第二十話 新プロジェクトの目的
「なんだって?俺の遺伝子を持っている?」
クエリクは大きく頷いた。
「ここにいる十人のうち、半分の五人は兄さんの遺伝子を持っている。僕と似ていると感じる……」
ボウイの頭にパム・プロジェクト研究所にいた頃の記憶が甦った。いくらでもボウイの遺伝子を採取できただろう。一度、ヘルスチェックとして血液検査を受けたこともある。しかし、遺伝子を検査することや遺伝子の使用を承諾した覚えはない。勝手に遺伝子を使われたことに頭に血が昇った。
――ソルエ博士、あなたはなんという……研究のためには手段を選ばないのか!許せない……こんなやり方は絶対に許せない……
怒りがさらに怒りを呼び、ボウイはその怒りのままスイッチを切った。
クエリクが駆け寄ってきたが間に合わなかった。
「確かに兄さんに黙って作られたけども、兄さんの子供といえるんだよ」
「子供というより、クローンだろう。違うか?」
クエリクは黙った。
「だからこそ、許せない。見逃せない」
「この子達、苦しむんじゃないの?」
クエリクがカプセルを向き、悲しそうな顔で言った。
「麻酔剤を投入する。苦しませはしない」
ボウイはシステムをさらに操作した。
「これもおまえが言っていたツケの一つだな」
ボウイも操作を終えるとカプセルを振り向いた。自分の遺伝子を持っていると言われても、カプセル内の赤子に情は湧かなかった。むしろ、耐え難いほどのおぞましさを感じていた。遺伝子的には全くの他人であるイードリとパメラの方が愛おしい。
バタバタと駆けてくる足音が聞こえた。
ボウイは身構えた。
イードリも素早く臨戦態勢を取った。
この展開は予想できたことだ。ボウイは危険とわかっていながら、自制することができなかったのだ。
扉を開けて入ってきたのは、見た目からして、皆、研究所の職員だ。五人いた。
「なんということを……」
三番目に入ってきた四十代と思われる細身の男がよろよろとカプセルへ向かった。
「せっかくの成果を……」
「ルールを守らずに研究を進めるからだ」
ボウイは冷たく言った。
男がボウイに向いた。
「まさか……ボウイ・サザビア?」
「その、まさかですよ。俺は自分の遺伝子を研究に提供するなんて文書に署名した覚えはない。しかし、責めるべきはあなたではなく、ソルエ博士でしょうね」
「ソルエ博士は君の能力を高く評価していた。だからこそ、新しいプロジェクトでは君の遺伝子を使いたいと……」
「新しいプロジェクトとは、結局のところ、パム・プロジェクトのやり直しなのですね?パルフェマーを作るという……」
男に少しためらいが見えた。
「それも目的の一つだ」
「ほう。他の目的とは?」
「最高機密だ」
ふっとボウイは笑いが出てしまった。
「こちらはおそらくもっと重要な機密を知っているんですが、まぁ、いいでしょう。あなたがケルダン博士ですね?」
ボウイの確認に男は首肯した。
「そうだ。私がケルダンだ」
「ソルエ博士は本当に入院しているのですか?」
ボウイの問いにケルダンの顔色が変わった。それまで青ざめていたのが、赤くなった。怒りではなく、悲しみのようにボウイは感じた。
「ソルエ博士の居どころを教えてください。本当の居どころを」
ボウイはケルダンを睨みつけながら言った。
ケルダンの視線がボウイからそれた。
その時、また駆けてくる足音が聞こえてきた。そのキビキビした動きにボウイは直感で民間の警備員ではなく、警官か兵士だと思った。アルデバ政府の機密を扱う研究所ならばこそ、である。
一見無防備な古い建物のようで、やはりシステムに異常操作を知らせるアラームがついていて、警官か兵士が常駐していたのだ。
――不本意だが、やるしかない。
ボウイは突然ケルダン博士に飛びかかり、その首に錐を突きつけた。
その素早さに、ケルダン博士以外の研究所職員、四人は身動きできず、目の前で錐を突きつけられたケルダン博士の姿にも呆然と突っ立ったままだった。
入り口に警官の制服を着た男女が現れた。ボウイがケルダン博士の首に錐の先端をつけているのを即座に認めたらしい二人は入り口で静止した。
「道をあけろ。ご覧のとおり、ケルダン博士は人質だ」
ボウイは逃げる算段を急いで脳内で組み立てながら、クエリクとイードリに先に部屋を出るよう合図した。ボウイがケルダン博士に錐をつきつけた状態で最後に警官二人の横を抜けて通路へ出た。
「しばらくそこを動くなよ。足音が聞こえたら、コイツが動く」
ボウイは錐を少し動かしてみせてから、クエリクとイードリのあとを追った。
警官は自分達が動けない分、応援を呼んだようだ。ボウイが向きを変える時に片耳を押さえながら微かに口を動かしているのが見えた。
ケルダン博士に錐を突きつけたまま、ボウイはクエリク、イードリに続いて階段で一階におり、入ってきた扉から外へ出た。
裏門に向かって走る。
予定では裏門の近くにクードゥルが車を停めているはずだった。そして、表門近くにはペネロップが。オルデム研究所に入ってから何が起こるかわからないと、用心のためにした手筈だ。
一番に裏門に辿り着いたイードリが姿が見えなくなる直前に手を上げた。クードゥルに合図したのだろう。
二番目に門に着いたクエリクは、外へ出る前に一度振り向いた。
ボウイはケルダン博士に後ろから右手で錐を突きつけ、左手で逃げないようにその左腕をつかんでいたから、走るというより早足である。どうしても動きは遅い。
後ろに足音が聞こえてきた。
その時イードリが再び姿を現した。右手に銃を持っている。
イードリはその銃をためらうことなくボウイの斜め後ろに向けた。警官を撃つ気だ。
ケルダン博士の足が止まった。
「あんたを狙っているんじゃない。撃たせたくなかったら、足を動かせ!」
ボウイはケルダン博士の耳元で怒鳴った。博士の足がまた動き始めた。
「イードリ、狙うのは銃を持つ腕だぞ。脅かすだけでもいいんだ」
ボウイの声にイードリは頷いた。構えた銃はびくともしない。
ボウイが門を出ると、目の前にクードゥルが運転する車があった。ちょうどクエリクが後部座席に乗り込んだところだった。ボウイはその後に続くようにケルダン博士を押し込み、自身も乗り込んだ。
すぐにクードゥルがドアを閉じる。同時に銃声が立て続けに二発轟いた。
ボウイが閉じたドア越しに見たのは、銃を手にしたまま門を走り出てくるイードリだった。
助手席のドアは開けてあった。そこにイードリが飛び込むように乗り込んだ途端、クードゥルは車を発進させた。ドアを閉じた時には、角を曲がろうとしていた。
「ペネロップにも退去するよう連絡してくれ。マツトウはドラクフ博士と一緒にいるから、たぶん大丈夫だろう」
ボウイはクードゥルに指示した。オルデム研究所へ行くにあたっては、あやしまれてはいけないと、無線系を身につけていなかったのだ。
助手席から振り向いてイードリが言った。
「ちゃんと銃を持っていた肩を撃ったよ。掠める感じで」
またしてもイードリに銃を撃たせたことを悔やむ気持ちを抑えこみ、ボウイは車の中でケルダン博士への追及を再開した。念のため、前の座席との間に透明な防音スクリーンを下ろした。どんな方向へ話が行くかわからないから、クードゥルとイードリに聞かせないためだ。
ボウイとクエリクに挟まれたケルダン博士はボウイの問いに従順に答えた。そして、その答えはボウイが予想しなかった内容だった。
「ソルエ博士は一月前に亡くなった。かなり前から具合が悪かったらしいが、病院へ行くよりも研究を……自身が立てた計画遂行を優先したのだ。公にしていないのは、それが博士の遺言だからだ」
「どうして秘密に?」
「一つは、パム・プロジェクトのためだろう」
「パム・プロジェクトのため?博士はとうにパム・プロジェクトを抜けていたのに?」
「結果はまだ出尽くしてはいないし、博士が生きている限り、プロジェクト復活の可能性もある。それがパム・プロジェクトから離脱する条件だった」
「あなたのプロジェクトにソルエ博士が関わるようになったのは、何故です?あなたが声をかけた?」
「いいや。声をかけてきたのはソルエ博士の方だ。私のやろうとしていることに役立つ情報があると……本当はご自身でやりたかったのだろうが、死期を悟っておられた……」
「ソルエ博士は何の病気だったのです?徐々に進行する病の大半は治療できるではありませんか」
「君たち二人はラシル・ファシスだろう。君たちには関係ないことだが、アルデバ系の我々には、今、直面している大きな問題がある」
ボウイは黙って博士の次の言葉を待った。
「もっと早くに気づかないといけなかったのだが、気づいたのは皮肉にもパム・プロジェクトで発生した問題からだ」
「免疫機能異常ですか?」
「それもあるが、それ以上の問題だ。細胞の老化が君たち、ラシル・ファシス人やコウリプ人に比べてアルデバ人は早い傾向にあるのだ。その原因をパム・プロジェクトを通してソルエ博士は突き止めた。しかし、それが意味することを博士は信じられなかった……」
「アルデバ人の遺伝子に人工的に操作された形跡があるということですね?」
驚いた顔でケルダン博士はボウイを見た。
「どうしてそれを……」
「我々はタルメアの地下都市へ行ったのです。そこでアルデバ研究所を見ました」
いきなり「アルデバ研究所」と聞いてもケルダン博士は怪訝な顔をしなかった。
「そうか……私は話に聞いただけだが、そこに確かにあるのだね、アルデバ研究所が……では、我々はラシル・ファシス人によって作り出された者の子孫なのか……信じたくないが……様々な証拠がそれを裏づけているとおりに……」
ケルダン博士は顔を手で覆った。信じたくない。今のアルデバ人なら誰もがそう思うだろう。
「我々の遺伝子はラシル・ファシス人やコウリプ人の遺伝子に比べると、遊びが少ない。当初はそれが我々が優れている証しだとされていた。しかし、違うのだ。純粋にアルデバ人同士による受精では世代を繰り返すごとに遺伝子が短くなっている。それは何故か?大事な何かを失っているからだ。それが自然に発生した変異だと思うには、多すぎるし画一的すぎる……」
ボウイはふと、それは計画的な操作だったのではないかと思った。自分たちよりも優れている可能性のあるアルデバ人を繁栄させないための、最終的には滅ぼすための。当たっているとしたら、それもまたひどい話だとボウイは思う。
「今や、純然たるアルデバ人はほとんどいないし、アルデバ人と認められる者同士の間に生まれる子供の多くが病に弱い。突然死も多い。それを乗り越えるにはどうしたらいいのか……」
ケルダンは顔を上げてボウイを見た。
「それが私がアルデバ政府から依頼された研究だ。そしてソルエ博士が出した対策の一つが、ラシル・ファシス人の遺伝子を研究すること、ラシル・ファシス人の遺伝子から必要な遺伝子を見つけることだった」
「ナザフやコウリプではなく、ラシル・ファシス人を対策としたということは、ソルエ博士はタルメアの地下都市にあるものを知っていた?」
ケルダン博士はかぶりを振った。
「いや、アルデバ研究所のことはご存知なかった。もともとコウリプ人よりラシル・ファシス人の方が我々に近いとわかっていたからだ。歴史的にもコウリプよりラシル・ファシスとの付き合いが長い。ナザフを対象にしなかったのは、一番アルデバ人との混血が進んでいるからだ。純粋なナザフ人の遺伝子を見つけるのが今となっては困難なのだ」
ボウイは運転席に座るクードゥルを見た。父方のアルデバのクォーターだといったが、母方にもアルデバ系の祖先がいて不思議はない。クードゥルの体格も筋力もアルデバ人の平均を上回っているとボウイは感じていたし、パイロットとしても、ハッカーとしても、スキルは相当な高さである。
「アルデバ研究所のことは、どの低度知っているのです?」
「ほとんど何も知らない。まさかと思いつつ、仮説として、過去における遺伝子操作をアルデバ政府の上層部に報告した後で、こっそりとある人物が教えてくれた。信じられなかった……」
「残念ながら、事実です。誰です、その、こっそり教えた人物とは?」
「言えるのは、アルデバ政府の上層部にいる人物というだけだ。名前を言っても、君たちは知らないよ」
「そんなアルデバ人がパルフェマーを作り始めた……どう思います?」
ケルダン博士は黙り込んだ。車は町の中を走り続けていた。
「君たちはどう思うんだ?」
ようやく口を開いたケルダン博士は逆に質問してきた。
「悪い歴史を繰り返していると思います。ラシル・ファシス人の今を知っているのに、どうして同じことをするのか、俺にはわかりません。あなたがアルデバ政府から依頼されたことは納得できます。しかしながら、お話からすると、それはパルフェマーを作り出した後だったのですからね」
「自分たちが戦いをやめることのできないのが嫌になったのだろう。ニオ・アルデバとの争いの原因を知っているかね?」
「方針の違いだと聞いているだけですね。どういう方針の違いがあるのかはよくわからない」
「そうだろうね。私もよくわからないのだから」
ボウイはケルダン博士の顔をまじまじと見つめた。クエリクも同じことをしていた。
「戦いを続けるための言い訳のような気さえする。どうしてそんなことになるのか。私自身はそれも変えたい……」
「ビーナの遺伝子データをどうするつもりです?ザムサから送られたサンプルとデータはあなたが受け取ったのでしょう?」
「ビーナについてはこれからだ。私はざっとデータに目を通しただけで、まだそのデータを消化できていない。君ともう一人選ばれた人物の遺伝子を使ってパルフェマー作ることを優先しろと言われたのでね……それに、ビーナのデータはフォウ・アルデバへ転送した」
ケルダン博士が一息に答えた内容にボウイは大きな疑問がいくつも頭に浮かんだ。
「選ばれたもう一人というのは?」
「名前は知らない。君の名前を知ったのはソルエ博士が教えたからだ。我々のもとには既に君の遺伝子があったんだ」
ボウイは面食らった。あまりに予想外のことだった。
――兄さん、落ち着いて!
クエリクの声が聞こえた。身体を触れてもいないのに、頭に響いた。
ボウイは、一つ深呼吸した。
「では……では、俺の遺伝子を使ってパルフェマーを作る計画は、ソルエ博士が持ち出す以前から動いていたということですか?」
ケルダン博士は重々しく頷いた。
「私がプロジェクトに関わった時に渡されたのが、君ともう一人、二種類の遺伝子サンプルだった。パイロットとして、兵士として非常に優秀な二人だと。君の遺伝子がソルエ博士からも提案されたという偶然の一致に、私は君の遺伝子を使うことこそ、成功の要だと思ったよ」
ボウイは冷水を浴びたような気分だった。自分の知らないうちに、様々なことが進行していたことに暗闇に落とされたような恐怖を感じた。
――もう一人はいったい誰だ?
「もう一人の遺伝子は、発生率は良いのだが、一年未満に大半が死亡し、君の遺伝子を元にしたパルフェマーは発生率は低いものの、発生後の死亡率は低い。そんな結果が出つつあった……」
ボウイは気分が悪くなっていた。しかし、ケルダン博士に尋ねないといけないことがまだまだある。
「ビーナの遺伝子データはフォウ・アルデバの何処へ転送したのです?」
「政府庁舎だ」
「宛名は?」
「枢密卿の第一秘書」
首相でも大統領でもなく、閣僚でもない枢密卿に位される人物が、アルデバ政府の真のトップだということはボウイも知っていた。
最終的にはアルデバ本星へ行く必要が出てくるだろうと思っていたボウイとクエリクだが、ケルダン博士の答えに目的地が明確になった。
「何のために?そこにもノツワ研究所のような施設があるのですか?」
「私は聞いたことがないが、研究施設があっても不思議はない」
「あなたに提供されたもう一人の遺伝子というのは……」
ボウイが更にケルダン博士に質問しようとした時、クードゥルがスクリーンをこんこんと叩いた。ボウイはスクリーンを上げてクードゥルに尋ねた。
「どうした?」
「いつの間にかつけられている。二つ後ろの白い車だ」
ボウイはちらりと後ろを見た。間に入っている車が邪魔をして運転手の顔はわからなかった。
「しかも、つけているのは一台じゃない。さっき灰色の車を巻いたんだ。そしたら、今度は白い車が出てきた。そのうえ、さっきからペネロップと連絡が取れない」
ボウイはトゥルヤに向かうシャトル内にいた目つきの悪い大柄な男を思い浮かべた。追跡しているのは、おそらく奴らの仲間だ。今までは襲撃してこなかったが、ケルダン博士を人質として逃げている今は方針が変わったかもしれない。
「奴らはアルデバ軍なのか、アルデバの『政府筋』なのか……」
ボウイが呟いた時、クードゥルが右の耳につけているレシーバーを抑えた。次には顔色が一気に青ざめた。
「なんてこった……」
ボウイはクードゥルが教えるのを待った。
「今、変わる」
クードゥルはレシーバーをはずして無言でボウイに手渡してきた。
クードゥルからレシーバーを受け取りながら、ボウイはどんな悪いことを聞かされようと動揺してはならないと、自身を引き締めた。
耳につけたレシーバーからは、知っている声と名前が聞こえた。まさかこの状態で聞くことになるとは思ってもいなかった声と名前だ。
「ボウイ・サザビアだな?私はラルテインだ。おまえの仲間、ペネロップ、パメラ、ドラクフ博士とマツトウをこちらの人質としていただいた。取引しようではないか」




