た。


彼女の目は真っ直ぐだった。


「お前、いつの間にそんなことを考えるようになったんだ」


「マルクさんが、教えてくれました」


エリナは微笑んだ。


「最後に、言ってたじゃないですか。『先生、あなたは優しかった』って」


「……ああ」


「マルクさんは、先生を許してたんです。だから、先生も、自分を許してあげてください」


俺は何も言えなかった。


ただ、エリナの言葉を、胸の中で反芻していた。


翌朝、俺たちは集落を出た。


宿の主人は最後まで俺たちと目を合わせなかった。


街道を進むと、王都の城壁がはっきりと見えてきた。


高さは十メートルを超え、灰色の石で組まれている。所々に兵士が立ち、槍を構えて街道を見下ろしていた。


城門の前には検問所がある。


長い行列ができていた。


商人、旅人、農民。皆、兵士の前で荷物を検査されている。


「先生、あれ」


エリナが小さく指差した。


検問所の脇に、木製の柱が立っている。


その上に、首が晒されていた。


三つ。


男が二人、女が一人。


目は閉じられ、口は半開きのまま固まっている。


首の下には、木札が掛けられていた。


『反逆者』


エリナが息を呑んだ。


「あれ……」


「見るな」


「でも」


「見ても、何も変わらない」


俺はエリナの肩を引き寄せ、視線を逸らさせた。


行列に並ぶ人々は、誰も首を見ない。


ただ、俯いて、順番を待っている。


俺たちの番が来た。


兵士が俺を見上げる。


「名前は」


「ユージ」


「職業は」


「旅人だ」


「目的は」


「用事がある」


兵士が目を細めた。


「用事? 誰との用事だ」


「それは言えない」


「言えない?」


兵士が槍を構えた。


「怪しいな。荷物を見せろ」


「荷物はない」


「嘘をつくな」


兵士が俺の腰に目をやった。


剣だ。


「その剣を見せろ」


「これは見せられない」


「なぜだ」


「理由はない」


兵士が舌打ちした。


「お前、反逆者の仲間か」


「違う」


「じゃあ、剣を見せろ」


「見せない」


兵士が仲間を呼んだ。


五人の兵士が槍を構えて、俺たちを囲む。


エリナが俺の袖を掴んだ。


「先生」


「大丈夫だ」


俺は兵士たちを見回した。


全員、若い。顔には緊張が浮かんでいる。


ああ、こいつらも怖いんだ。


俺が何者か、分からないから。


「もう一度言う。剣を見せろ」


「見せない」


「なら、拘束する」


兵士が一歩前に出た。


その時。


「待て」


低い声が響いた。


兵士たちが一斉に振り返る。


城門から、一人の男が歩いてきた。


黒い鎧を着て、腰には長剣を下げている。顔には傷があり、目は鋭い。


男は兵士たちを見て、顎で示した。


「下がれ」


兵士たちが慌てて槍を下ろした。


男は俺の前に立った。


「お前が、ユージか」


「……ああ」


「噂は聞いている」


「噂?」


「街道で、兵士に逆らったそうだな」


男は薄く笑った。


「陛下が、お会いになりたいそうだ」


俺は男の目を見た。


殺気が滲んでいる。


「断ったら?」


「断る権利はない」


男が指を鳴らすと、周囲の兵士が十人以上現れた。


全員が武器を抜いている。


エリナが俺の背中に隠れた。


「先生……」


「大丈夫だ」


男が一歩近づいた。


「お前は今、拘束される。反逆者優師として、な」


「反逆者?」


「ああ。王家に逆らい、兵士を妨害し、指名手配された罪人マルクを匿った。その罪は重い」


男が俺の肩に手を置いた。


「さあ、歩け。陛下がお前を待っている」


俺たちは城の中に連行された。


廊下は長く、天井は高い。窓からは中庭が見え、兵士たちが訓練している。


だが、俺たちの周りには常に十人以上の兵士がいた。


まるで、重犯罪者を扱うように。


エリナが小さく呟いた。


「先生、これって……」


「ああ」


「罠ですよね」


「そうだ」


黒い鎧の男が振り返った。


「良い目だな、お嬢ちゃん」


男はエリナを見て、嫌な笑みを浮かべた。


「だが、その強がりがいつまで持つかな」


エリナが唇を噛んだ。


俺は男の背中を睨んだ。


「エリナに手を出すな」


「手は出さんよ。出す必要もない」


男は肩越しに俺を見た。


「お前がこれから何をされるか、見せてやればいいだけだ」


廊下の先に、大きな扉がある。


両開きの、重厚な扉だ。


男が扉を押し開けた。


部屋は広く、天井には大きなシャンデリアが吊るされている。


壁には絵画が掛けられ、床には赤い絨毯が敷かれている。


だが、部屋には人が溢れていた。


貴族、兵士、官僚。


百人は超えている。


全員が、俺たちを見ていた。


部屋の奥に、玉座がある。


そこに、男が座っていた。


黒髪、鋭い目、疲れた顔。


フェリクス。


二十年ぶりに見る、あいつの顔。


フェリクスは立ち上がった。


そして、高らかに声を上げた。


「民よ、兵よ、貴族よ。よく聞け」


部屋が静まり返った。


「今日、一人の反逆者が我が城に来た」


フェリクスが俺を指差す。


「ユージ。かつて、私の師匠であった男だ」


ざわめきが広がった。


「だが、この男は師の名に値しない。国を捨て、山に逃げ、弟子を見捨てた臆病者だ」


俺は何も言わなかった。


ただ、フェリクスを見ていた。


「そして今、この男は反逆者マルクを匿い、王家に逆らった」


フェリクスが一歩前に出た。


「この男の罪は重い。だが、私は寛大だ」


フェリクスが薄く笑った。


「ユージよ。お前が私に忠誠を誓い、剣を捨て、膝をつくなら、命だけは助けてやろう」


部屋中の視線が俺に集まった。


エリナが俺の袖を掴んだ。


「先生……」


俺はフェリクスを見た。


あいつの目が、何かを求めている。


ああ、そうか。


こいつは、俺を屈服させたいんだ。


師を超えたことを、皆に見せつけたいんだ。


「フェリクス」


俺は静かに言った。


「お前に、聞きたいことがある」


「何だ」


「なぜ、マルクを殺した」


フェリクスの表情が変わった。


「……それが、二十年ぶりに再会した弟子に向けた最初の言葉か」


「ああ」


フェリクスは口の端を上げた。


「師匠、分からないのか」


「分からない」


「なら、教えてやろう」


フェリクスが玉座から降りた。


ゆっくりと、俺の前まで歩いてくる。


そして、立ち止まった。


二人の距離は、三メートル。


「あれは、お前に見せるためだ」


「……何?」


「お前を山から引きずり下ろすには、これしかなかった。……マルクを殺せば、お前は必ず来る。俺はそう信じていた」


俺の呼吸が止まった。


「お前が山から降りてくる。俺は知っていた。だから、待っていた」


フェリクスの目が光った。


「お前が来たら、マルクを殺す。そうすれば、お前は怒る。俺に挑んでくる」


「……」


「そして、お前が本気で戦ってくれる。昔みたいに、全力で」


フェリクスが笑った。


「それが、俺の望みだった」


俺は拳を握った。


「お前……」


「だが、どうだ」


フェリクスが俺に顔を近づけた。


「お前は怒らない。剣も抜かない。ただ、そうやって俺を見下している」


「見下してない」


「嘘をつくな」


フェリクスの声が震えた。


「お前の目は、昔から変わらない。いつも、憐れんでいる。『可哀想に』と言いたげな目だ」


「フェリクス」


「黙れ」


フェリクスが俺の胸倉を掴んだ。


「お前のその目だ。その静かな、全てを許すような目が嫌いだった。俺を見ていない。俺の中の『可哀想な子供』を見ているだけだ」


「違う」


「じゃあ、なぜ剣を抜かない」


フェリクスの目に、涙が浮かんだ。


「なぜ、俺と戦ってくれない」


「……」


「答えろ、師匠」


俺はフェリクスの目を見た。


そして、静かに言った。


「お前は、俺の弟子だからだ」


フェリクスの手が震えた。


「弟子には、手を上げられない」


「……」


「俺が、お前を間違った道に導いた。だから、俺が責任を取る」


俺はゆっくりと膝をついた。


部屋中がざわめいた。


「殺したいなら、殺せ」


フェリクスは俺を見下ろしていた。


そして、震える声で言った。


「お前……本当に、馬鹿だな」


フェリクスが剣を抜いた。


エリナが悲鳴を上げた。


「先生!」


フェリクスは剣を俺の首に当てた。


冷たい刃が、皮膚に触れる。


「師匠、最後にもう一度聞く」


フェリクスの声が部屋中に響いた。


「お前は、俺の正義を認めるか」


俺は顔を上げた。


フェリクスの目を見た。


「認めない」


フェリクスの目が見開かれた。


「お前の正義は、間違っている」


「……」


「お前は、民を守っていない。恐怖で支配しているだけだ」


「違う」


「違わない」


俺は立ち上がった。


剣が首に食い込むが、構わない。


「お前の秩序は、お前自身のためにある。お前が、王として君臨し続けるためにあ

る」


「黙れ」


「お前は、怖いんだ。弱い自分に戻るのが」


「黙れ!」


フェリクスが叫んだ。


だが、剣は動かなかった。


「お前は、昔のお前と同じだ。地面に倒れて、怯えていた、あの頃のお前と」


「……」


「だから、力で全てを押さえつけている。誰も、お前を否定できないように」


フェリクスの手が震えた。


剣が、カタカタと音を立てる。


「師匠……」


フェリクスの声が小さくなった。


「お前に……お前に、何が分かる」


「分からない」


「なら」


「だが、一つだけ分かることがある」


俺はフェリクスの目を見た。


「お前は、まだ俺に認めてほしいんだ」


フェリクスの目から、涙が流れた。


「そうじゃなければ、こんな場所に俺を呼ばない」


「……」


「皆の前で俺を屈服させる必要もない」


俺は小さく息を吐いた。


「お前は、ただ……俺に、『よくやった』と言ってほしいだけだ」


フェリクスは何も言わなかった。


ただ、涙を流しながら、俺を見ていた。


「フェリクス」


俺は手を伸ばした。


「お前は、もう十分強い」


フェリクスの肩に手を置く。


「だが、強さだけじゃ、人は守れない」


「……じゃあ、何が必要なんだ」


「優しさだ」


フェリクスが笑った。


泣きながら、笑った。


「優しさ、か」


「ああ」


「師匠は、優しかったな」


「……」


「だから、俺は、先生が好きだった」


フェリクスが剣を下ろした。


そして、俺の手を払いのけた。


「でも、もういい」


「……何?」


「お前は、もう俺の師匠じゃない」


フェリクスが一歩後ろに下がった。


「ただの、老いぼれだ」


部屋中が静まり返った。


「お前の優しさは、弱さだ。そんなものでは、何も守れない」


フェリクスが俺に背を向けた。


「もう、会うこともない」


「フェリクス」


「騎士団長」


黒い鎧の男が前に出た。


「この男を、城から追い出せ」


「はっ」


「二度と、俺の前に現れるな」


フェリクスが玉座に戻る。


そして、もう俺を見なかった。


「行け。殺す価値もない。野垂れ死ね」


俺たちは城から放り出された。


エリナが俺の腕を掴んで、立ち上がらせた。


「先生、大丈夫ですか」


「……ああ」


「嘘です。顔、真っ青ですよ」


俺は城壁を見上げた。


フェリクスは、あの中にいる。


一人で、玉座に座って。


「先生」


エリナが俺の前に立った。


「あんなの、気にしちゃダメです」


「……」


「先生は、間違ってません」


だが、俺の耳には何も入らなかった。


『お前はもう俺の師匠じゃない』


『ただの老いぼれだ』


『殺す価値もない』


フェリクスの言葉が、頭の中で繰り返される。


俺は、何をしに来たんだ。


何も、できなかった。


マルクは死んだ。


フェリクスは、もう俺を見てくれない。


俺は、ただの……


「先生!」


エリナのの声が聞こえた。


顔を上げると、エリナが俺を睨んでいた。


「しっかりしてください」


「……」


「先生は、間違ってません」


エリナが俺の手を握った。


「先生の強さは、剣を抜かないことです」


「だが、俺は……」


「何も守れなかった、なんて言わないでください」


エリナの目に、涙が浮かんでいた。


「先生は、私を守ってくれました」


「……」


「マルクさんも、守ってくれました」


「マルクは、死んだ」


「でも、マルクさんは最後に笑ってました」


エリナが俺の手を強く握った。


「先生に会えて、良かったって。そう言ってました」


「……」


「だから、先生は、誰も守れなかったわけじゃないんです」


俺は何も言えなかった。


ただ、エリナの手の温もりを感じていた。


その時。


「待て」


後ろから声が聞こえた。


振り返ると、黒い鎧の男が立っていた。


「何だ」


「一つだけ、教えてやろう」


男が残酷な笑みを浮かべた。


「陛下はお優しい。私なら、その首、即座に刎ねていましたが」


「……」


「だが、陛下は甘い。だから、まだお前を生かしている」


男が俺に近づいた。


「もう一つ。お前に教えることがある」


「何だ」


「城の地下牢に、まだ一人、生きている弟子がいるそうだ」


俺の心臓が跳ねた。


「……何?」


「ああ。マルクが死んだのは、誰かを庇ったからだそうだ」


「誰を」


「さあな」


男が肩をすくめた。


「だが、その者は今、地下で泣いているぞ。『先生、助けて』とな」


「……」


「お前が来なければ、その者はもうすぐ死ぬだろう」


男が一歩近づいた。


「だが、来ればお前も死ぬ。地下牢は、一度入れば二度と出られない迷宮だ」


男の目が光った。


「這いつくばって助けに来いよ。そこで俺が、今度こそ引導を渡してやる」


男が去り際に振り返った。


「老いぼれ。お前の最期は、暗い牢獄の中だ」


男が城の中に消える。


俺は城壁を見上げた。


地下牢。


まだ、生きている弟子。


マルクが庇った者。


誰だ。


誰なんだ。


「先生」


エリナが俺を見上げた。


「どうするんですか」


俺は拳を握った。


そして、静かに言った。


「戻る」


「え?」


「城に、戻る」


エリナが目を見開いた。


「でも、罠だって言ってましたよ」


「ああ」


「死ぬかもしれないんですよ」


「分かっている」


俺はエリナの肩を掴んだ。


「エリナ、お前はここにいろ」


「嫌です」


「危険だ」


「だから、嫌なんです」


エリナが俺の手を握った。


「先生が行くなら、私も行きます。……もう、離しませんから」


「……」


「私、先生の背中を守るって言ったじゃないですか」


俺はエリナを見た。


彼女の目は、もう迷っていなかった。


「分かった」


俺は城壁を見上げた。


夕日が、城を赤く染めている。


「行こう」


二人で、城に向かって歩き出した。


罠だと分かっていても、行かざるを得ない。


それでも、俺は前に進む。


弟子を見捨てることだけは、もう二度としたくなかった。

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