最後の“正解”
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目を開けた瞬間、世界が微かに違っていると感じた。 教室の空気。クラスメイトの話し声。由香の笑い方。 何かが、これまでと決定的に違っていた。
直感だった。 今回こそ、変えられる。
彼は、これまでに経験したすべてを覚えていた。 どこで、誰が、何をして、どんな偶発が彼女の命を奪うか。 天候、時間、移動ルート、全てを記録し、検証してきた。
そして今、事故の連鎖を断ち切る完璧な一手を、ついに見つけた。
***
12月17日――事故当日。 午後に雪が降る。由香は下校後、母親の使いでスーパーに向かう予定だった。 いつもと違う道を通り、坂道で足を滑らせ、頭部を強打。即死。
それが、過去に繰り返された“死のテンプレート”だった。
今回は違った。
晴人は由香の母親に先回りし、買い物の代行を申し出ていた。 学校を早退し、由香には「風邪がうつったかも」と言わせて欠席させた。 坂道の工事現場は朝のうちに通行止めを確認し、危険因子はすべて排除済み。
夕方、万全の態勢で自宅に戻った由香から、晴人にLINEが届いた。
「今、家ついたよ。ありがとう。何かあったら電話するね」
――その瞬間、彼は確信した。 ついに、救った。今度こそ、由香は死なない。
彼はベンチに腰を下ろした。公園の空は薄暗く、冷たい風が頬を撫でた。 スマホの画面をじっと見つめながら、動けなかった。
そのときだった。 着信音が鳴った。
由香だった。
指が、動かない。 震える手の中で、スマホが小さく振動を繰り返す。
留守電に切り替わった直後、音声が入った。
「晴人……ごめん、なんか変なの。散歩してたんだけど、さっきから誰かついてきてる気がして、ちょっと怖くて……。電話、折り返してくれない?」
しばらく画面を見つめたまま、晴人は動かなかった。 呼吸が静かに浅くなり、心拍が耳の中に響いていた。
電話をかけ返すことは、できた。 すぐにでも、何か言えた。
それでも、彼は通話ボタンを押さなかった。
スマホの振動がもう一度鳴って、止まった。 着信履歴が沈黙し、通知が消えた。
そのまま彼は、ポケットにスマホをしまった。 何もなかったように、目を閉じた。
***
翌朝。 再び、あの天井。あの教室。あの空気。
12月15日。 由香は、笑顔で教室のドアを開けた。
「おーい、晴人ー。今日も寝坊でしょー」
机に伏せたまま、晴人は目を開けなかった。
耳の奥に、あの留守電の声が残っていた。 夜の、震える声。助けを求めていた声。
彼は、それに応えなかった。 応えることを、やめた。
救える命だった。 救ったあとだった。 けれど、彼は自らその手を離した。
それが、初めてだった。
事故でもない。偶然でもない。 他人の責任でも、運命のせいでもなかった。
彼が、自分の意思で、由香を死なせた。
理由はまだ言葉にならない。 だが、胸の奥のどこかで、何かが静かに笑っていた。