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3話目

 森を抜けると、視界が急に開けた。眼前に広がったのは、丸太で組まれた高い塀に囲まれた村だった。塀の高さは優に4メートルはあり、まるで要塞のように見える。村の規模はかなり大きく、塀の向こうに多くの建物の屋根が見えた。

 周囲では木こりたちが木を切り、運んでいる。巨大な丸太が至る所に積み重ねられていた。林業が中心の村なのかもしれない。


(まるで映画のセットみたいだ...)


 沢居は心の中でつぶやいた。48年間、日本で過ごしてきた人生では見たことのない光景だった。氷河期世代として就職氷河期を経験し、冴えない派遣SEとして長年働いてきた自分が、こんな中世ヨーロッパ風の村を見る日が来るとは。もっとも、それが現実なのか夢なのかすら、まだ確信が持てずにいたが。


 若返った身体への違和感も消えない。歩くたびに感じる身体の軽さ、高くなった声。鏡がなくて確認できないが、ロイが15、6歳と言った通り、本当に若返っているのかもしれない。こんなことが現実にあり得るのだろうか。だが、現に異世界としか思えない場所に来ている。


「おお、ロイ!」


 塀の外で木を切っていた木こりの1人が手を止め、ロイに声をかけた。周囲には切り倒された丸太が山のように積み重ねられている。木こりは筋骨隆々とした体格で、現代日本では見かけないような本格的な肉体労働者の風貌だった。


「今日も大物だな。それはフォレストウルフか?しかも随分と立派な...ん?」


 木こりの視線が沢居に移った。


「そっちの坊主は誰だ?見ない顔だが」


 やっぱり注目される。記憶喪失で通せるだろうか

 沢居は内心緊張した。20年近く培ってきた社会人としての経験があっても、この状況は想定外すぎる。しかも外見は15、6歳。大人の判断力を持った子供として振る舞うしかない。


「森で拾った。記憶をなくしてるらしい」


 ロイは簡潔に答えた。詳しい説明をするつもりはないようだった。沢居はロイの配慮に感謝した。


「そうか。まあ、村に面倒事だけは持ち込むなよ」


 木こりは軽い調子で釘を刺したが、それ以上は詮索しなかった。

 面倒事...確かに俺は面倒事かもしれない

 沢居は複雑な気持ちになった。現代日本では、48歳の独身SEの派遣社員として、ある意味で社会の端っこにいる存在だった。家族もなく、特別な才能もなく、ただ毎日さして重要でもないコードを書いて生きていただけ。そんな自分が、この世界では若い外見とはいえ、やはり厄介者扱いされるのかもしれない。

 ロイは巨大な狼を担いだまま、村の入口へと向かった。沢居はその後を追いながら、塀の高さと頑丈さに感心していた。この世界では、こうした防備が必要なほど危険な生物が多いのだろう。先ほどの巨大な狼、フォレストウルフのような魔獣が普通に存在するなら、確かに防壁は必要だ。


(まるでゲームの世界だな。でも、あの血の匂いは本物だった)


 現実離れした状況に、まだ完全には順応できずにいる。SEとして論理的に物事を考える癖がついている沢居にとって、この非現実的な状況を受け入れるのは簡単ではなかった。

 村の門をくぐると、塀の内側は思った以上に広々としていた。家々は広い間隔で乱雑に建てられ、所々に畑が点在している。計画的に作られた現代の住宅地とは全く違う、有機的な村の姿だった。


(都市計画とか、そういう概念がないのかな)


 職業柄、システム設計に慣れている沢居には、この無計画に見える村の作りが興味深かった。しかし同時に、この世界の技術レベルや社会構造の違いを実感させられる。


「ロイさん、おかえりなさい!」

「今日も見事な獲物だなぁ」

「フォレストウルフじゃないか!すごい!」


 村人たちがすれ違うたびに、ロイの獲物を称賛した。子供たちは目を輝かせて巨大な狼を見上げ、大人たちは敬意を込めた表情でロイに挨拶する。ロイは村では慕われ、尊敬されているようだった。


(この人は村のヒーローなんだ)


 沢居は改めてロイという人物を評価した。森で突然現れた巨大な魔獣を、まるで映画のアクションシーンのように倒してしまった剣士。そして村人たちからの信頼も厚い。現代日本では出会うことのないタイプの人間だった。

 自分のようなオタク気質のSEとは正反対の存在。でも、そのロイが自分を助けてくれた。48年間生きてきて、こんな風に誰かに助けられることなど、ほとんどなかった。家族からも放任され、ずっと1人で生きてきた。それが当たり前だと思っていた。


(情けないな、48歳が結局人に頼ってる)


 自分の境遇に複雑な思いを抱きながらも、生き延びるためには現実を受け入れるしかない。

 やがてロイの家に着いた。他の家よりも少し大きく、裏手には畑が広がっている。狩人として成功しているのか、はたまた傭兵の頃の貯えによるものか、それなりに立派な家だった。畑で作業をしていた少年が、ロイの姿を見つけて駆け寄ってきた。


「父さん!」


少年はロイと同じ赤い髪と赤い瞳をしていた。年の頃は15、6歳といったところだろうか。つまり、ロイの発言を信じるならば、外見上は沢居と同年代ということになる。


(この子と同じに見られるのか...)


現実の年齢差を考えると、なんとも言えない気持ちになる。


「すげぇ!フォレストウルフじゃないか!父さん、早く俺も狩りに連れて行ってくれよ!」


 少年はキラキラした瞳で肩に担がれた狼を見つめ、興奮して言った。


(俺が15歳の頃はどうだったか…)


 沢居は自分の15歳の頃を思い出した。引っ込み思案で、友達も少なく、ゲームやアニメに逃避していた。この少年とは正反対だ。クラスでは、この少年のような活発な子が中心だった。


「まだ早い。もう少し鍛えてからだ」


 ロイは軽く息子をいなした。

 少年はそこで沢居の存在に気づいた。


「おい、お前誰だよ。なんで父さんと一緒にいるんだ?」


 生意気そうな口調で沢居に突っかかってきた。


(やっぱりこうなるか)


 沢居は予想していた展開に苦笑した。見た目は同年代でも、精神年齢は48歳。この少年の反応は理解できる。新参者への警戒心、父親への独占欲、年頃の男の子特有の縄張り意識。


「シエロ、これを吊るしておいてくれ」


 ロイはドシンと巨大な狼を息子の前に降ろした。


「うわっ!重っ!」


 シエロと呼ばれた少年は、ギリギリで狼を支えたものの、よろめいて足をもつれさせた。それでも何とか持ちこたえている。


(子供なのに力があるな)


 現代日本の15歳では考えられない力だ。この世界では、15歳でもこれだけの重量物を扱えるのか。それとも、この少年が特別なのだろうか。


「ラーソはどこにいる?」


「姉ちゃんなら教会だよ」


シエロは重い狼と格闘しながら答えた。


(教会...宗教的なものもあるのか)


沢居は新たな情報を整理した。中世ヨーロッパ風の社会構造、魔獣の存在、そして宗教。まるでファンタジーゲームの世界そのものだ。


「そうか。それなら村長のところに行くぞ」


 ロイは沢居を振り返った。


「おい!父さん!こいつのことまだ聞いてないぞ!」


 後ろからシエロが騒ぎ立てたが、巨大な狼があるため身動きが取れない。ロイと沢居はそのまま歩き出した。


 この子にとっては、俺は侵入者なんだろうな。

 沢居は振り返ることなく歩いた。シエロの気持ちは理解できる。いきなり現れた正体不明の少年。父親がその少年に優しくしている。警戒するのは当然だ。


(でも、今はこんな訳も分からない状況で、俺も生きるのに必死なんだ)


 48年間、人に頼らず生きてきた沢居にとって、今の状況は屈辱的でもある。しかし、プライドを捨ててでも生き延びなければならない。こんな訳の分からない状況で死ぬわけにはいかない。そんな思いだった。


 村長の家は他の家よりも一回り大きく、村の中央近くに建っていた。権威の象徴というよりは、実用性を重視した作りに見える。ロイは遠慮なく思いっきり扉を叩いた。


(こういう関係性なのか)


 村長とロイの間には、対等に近い関係があるようだ。狩人という職業の地位の高さを表しているのかもしれない。あるいは中世の村社会では、これくらいの距離感が普通なのか。


「ロイか。今日も無事に帰ったな」


 出てきたのは50代ほどの白髪の男性だった。温厚そうな顔立ちをしているが、目には確かな意志の強さが宿っている。


(この人が村長か。現代の政治家とは全然違うタイプだな)


 実務的で現実的な印象を受ける。票を集めるための演技ではなく、本当に村のことを考えている人物に見えた。


「村長、相談があります」


ロイは沢居を示した。


「この子を村に置いてもらえませんか。記憶をなくして森で彷徨っていたんです」


 ここで決まる。沢居の心臓が早鐘を打った。48年間、自分の人生は自分で決めてきた。就職氷河期だったとは言え自分の実力と意思で、就職も、転職も、住む場所も。

 でも今は、自分の運命を他人に委ねるしかない。


 村長の表情が曇った。


「ロイ、面倒事にならないか心配だ。街まで連れて行って、そこで引き取り手を探した方がいいんじゃないか」


 やっぱり歓迎されない

 予想していたことだが、実際に言われると胸が痛んだ。現代日本でも、氷河期世代として冷遇されることが多かった。この世界でも、やはり余計者扱いなのか。


「父さんの言う通りですよ」


 横から別の声が割り込んだ。ロイと同年代の男性が現れた。村長の息子らしい。


「ロイ、君はいつも余計な問題を持ち込む。この子がどんな素性かも分からないのに」


「ロンギン…お前には関係ないだろう」


「私は次期村長だ」


 ロンギンと呼ばれたその男性は、明らかにロイのことを快く思っていない様子だった。


(権力者の息子か。どこの世界にもいるタイプだな)


 沢居は冷静にロンギンを観察した。会社でも、こういう二世社員はいた。実力よりも血縁で地位を得て、有能な人間を妬む。人間社会では普遍的な人間のタイプなのかもしれない。


「ロンギン。この子は街に一人で行ったら野垂れ死ぬ。記憶も無いんだぞ」


 ロイは冷静に反論した。


 この人は本当に俺のことを心配してくれている。

 沢居は胸が熱くなった。48年間、こんな風に誰かに守られた記憶がない。家族からは放任ぎみで、友人も恋人もなく、職場でも孤立気味だった。それが当たり前だと思っていた。


「本当に記憶が無いのかだってーー」

「俺が責任を持ちます。記憶が戻るまで面倒を見ますから、村に置いてください」


 ロンギンの言葉を遮り、ロイが村長へ視線を向ける。


(ここまでしてくれるのか)


 ロイの言葉に、沢居は目頭が熱くなるのを感じた。見た目は15歳かも知れないが、中身は48歳の大人だ。こんな風に涙ぐむなんて、みっともない。でも、長年忘れていた感情が蘇ってくる。

 だが、不思議にも思う。ロイは沢居に、どうしてここまでしてくれるのか。


 村長は困った表情でしばらく考え込んだ。村全体の利益を考えなければならない立場。一人の余所者のために村を危険にさらすわけにはいかない。その葛藤が表情に現れていた。


「分かった。ただし条件がある」


 村長は重い口を開いた。


「村で空き家になっている小屋を使わせよう。ただし、それ以外の面倒はすべてロイが見ること。何か問題が起きたら、ロイが責任を取ること。この二つを約束できるか?」


(一人暮らしか...)


 沢居は複雑な気持ちになった。現代日本では、48歳で一人暮らしは珍しくない。でも、身寄りもない見た目15歳の記憶喪失者が一人で生活するのは、この世界では普通なのだろうか?


「もちろんです」


 ロイは即座に答えた。

 この人に迷惑をかけることになる。沢居は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ロイは既に十分すぎるほど親切にしてくれている。それなのに、さらに責任まで負わせることになる。


「それなら仕方ない。ただし、何か問題があったらすぐに報告するんだぞ」


村長はしぶしぶ納得した。ロンギンは不満そうな表情を浮かべていたが、父親の決定に従うしかなかった。


(敵を作ってしまったな)


 ロンギンの視線を感じながら、沢居は今後の困難を予想した。村長の息子という立場を考えれば、彼を敵に回すのは得策ではない。でも、今はそんなことを言っている場合ではない。


 こうして沢居は村に住むことが決まった。48歳のSEから、15歳の記憶喪失者へ。現代日本から、異世界の村へ。

 沢居は新たなスタートを切った。すべてが変わった新しい人生が、ここから始まるのだった。

次回更新予定。6月21日。午後。

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