第九話 謎の声
クィルヴィオス・リュー・メシュアルトウバ。それがボウイが生まれたその日のうちに付けられた名前である。
メシュアルトウバという姓を持つ一族は、数世代前には複数の村で村長の役についていた。
そのせいか、メシュアルトウバはラシル・ファシスを代表する名字の一つになっている。傭兵に応募する際にボウイが本名を書くのを躊躇ったのは、そのためだ。
ボウイ・サザビアは、傭兵の応募フォームに名前を入力するとき、咄嗟に浮かんだ名だった。アルデバ星系で最初に降り立った惑星、トリポスの空港で耳にした名前を組み合わせただけだ。近くで話していた二人の男が互いを「ボウイ」、「サザビア」と呼んでいたのだ。
深く考えたわけではなかったが、後から振り返ると運命だったと思える。
今では本名よりも馴染んでいるのだ。少なくとも戦士としてはボウイ・サザビアである。
戦士として出会い、仲間となっている五人には、引き続きボウイと呼ぶよう頼んだ。
一方、弟、クエリクの正式な名前は、クィルエリス・ラシク・メシュアルトウバである。
かつてクエリクの声が聞こえたのは、ボウイの力ではない。クエリクの力だ。クエリクが呼び掛けていてこそ、気づける。聞こえる声は微かなものだ。
以前には聞こえたといっても、ラシル・ファシスで五クアンも離れていない距離でのことである。
クエリクがリューにいたとしても、その声がボウイに届くかはわからない。
それでも、ともかくも、やってみるしかない。やらずに済ませることはできない。
その挑戦には静かな夜が良い。
今夜はこの村に泊まることになる。
ボウイの両親は少し戸惑いながらも、ボウイだけでなく、連れの五人も家に迎え入れた。
「タルメアへ行く途中だと言ったな?」
ボウイ達が居間に落ち着いたところで父親が尋ねてきた。
ボウイは両親、妹夫婦とテーブルを囲み、クードゥル達は居間の隅に置かれた長椅子にゆったりと座ってラシル・ファシス特産の茶を飲んでいた。どうやら茶は皆の口に合ったようで、顔をしかめて飲んでいる者はいなかった。
「そのつもりでしたが、先延ばしせざるを得ないようです」
「あそこには何もない。なんのために行くのだ?」
父親の言葉には何もないという言葉とは裏腹の、詰問するような強い調子があった。
ボウイは答える前に父、母、妹、義弟と、家族の顔を見回した。
義弟は妹と同い年だ。この村で生まれ育ったから、ボウイは幼い頃からよく知っている。
父親は昔から変わらない無表情でいたが、他の三人の顔は曇り、落ち着かない風があった。
「何もないことはないでしょう。神殿があります。それとも神殿は壊されたのですか?」
「神殿はかなり風化しているはずだ。いつ崩れてもおかしくない。そんな場所へ何しに行くのだ?」
ボウイは父親の物言いに何かを隠していると感じた。思いきって例の発禁本をテーブルの上に置いた。
「この本に書かれていることを確かめに」
父親はチラリと本を見ただけで、手に取ることはしなかった。
「子供向けの本ではないか。誰かの空想だ」
ボウイは何も言わず、父親の目を見つめた。
昔は父親に口答えはもちろんのこと、一切逆らうことができなかった。その視線の迫力に気持ちは引いた。
だが何度も死線を潜り抜けてきた今、ボウイは父親の視線に怯むことはない。
今では視線の強さも意思の強さも父親以上になっているのかもしれない。父と息子、二人の睨みあいに残る三人の家族は息をのみ、ついには父親が目をそらしたのだ。
あまりの気まずさに母と妹が話題を変えた。
「ラシル・ファシスでは、父親に話しかけるのに丁寧語を使うんだな」
クードゥルが客間に入るなり、興味深げに言った。
クードゥルとマツトウは客間、ペネロップとパメラはかつてのアミの部屋、ボウイとイードリはかつてのボウイの部屋と、その夜は三部屋に分かれて二人ずつ眠ることになったが、六人は居間からまっすぐ客間へと移動した。
五人にはボウイに尋ねたいことが山ほどあるだろうし、ボウイとしても今後のことを話し合う必要がある。
「俺が子供の頃には村長を勤めていたこともあってか、父は同じ屋根の下にいても遠い存在だった」
ボウイの答えに五人とも感心と不思議さの入り交じった顔つきになった。
ペネロップ、イードリ、パメラは血縁のある家族を知らないから無理もないが、家族を持つクードゥルとマツトウも似たような顔つきになっている。
「俺の親父には威厳なんざ、これっぽっちもなかったから、ガキの頃もタメ口きいてたぜ」
クードゥルが親のことを話すのは初めてだ。
「俺の父親も威厳はなかったな。学問にしか興味のない男だったが、良く言えば天真爛漫、はっきり言えば、中身は子供だった。今のイードリの方がまだ大人だよ」
マツトウが苦々しそうに言った。
そういえば、研究所にいた時もマツトウは父親の名前が出る度に腹立たしそうな顔つきになっていたと、ボウイは思い出した。ソルエ博士はマツトウの父親と旧知の仲だったから、時々話題に出たのだ。
「その話からすると、あんたが研究者になったのは親父さんの影響じゃないのか?実は似たもの同士で……」
そう言ったクードゥルはニヤついている。
「俺はあんな奴とは違う」
強い語気でマツトウは返した。
「その親父殿はご健在かい?」
マツトウの気持ちの高ぶりに、クードゥルが口調だけは穏やかに尋ねた。
「死んだという連絡はないから、生きてるんだろう」
マツトウの声の調子はそっけない。
「みんな、そんな感じなんだな」
クードゥルは真顔で頷きながら、ボウイを見た。
ボウイが三年間家族と全く連絡を取らなかったことは話してある。
「これからのことだが……」
ボウイは家族の話をしたくはなく、さっさと本題に入ろうと、五人を端から順番に見ながら口を開いた。
「タルメアへ行くつもりだったが、俺は弟を、ビーナ達を探さなければならなくなった。皆はタルメアに行きたければ、行ってくれ。俺の代わりの案内役は見つける」
「僕はもちろんマムを手伝うよ」
ボウイが言い終えるやいなや、イードリが言った。
「あたしももちろんマムを手伝う。ビーナ達を取り戻すのは大事なことなんでしょう?」
すぐにパメラが続いた。
「乗り掛かった船だ。アルデバ軍の動きが気に入らないしな」
クードゥルがいつもの気だるそうな調子で言った。
「クードゥルと同じ気持ちよ」
ペネロップだ。
「それに、あなたの顔色の変わりようから、弟さんがあなたにとってどれだけ大事な人かわかった。仲間として、手伝わずにいられない」
そう言いながら、ペネロップは笑みを浮かべた。優しい、だがどこか寂しさを感じさせる笑みだった。
「ビーナ達を救い出すことには賛成だが、俺は役に立たないだろうな……」
五番目にマツトウが呟くように言った。
「いや、あんたの知識が役に立つんじゃないか。アルデバ軍がビーナ達をなんのために連れ去ったのか、あんたには解けるかもしれないぜ」
クードゥルがそこまではマツトウに向いて言い、それからボウイに顔を向けた。
「あとはボウイが弟君の居場所を見つけることだ」
一番の問題は、それだ。
微かな声を聞き取るために、ボウイは真夜中近くの広場に佇んだ。
空には満天に星が輝き、リューも丸い姿を見せていた。人工的な光の少ないラシル・ファシスだから、アルデバ星系やバラン星系の惑星から見上げるよりも、星の輝きを強く感じる。
風が心地よかった。
ボウイの脳裏に過去が甦ってくる。
クィルヴィオスは、ラシル・ファシスの古語では「信念」を意味する。
そして弟の名前、クィルエリスは、「真実」だ。真実と名付けられた弟は、ラシル・ファシスに愛されたのか、ビーナとなる能力を持っていた。
そのことに最初に気づいたのは母親だった。この辺りは雨が少ない。その少ない雨が降る前日はグズリ方が違っていたのだ。
二歳には嵐が来ることを予知した。嵐がやって来る三日も前に怖がって泣き叫んだのだ。それがビーナだと認められるきっかけだった。
ビーナとしての村人への紹介は、満三歳で行われた。
喋れるようになると、「明日は夕方から雨」とか「雨、続くよ」、「明日も明後日もその後も、ずうっと雨降らない」と、天気を尋ねれば必ず教えてきた。
嵐や地震などの大きな変化は、はっきりとは予知できなくても、空の色や風の変化でなんとなく感じることが大半の村人にできたが、ビーナは細かにその土地の天気や天変地異を予知できる。
村人は農耕か牧畜を生業にしているから、天気の予知は大事だ。故に安定して天気を予知できる者はビーナと呼ばれ、村人に崇められてきたのだ。
だからこそ、そのビーナがいなくなったのは、村にとって大きな痛手だ。
この三ヶ月の間にも村から町へ去った一家が二軒あったという。
ぼんやりと空を眺め始めてどれくらい経ったのか。
風がボウイに纏わりつくように吹いてきた。ふっとその風に溶け込こんでしまうような気がした。
次の瞬間、微かに声が聞こえた。だが、クエリクではない。女の声だ。
ボウイは目を瞑って何も考えず、風に身を任せるように、ただ風の動きを感じるようにした。
少しずつ声が大きくなってくる。
――助けて。仲間を助けて。誰か、お願い。このままではみんな死んでしまう……
ついに聞き取れた内容に、ボウイはぎょっとした。思わず目を開けた。風が一段と纏わりつくようにボウイの周りに吹き荒れた。
「誰だ?」
――助けて。仲間を助けて。誰か、お願い……
「何処へ助けに行けばいいんだ?」
――このままではみんな死んでしまう……
会話はできないらしい。
ボウイは声に聞き覚えがないかと、昔の記憶をさぐった。覚えがない。
その間も同じ声、同じ言葉が何度も何度も聞こえてきた。
ふと広場を囲むドーム状の屋根の上に白い鳥が一羽止まっているのに気づいた。大型の鳥だ。
いつからそこにいるのか。
鳥はじっとボウイを見ていた。
突然鳥は飛び立った。まるでリューに向かうかのように、その方向へ高く飛んでいった。
――リューにいるのか?誰を助けろとは言わなかったが、ビーナ達のことか?
ボウイには「仲間」がビーナだと思えた。
風が止んだ。声も消えた。
ボウイをラシル・ファシスの大気が優しく包んでいる。
風が声を運んできたようだ。
ボウイはリューを見上げた。
クエリクならば、今の声が誰なのか、わかったのではないか。そう思うと、声を聞くことしかできなかった自分が悔しかった。
――ともかくもリューにあるアルデバ軍の基地へ行くしかない。今はもうクエリク達がいないとしても、やはりそこが鍵だ。どうやったら潜り込めるのか……
「このままではみんな死んでしまう」
その言葉の重みがボウイの頭に染み込んできた。
いったいどんな目に遭っているというのか。
勝手な話だが、その可能性は低いと感じつつも、ボウイは「みんな」がビーナ達ではないことを祈った。
それから六日後、ボウイ、クードゥル、イードリの三人はリューへ向かうシャトルの中にいた。リューのアルデバ軍基地へ月に一度、ラシル・ファシスから物資を運んでいるシャトルの中だ。物資の中身は、嗜好品から医薬品、衣料まで多岐に渡る。
主だった食料は基地内で栽培して賄っているが、菓子や酒類は兵士個人が軍の認可を受けているラシル・ファシスの業者に注文し、手に入れているのだ。
シャトルに潜り込めるのは三人までだった。
ボウイがアルデバ軍の購買代行と輸送を請け負っている会社の事務所を訪れ、ビーナ達を探すために基地へ潜り込みたいと言うと、快く協力を得られた。
父親の言った通りだった。基地へ行くこと自体はそれほど難しくない。問題はその後だ。
「兵士の士気は低いですよ。この辺りは戦場じゃありませんからね。半数はきっちり訓練を受けた正規兵ですが、みんな一息つくために来てる感じです」
白髪まじりの輸送会社社長は知る限りのことを教えてくれた。
「今は町に住んでいますけども、私も村の出身です。ビーナ達が連れ去られたというのは多いに気になっていることです。何か手がかりがないかと私なりに探ってみましたが、何もわかりませんでした」
シャトルに乗っている間にボウイは何度か広場で聞こえた声を思い返した。
今も誰の声かはわかっていない。
妙な話だが、その声は記憶の中で薄れるどころか、日に日に明瞭になってきていた。急がなくてはいけないという気持ちも日に日に強くなっていた。
「仲間を助けて」
その言い方は、助ける対象に声の主が入っていない言い方である。
――自分よりも仲間を優先してくれということか。それとも……
「まもなく基地へ着きます」
シャトルの操縦席から連絡があった。
シャトルは基地の中へ入るのではない。降りるのは基地の外にある発着場だ。そこから基地までは地下に動く通路があり、荷物はその通路に置く。
全てを機械任せにはできず、トラベレーターに荷物を置くのはシャトルの人員だ。ボウイ達は、そのための人員としてシャトルに乗った。
しかし荷物に紛れて基地へ侵入しようというのではない。荷物に身を隠せるような大きな箱はなく、監視カメラがトラベレーターの要所、要所に設置されているから、その策は無理なのだ。その辺りのセキュリティの高さはやはり軍である。
クードゥルが監視カメラをハッキングし、映像をすり替えることが選択肢の一つだったが、ハッキングできるまでにどれくらい時間がかかるかわからず、監視カメラの数も不明だ。
他にも何かビーナ達の行方を突き止め、連れ戻す方法はないか、ボウイ達は知恵を出しあった。
ビーナ達が連れ去られた理由も、今もリューの基地内にいるか、どこかへ移送されたかといった動きも、末端の兵士は知らないだろう。
運送会社の社員がビーナ達の行方を探ろうとしても何もわからなかったのは、彼らが接触できるのは、何も知らされていない末端の兵卒だからだ。
ボウイ達が知りたいことは、士官以上に聞く必要がある。
しかし士官連中は基地の奥に陣取り、なかなか表の方へ出てくることはない。
どうしたら、士官の誰かと話ができるのか。
請け負いの運送会社社長も加わり、ボウイ達があれこれ検討して採択したのは、気が咎めなくはないが、効率性と成功率の組み合わせが一番高いと思える策だった。
「あちら様が先に卑怯なことをやらかしてるんだから、気にすることはないぜ」
クードゥルのその一言で決まった。