前世を思い出した私は、ドアマットヒロインにはなれない
誤字報告ありがとうございます!
侯爵家当主の名前がポロポロ違ってました。
全部カイトに修正しました。漏れがあって違う名前の部分があったらすみません!
私が前世というものを思い出したのは、こちらの世界で長らく闘病していた母親が亡くなった三日後のことだった。
名前は忘れてしまったが、以前は日本という国で生を受けていて、最後の記憶は三十歳の誕生日を仕事終わりに一人で自宅で祝いながら、度数の高いアルコールを摂取しまくったというもの。
そこからの記憶がないということは、おそらくそのまま天に召されてしまったのだろう。儚い人生だった。
恋人はいなかったが、仕事はすごく楽しく、全体的に充実した人生だったように思う。
まあ、最期がアレな感じなので、両親には申し訳なさ過ぎるけど。
で、そんな私が生まれ変わったのは、日本とは全く異なる世界。中世ヨーロッパ的な世界といったところだろうか。
その中のとある王国の、比較的裕福な伯爵家の娘アリシア・サティスファイとして生を受けていた。将来は女伯爵となる予定だが、まだ未成年の為、今のところはただの貴族令嬢に過ぎない。
何故急にと思ったが、母を亡くしたショックが引き金となって、前世の記憶が呼び起こされたのかもしれない。
前世を思い出す前のアリシアは、未来の領主としての能力値的には高いのだが、かなり大人しく控えめな性格で、間違った行いをする使用人に対しても強く言えず、その点を生前の母も気にしていた。実際屋敷の者達には舐められている節があった。
けれど、前世の私はそんなアリシアとは真逆な性格だった。
会社ではそこそこ出世できていたけど、女性が昇進することをよく思わない時代錯誤な人間は多く、嫌がらせや悪口は日常茶飯事だった。
メンタルが弱かったらやっていけないような環境だったし、私の勝気な性格も相まって、その人間を叩き潰しながらのし上がっていった。
そんな私が、アリシアになったのだ。
こちらを舐め切って、私の物を着服したり、仕事をさぼってもしれっとしていた使用人は問答無用で叩き出したし、注意しても改善の意志が見られない者達も即刻解雇した。
当然次の職場への紹介状などない。
アリシア様が変わられた……! と、屋敷で噂になったが、母の死をきっかけに強くなったのだと解釈され、特に問題なくアリシアとして生活している。
そんな私は現在十四才。
兄弟はおらず、この国の成人に当たる十八歳になって、私が母の後を引き継ぎ伯爵位を賜るまで、父が後見人となり伯爵代理となることが決まっていた。
が、この父親というのが最悪で、まともに会話したためしがない。
昔からふらふら遊び歩いていて、母も何度か苦言を呈したらしいが聞くこともなく、そのうち諦めて放置するようになっていた。
勿論それは母が病気で臥せっている時も亡くなった後も変わらず、母の闘病中から伯爵代理となっていたのだが、仕事はまったくせず、私が次期伯爵家当主として母から教わったように必死で仕事をこなしているのに、最終的な責任者となる父は、書類の中身を見もせずただ判を押すだけ。
それどころか近年は私に判を預け、押すことすら面倒だから代わりに押しとけと言ってくる始末。
まあ、だからこそ、使用人の解雇も彼の承認を得ずともスムーズにいったんだけど。
そのくせ、俺は伯爵だと偉そうに振る舞う。
この前は領地内の飲食店で、俺は伯爵だから無料にしろと無銭飲食をしでかしたらしく、当然その店舗には後で色を付けて支払いをしたけれど、そんなことを各方面で繰り返しているので領民からの信頼もゼロに等しい。
あと、伯爵ではない。あくまで代理なのだが、もしかしたら本人がそのことを分かっていないのかもしれない。
正直あの男がいるだけで、サティスファイ家の評判がどんどん落ちていくようで、まさに百害あって一利なしだ。
なので害虫はさっさと追い出すべく、私は前世を思い出してすぐ、彼がいかに伯爵代理としてふさわしくないかの証拠や証人を集め始めた。
その矢先に、またもあの男は特大のやらかしをお見舞いしてくれた。
母が亡くなって二週間後。
まだ喪も明けていないというのに、意気揚々と、密かに囲っていたらしい愛人とその娘を家に連れてきたのだ。
父が女だてらに伯爵位についている母が生意気だと、あまり好きではなかったのは知っていたので、愛人がいたのには驚かなかった。
けれどとち狂った父は、その愛人の女ルーシェルを妻に、その娘のリリアンを義理の娘として家族に迎え入れると、使用人たちもいる前で宣言した。
父は、母を思い起こさせる、夜の帳の色をした長いストレートの髪とお揃いの色の瞳を持つ、冷たい美貌と称されることもある容貌の私を疎んじていた。
逆にリリアンは、明るい太陽の色の髪と夏の海を思い起こさせる水色の瞳を持つ、天真爛漫で明るい雰囲気を持つ美少女で、私とは正反対だった。
その為父は血が繋がっていないにもかかわらず、私と同い年のリリアンを気に入って可愛がっているのが、初見でも感じられた。
そして父は既に婚姻届けを提出していることと、これからは家のことは女主人となるルーシェルに任せると私たちに告げた。
そのまま父は新しく家族になったらしい二人を置いて、自分は仕事に行くからと出て行ってしまう始末。
当然使用人たちは、事態は呑み込めたが非常識な父の行動を理解できず、場は混乱を極めた。
そんな状況にもかかわらず、ルーシェルという女はある意味豪胆なのか、さっそく女主人として振る舞い始めた。
「いいこと? これからこの屋敷に関する全てのことは、この私が取り仕切るわ。まずそこのお前! 前妻の娘をこの家においてあげるなんて、あの人もお優しいこと。けれどお前をこの伯爵家の娘と、私は認めないわ! 伯爵家を継ぐのはここにいるリリアンよ。お前は今日から下働きよ。部屋は屋根裏部屋に移動ね。さっさとその綺麗な服を脱いで使用人の服に着替えて、ボロ雑巾になるまで働きなさい!」
私はあまりにも頭のネジの吹っ飛んだ言い分に、彼女を咎めることもできず、しばし呆然としてしまった。
なぜならリリアンには伯爵家の血が一滴も入っていないのだ。そんな彼女がこの家を継ぐことはあり得ない。正式な継承者は私しかおらず、その私がいなくなれば伯爵家は取り潰しになるだけだ。
その上、私が屋根裏部屋に移動する理由も思い当たらないし、使用人の服に着替えて働く、というのも理解できない。
そういった家の細々としたことをしてもらうために、屋敷には使用人がいるのだ。
それにただでさえ私は、次期伯爵家当主として抱えている仕事が山ほどある。
とにかく、この女は一体何を言っているのか、私には理解不能すぎて、何も言えず固まっていた。
そんな私を、ルーシェルの後ろにいたリリアンが、楽しそうに嗤って見ている。
そして固まってしまった私に業を煮やしたのか、ルーシェルがコツコツと下品なヒール音を響かせながら近付く。
三十代半ば程の彼女は、リリアンの母親なだけあって、非常に美しかった。けれどただそれだけだ。
身につけた真っ赤なドレスは大きく胸元が開いたタイプで、足には深くスリットが入った扇情的なデザインだ。濃い目の化粧を施した派手顔のルーシェルには似合っているが、まるで娼婦のようだとぼんやりと考える。
そんなことを私が思っているとは露知らず、ルーシェルは私の前でピタリと止まると、上から下まで無遠慮に眺め、次の瞬間、
「何とか言いなさいよ!!」
そう怒鳴りつけ、突然手を上げて私の頬を叩いた。
たかが女性の平手打ちだったので大してダメージはなかったが、フリーズしてしまった自身を再起動させる決め手にはなった。
というわけで、主人を助けることなく固まっていた使用人に、後で誰が彼らを雇っているかをしっかり再認識させようと心に決めながら、私は命じた。
「この私に手を上げたそこの無礼な女を、すぐに捕らえなさい」
威圧感たっぷりの貴族令嬢然とした姿に本能的な恐怖を覚えたのか、使用人たちは速やかにルーシェルを拘束した。
ルーシェルが何か喚いているが、どうせ罵詈雑言の類だろう。うるさいのでとりあえず地下牢にでも入れておくように命じると、彼女は使用人に引きずられるようにしてここからいなくなった。
さて、ここにはもう一人邪魔な人間が残っている。
彼女はまだ私に何かしたわけではないが、先ほど嫌な笑顔を向けていたことを忘れてはいない。
どうせ彼女もルーシェル同様、放置していてもろくなことにならないので、連帯責任ということで同じ場所に連行させるかと考えていたところで、ずざざざざっという音と共に猛スピードで私の目の前に何かが飛び込み、その物体が床に這いつくばった。
ちなみに物体は、リリアンだった。
彼女は跪いて額を床に思い切りすりつけながら、
「申し訳ありません! このような失態を犯してしまった母を許してほしいとは言いません。ですがどうか私だけはお許しいただけないでしょうか!? 土下座如きで許されないのは重々承知ですが、足りなければそのおみ足で踏みつぶしていただいて構いません! 靴を舐めろと言われれば舐めます。出て行けと言われれば喜んで出て行って二度と顔は見せません。ですのでどうか、どうかご慈悲を……!」
と、懇願の声を上げた。
突然のことに、私はさっきとは別の意味であっけに取られてしまった。
先ほどのこちらを馬鹿にした笑いから一転して、自身の保身のため謝罪するその変わり身の早さ。当然それにも驚いたのだが、注目すべきは彼女の今の姿だ。
このスタイルは、まさしく土下座だ。
まさかこの世界でそんなものにお目にかかるとは思わなかった。しかも彼女、はっきりとこれを、土下座だと口にした。
つまり、もしかしたらこのリリアンも私と同様、前世の記憶を持つ人間なのではないかと。
どうしたものかと、私は未だに顔を上げないリリアンを眺める。
少し話をしてみてもいいかもしれない。
それに、靴を舐められるのは勘弁だけど、母親はともかく自分だけは助けてくれ、という身勝手極まりない言い分は、私は嫌いじゃない。
彼女なりに、ルーシェルを切り捨てた方が自身の生存率が上がると考えたのだろう。
そしてその考えは概ね正しい。
「リリアン、顔をお上げなさい」
私がそう言うと、おずおずと見上げたリリアンの瞳と目が合う。けれどもその目には怯えだけでなく、絶対に生き残るという強い意志が見て取れた。
うん、やっぱり嫌いじゃない。
私はにこりと微笑むと、
「あなたの処分についてはとりあえず保留にするわ」
その言葉に彼女の頬が緩みかけたが、それも一瞬のこと。すぐに表情を硬いものに戻し、
「ありがとうございます」
再度土下座をした。
いつまでも床に這いつくばらせる趣味はないので、それはもういいからと彼女を立たせた後、私は一番近くにいた使用人に耳打ちをする。
「カイト様に至急ご相談したいことがあるから、何とかお時間を取ってもらえないか先方へ確認してちょうだい」
カイト様とは、母の従兄に当たる方だ。現在は侯爵家の当主で、隣の領地に居を構えている。私も面識はあるし、父があのような人なので何かと気にかけてもらっている。
使用人が急ぎ足でカイト様の元へ向かったのを確認してから、私はリリアンを客間へと招き入れ話を聞くことにした。
「毒なんて入っていないわよ」
突然客間に連行され、最高級の茶葉で入れた紅茶と軽食や色とりどりの小菓子を目の前に並べられ、困惑と警戒の色を浮かべていたので、苦笑交じりにそう告げると、おずおずと手を伸ばしてカップを口につけ感嘆の声を漏らす。
さて、ここからが本題だ。
私は部屋に残っていた使用人全員に、外に出るよう命じる。得体のしれない少女と一緒に残すのは……という視線を感じたが、黙って立ち去った。
やがて足音が完全になくなったのを確認し、ズバリと本題に切り込む。
「さっきあなた土下座という単語を使っていたけど、もしかしてあなたも前世の記憶を持つ転生者、という口かしら?」
するとリリアンが驚いたように大きな目を更に見開き、ついでにぽかんと口も開けた。
「えっと、土下座とか転生者とかって単語が出てくるってことはもしかしてアリシア様も、その……」
「ええ。私も転生者よ。前世を思い出したのは二週間ほど前だけど。それであなたはどうなの?」
するとリリアンは、興奮からか更にかっと目を真ん丸に見開くと、早口で色々とまくし立てはじめた。
「私はさっきぶたれたアリシア様を見ていたら急に頭が痛くなって、そしたらなんか前世的なことを思い出して、ついでにここが私の愛読書の小説の世界で、私は主人公を虐めるリリアンになってて、このままじゃ首チョッキンされる未来確定だと思ったので、謝ったらまだ許してもらえるんじゃ的なノリで平身低頭謝罪したって感じです!! いやぁ、でもアリシア様、小説と全然雰囲気違うなって思ってたら、前世持ちだったんですね。儚げ主人公のアリシア様なんて見る影もないし、もしかして小説の世界っていうのは私の勘違い?? とか思っちゃったりして……」
「ちょっと、ちょっと待って!」
尚も止まりそうにないリリアンを、貴族令嬢としてははしたないけど、かなりの大声を出して無理やりに止める。
彼女はぽかんとした表情になっているけど、それは私の方だ。
なんか今、知らない話がどばっと彼女の口から出てきた気がするんだけど。
頭を抱えながら、私は気になったことを聞いていくことにする。
「その、まずここが小説の世界っていうのはどういうことなの? それから私が主人公とか」
私の言葉に、リリアンははっとした表情になった後、バツが悪そうに頭を掻く。
「あー、そうか、そうですよね。あの小説自体結構マイナーだったし、内容を知っている方がレアというか」
そうして彼女の口から語られたのは、驚くべき事実だった。
リリアンは前世で気に入っていた小説があったそうだ。
その内容と、今自分たちのいる世界が酷似している……どころか、用語や設定がまったく同じなんだそう。
その物語の主人公の名前は、伯爵家のご令嬢で次期女伯爵となるアリシア・ブランシェス。
彼女の母の死の二週間後から物語は始まる。
突然父親が連れてきた継母ルーシェルと義妹リリアン、そして実の父にも気の弱いアリシアは虐げられ、反撃しないのを見た使用人たちにも馬鹿にされ、誰にも相談することもできず心身ともにボロボロになる。
そんな日々を数年過ごした後、貴族ならば全員参加が義務付けられる王城での第二王子殿下の誕生日を祝う夜会で、その第二王子と知り合ったことをきっかけに彼に助けられ、王子が父親以下略を処刑という形で成敗し、アリシアは王子と幸せになりました、というものらしい。
当然私がその不幸を一身に背負った主人公で、目の前でリスのようにお菓子をほおばっているのが意地悪な義妹のリリアンだ。
あの場で急に記憶を取り戻した彼女は、混乱しながらも即座に小説の世界と同じだと認識したうえで、本来なら虐められるはずの気弱なアリシアが全く小説通りではなく、ルーシェルが早々に地下牢に連行されたのを目の当たりにし、このままでは原作通り処刑されて死ぬ……どころかそれより前に抹殺されると思い、身を投じて全力で保身に走ったのだという。
ちなみにだけど、リリアン的には、ルーシェルを見殺しにするのは全く心苦しくないらしい。
それは前世を思い出したのもあるが、そもそもルーシェルを母親として全く慕っていなかったようだ。
幼い頃からルーシェルは色んな男性と頻繁に遊んでおり、幼いリリアンが一人で何日も留守番することも多かった。そしてリリアン自体、誰の子供か分かっていないようで、ルーシェル自体も彼女の存在を持て余していて、あわや奴隷商人に売られる一歩手前だったらしい。
けれど私の父と出会い、リリアンごと好まれたのを察し、売るのを止めたのだという。
最後まで話を聞き終わった私は、やはり頭を抱えていた。
彼女の話はおそらく本当だろう。
小説の世界と酷似しているのは、私も理解できた。何もかもが一緒だ。
そしてリリアンのあの身の変わり様も納得できた。
が、私が解せないのは別のところだ。
「その小説の面白さが、私には全く分からないんだけど」
主人公が自分から状況を打破しようと動くこともせず、結局助けてもらったことで幸せになりました、なんて、あまりにも受け身すぎるのではないか。
しかもアリシアは貴族令嬢だ。ある程度の処世術は、今十四歳のアリシアも母から学んでいた。
それなのにただ流されて不幸になって、私は耐えるしかないのとよく分からない忍耐力をそこで発揮して、夜会に行って王子様に見初められて、実は私虐げられているんです……とポロリと涙を溢したら、王子様が助けてくれて幸せになりました、と。
分かるよ? 彼女がまだ未成年だってことは。
だけどこの世界での貴族というのは、幼い頃より既にたくさんのものを背負わされていて、自分で考えて行動することを常に求められている。たくさんある物語のように、ふわふわしながら幸せになりました、なんて、ないに等しい。
人生そんなに甘くないのだ。
ついでに言うと他人に助けてもらえるかどうかなんて運次第だし、なら欲しいものは自分で手を尽くして掴まえたほうがよほど確実だ。
小説通りにしていれば、きっと私は数年後にイケメン王子と出会って助けてもらって結婚とかするんだろうけど、そもそもそんなに我慢できない。
しかも理不尽な仕打ちに耐えるとか、私には無理だ。
私が解せぬ、という顔をしているのを見て、リリアンは苦笑しながら、その小説のどこが良かったかを、ズバリと一言でまとめた。
「挿絵の王子様がイケメンだったんです」
ついでに、絵以外はイマイチで全然萌えなかったです、とも付け加えた。
ともあれ、前世を思い出したリリアンは、どうやら小説の様に私に歯向かうつもりはないようだ。危険がないなら彼女の望み通り、そのまま放逐してもいいんだけど、ここで前世持ちの彼女と知り合ったのも何かの縁だし、何より彼女と過ごすのは楽しそうだ。
けれど、このまま義理の妹として関係を築くことは不可能だ。
伯爵代理として無能で不必要なあの男を追い出す準備は、ほぼ整いつつある。そして先ほど使用人にカイト様の元へ行かせたのは、この話をする為だった。
それが成立すると、父である男は伯爵家の人間ではなくなる。元は子爵家の出だが、折り合いが悪く、そちらへ戻るのは不可能だろう。
そうなるとあの男は、ただの平民になるしかない。
そしてただの平民と結婚したことになるルーシェルが伯爵家の一員になることはできないし、リリアンも私の義妹にはなれない。
ちなみにリリアンの話す小説の世界では、王子がこのことを思い付いて、秘密裏にカイト様を伯爵代理に変更、そして父たちを追い出すだけに飽き足らず王族の権限を以て処刑にまで持ち込んでいた。
どうやら考え付くことはその王子と同じらしい。が、当然白馬の王子様の登場を待つまでもなく、私が自分の手で処分をする。
そんな訳で、ルーシェルとあの男は適当に追い出すにしても、リリアンを同じ目に遭わせたくはないので、私はある提案を持ちかけた。
「あなたさえ良かったら、私の専属の侍女として働かない?」
覚えないといけないマナー等は多いので、これまで馴染みのなかったリリアンには大変かもしれないが、福利厚生は充実しているし、給与もかなり良い。
それに、一緒にいればそのうちリリアン好みの容貌を持つ第二王子にお目見えする機会もあるかもしれない。
するとリリアンは目を輝かせ、一も二もなく飛びついた。
「私で良ければ喜んで! 犬とお呼びください」
「……だから、そういうのはいいから」
こうして私はリリアンを侍女として招き入れることになった。
それからもしばらくはリリアンと小説の話や前世の話で盛り上がり、気付けば夕方になっていた。
名残惜しいがいったん話を終え、部屋を出たところで、先ほど使いに出した使用人が戻ってきたと報告を受けた。
カイト様の方からすぐにこちらへ来る、と言付けを預かり、なんならその伝令を持って帰った使用人と共にこの屋敷にやってきたそうだ。
私は急いで彼が通されているという部屋へ向かう。
私が入室すると、座っていたカイト様は立ち上がり、こちらを気遣うような微笑みを向けた。
「アンリの葬式以来だな」
アンリとは母の名前だ。
カイト様は私の母より五つ年上で、すらっとした体躯のイケオジだ。領主としても立派な方で、だらしなくおなかが出ていて能力も皆無のどこかの狸親父とは何もかもが大違いだ。
私の母様は、あんな父のことを実は心の底では愛していた。だからあの男が能力的に足りないと分かっていてもきっと娘を手助けしてくれると信じて、カイト様に頼むべきか悩み抜いて、結局父を伯爵代理に任命したんだと思う。
最初からカイト様に頼んでいたらこんな面倒なことにはならなかったんだけど、そのおかげでリリアンと出会えたのだから、まあ良しとしよう。
そんなリリアンは、さすがにこの場に侍女としておいておくには早いので、とりあえず侍女としての仕事を他の人間に教えさせている。
「お久しぶりです、カイト様。この度はわざわざご足労いただき、ありがとうございます」
そう言った後、私はカーテシーを披露する。
たったそれだけのことなのに、カイト様の表情が変わり、私を穴が開くほど見つめる。
「驚いたな。少し見ない間に見違えたよ。当主になる為の貫禄が既に備わってるじゃないか」
そういえばこの方とお会いした後に前世を思い出しているから、今の状態の私で会うのは初めてだった。
けれど不自然には思われていないようで、私は少しだけ目に陰りを落としながら答える。
「あのような気弱な心持ちのままでは、とてもじゃありませんが母も安心して天国に昇れないと思いましたので」
これはアリシアとしての本心でもある。
あの人は母としても領主としても立派で、私はとても尊敬していた。だから、そんな彼女に恥じない自分になる為にも、記憶を思い出してよかったと思っている。
記憶の中の母の微笑みを思い出し、けれどすぐに表情を引き締めると、カイト様と向き合う。
「本日は折り入ってカイト様にご相談したいことがあります。私の話を聞いていただけますでしょうか?」
カイト様は昔から我が家の事情をよくご存知で、当然伯爵代理となった父がまともに責務を全うできるか、不安視していた。けれどよその家のことなので、親戚とはいっても、こちらの方からなんらかのアクションがない限りそう簡単に介入できない。
母の葬式の時にもそれとなく、困ったことがあったら相談するようにと言われていたが、前のアリシアは思っていても言葉にできなかった。
だけど今は違う。
カイト様は私が何を言いたいのか、雰囲気で察したのだろう。
「勿論だ。その為にここまで来たのだから」
そう答えると、元の椅子に腰かける。
その様子を見てから私も向かいの椅子に座り、さっそく本題に入る。
「実は私の父のことなんですが……」
現在までの父の状況や、まったく働いていないこともそうだが、貴族としての自覚もないし、その上勝手に再婚までして、あの男に今の地位を与えていてもろくなことにならないから、さっさと追い出して、代わりにカイト様に私の後見人になってほしいと伝えた。
カイト様は初めは私の話をとりあえず黙って聞いていたが、予想以上の駄目さ加減に額がピキピキしだし、再婚の話になったところでついに我慢できなかったのか、明らかにキレているお顔で唸り声を上げた。
そして話が終わるや否や、私がお願いするまでもなくカイト様はすぐに後見人の件を了承してくれた。
侯爵家の当主としてカイト様もお忙しい身なので申し訳ないと思ったけど、彼には既に成人済みの立派な嫡男がいて彼が采配していることもあって、カイト様自身は割と手が空いているらしい。
だから、しばらくはあちらを留守にしても問題ないからと、一か月ほどこちらに滞在もしてくれるそうだ。
そうと決まれば、一刻も早くあの男から伯爵代理の座を奪うべく動かなければと身を乗り出したので、私は集めていた証拠をまとめたものを、カイト様の目の前に置いた。
「これは……」
素早く目を通したカイト様は、何ともおかしそうに唇を緩める。
「なるほど、こうなることを見越して早々に証拠を集めていたのか。これほどまでに揃っているのなら、すぐに承認されるだろうな」
後見人の変更には、王都にいる貴族を取りまとめる職にある監査役、並びに王家の承認がいる。
提出された書類を確認し、真偽のほどを確かめに監査員が派遣され、彼らが認めることで正式にあの男を伯爵代理という地位から解任させることができるのだ。
証拠は十分だし、王都までは半日の距離だから、移動に時間を食うこともない。
諸々の手続きを考えると、最速で一週間ほどで処理されるだろう。
この書類に、後見人をカイト様に変更したい旨を追加し、すぐに王都へと書類を運ぶよう手配した。
と、ここであの男が帰宅したと使用人から報告があった。
早くても一週間で追い出せるとはいえ、正式な決定が下るまでの間野放しにしておくのも嫌なので、本当はルーシェルの隣の独房にでも放り込みたかったのだが、あの男は私を直接的に攻撃したわけじゃないし、ルーシェルの様に罪人扱いはできない。
仕方ないので彼の自室に軟禁するよう命じる。
そしてカイト様を伴って部屋へ向かうと、叫んでいる赤ら顔の狸親父の姿があった。こちらに詰め寄ろうとするが、屈強な兵にがっしりと羽交い絞めにされてそれは叶わない。
仕事に行く、と言ってはいたが、どうせ飲み歩いていただけだろう。この距離でも分かる酒臭さに思わず顔をしかめていると、途端に怒鳴り声が飛んでくる。
「おい、どういうことだ!! わしは伯爵様だぞ!?」
伯爵様ではなく、期間限定のただの代理だ。
しかし訂正するのも面倒で黙っていると、汚らしく唾を飛ばして尚も叫び続ける。
「何の権限があってお前如きがこのようなことをするのだ! さっさとここから出せ……」
と、ここで私の後ろにいるカイト様にようやく気が付いたようで、途端にさっきまでの威勢がなくなり、代わりに媚びるような気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「これはこれは、侯爵様ではありませんか。お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。これは何と言いますか、家族内での喧嘩のようなものでして、どうぞお気になさらないでください」
しかしカイト様は苦笑すると、
「いえ、そういう訳にもいかないんですよ。なにせ私はアリシアの新たな後見人候補ですからね」
「え? 後見人、ですと? アリシアの?」
カイト様の言葉に、父の動きが止まる。
そりゃあこの男にしてみたら意味が分からないだろう。だって私の後見人は自分のはずなのに。
困惑気に目を忙しなくキョロキョロ動かす父に、私はどうしてこうなったか、端的に解説して差し上げることにした。
「つまりあなたが伯爵代理としてふさわしくないと判断し、あなたを解任し、代わりにこちらのカイト様を新しく伯爵代理として任命していただくよう王都に書類を送り、現在は王都からの承認を待っている次第です。なので結果が出るまで、あなたにはこの部屋でおとなしくしていてもらいます」
そして、王都に送ったものの控えとして持っていた、解任がふさわしいと判断した証拠や証人が記載された書類を、彼の足元にばさりと投げた。
私が目配せすると、拘束していた兵が警戒しながらも拘束を解く。父は慌てて書類をひっつかみ、血走った目で確認していき、読み進めていくごとに顔色が真っ青になっていく。
「私も正直驚きました。あなたの伯爵代理としての行いがいかに愚かだったか、次から次へと証人が出てきましたから。それに、伯爵家のお金を着服して、ルーシェルに貢いでいたようですね。そちらの証拠もしっかり残っていました」
「待て、これはその、皆の勘違いというか、意見の相違というかだな……」
脂汗に塗れていく狸親父が、ここで初めてルーシェルのことを思い出したのか、
「おい、ルーシェルはどうした? それにお前の義妹の可愛いリリアンは」
「ああ、ルーシェルなら、立場が分かっていないにもかかわらずこの私を叩いたので、即刻地下牢送りにしました」
「なんだって!? お前、よくも……」
書類を投げ捨て、今度は怒りで顔を真っ赤にした父が私に飛びかかろうとするが、当然気配を察知していた兵に取り押さえられ、地面に倒される。
「で、リリアンなんですけど。……お入りなさい」
私がドアの方に声をかけると、伯爵家の使用人の服に着替えたリリアンがやってきた。
その瞬間、目の前の男の瞳に下卑た光が宿るのが見えた。
ああ、なるほど、そういうことか。
顔合わせの時のにやにやした表情といい、リリアンを可愛がっている、というのは単に娘としてではないようだ。
そしてそのことに、リリアン自身もとっくに気付いているみたいだった。
「おぉ、わしの可愛い愛しのリリアン! その服は一体どうしたんだ。もしやアリシアにメイドとして働けと命じられているのだな!? おい、義理とはいえ妹に向かってなんて仕打ちだ!!」
しかしこれに答えたのは私ではなく、他ならぬリリアンだった。
「私はアリシア様の慈悲により、本日付けでアリシア様専属の侍女となりました。私の美しくも聡明であらせられる、崇高なる女王さ……ご主人様に対するその物言いを、訂正してください!」
なんか、今女王様って言いかけたよね? そういう意味のだよね?
彼女は下僕願望でもあるのだろうか。残念ながら私にはそっちの趣味はないんだけどと思いながら、とりあえず口を挟まず黙って見守る。
可愛がっていたリリアンにそのように言われた父は、愕然とした様子で、縋るような表情で唇をわなわなさせながら、リリアンに向かい手を伸ばす。
「う、嘘だよな、わしの天使のような愛くるしいリリアンが、この女に忠誠を誓うなど……」
が、当然リリアンがその手を取ることはない。
むしろ蛆虫を見たかのように可愛い顔を極限まで歪めると、吐き捨てるように言った。
「私はあなたのリリアンではありません。あと、前から思っていたんですけど、あなたが私を見る目、ずっと気持ち悪かったです。あなたに可愛いとか天使のようだとか言われて、鳥肌が立ちます」
「なっ!?」
言ってやった、とどこか清々しい顔のリリアン。
どうやら、自身の生活の保障をしてくれる新しい父親だし、相手は曲がりなりにも貴族の人間だからとこれまで人知れず我慢していたようだ。
さて。
リリアンも言いたかったことを言えてすっきりしたようだし、いい加減この男と接するのも疲れてきたので、早々に茶番を終わらせよう。
私は優雅にアルカイックスマイルを浮かべると、これまでで一番と言えるほど丁寧で美しいカーテシーを父に見せつける。
「お父様、これまでご苦労さまでした。伯爵家の今後はこの私アリシアが引き継ぎますので、サティスファイ家の人間としての最後の時間を、こちらの部屋でどうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」
「ま、待て、まだ話は……」
まだ何か喚いているけど、聞く気はない。こちらの用件は済んだのだ。
リリアンを連れて踵を返して部屋を出る間際、私は一度振り返り、この部屋にいる使用人に対して声を上げる。
「期日までこの男をここから出さないよう、しっかり見張りなさい。もしも彼を逃がしたりしたら————どうなるか分かっているわね?」
部屋の空気が一瞬にして氷点下まで下がったような気がした。この様子なら、彼らに任せておけば大丈夫だろう。
私は満足げに頷くと、今度こそ振り返らずに部屋を出た。
「いや、見事だった。正直君が未成年だと忘れてしまうほどだったよ」
「それは勿論誉め言葉ですよね?」
黙って展開を見守っていたカイト様にそう尋ねると、彼は老獪な笑みを浮かべた。
「当然だ。うちの息子もしっかりしていると思っていたが、君には敵う気がしない。末恐ろしいね。だが面白い。将来が楽しみだよ」
「カイト様にそう言っていただけるとは、私も嬉しく思います。これからも精進いたしますので、ご指導のほどよろしくお願いいたします」
「私が指導することなんてもはやなさそうだけど……。まあ、少なくともあの男のように君の邪魔をすることはないから安心してほしい」
やはりこの方を頼ってよかった。
小説を知るリリアンも、カイト様は間違いない相手だと言っていたし、私の目に狂いはなかったようだ。
その後、順調に事は運び、予想していた通り一週間で父の伯爵代理の地位は剥奪。サティスファイ家からの除名も認められ、我が家と無関係になった平民の夫婦を即日屋敷から追い出した。
見送り、というか、きちんと分からせるために、門から外へ出る手前で喚き散らす二人の前にやってきた私は、こちらからできる最後の優しさだと、しっかり忠告してあげる。
「これ以上こちらの邪魔をするようなら、私にも考えがあるわ」
目で合図をすると、意図を読み取った二人の門番が剣を引き抜き、その刃を二人の首筋にそれぞれ当てる。少しでも動けば切れるとさすがに理解したのか、声を上げることも出きず固まる二人に私は言葉を続ける。
「私が刃をまっすぐ引けと言えばあなた達の首はすぐに落ち、肉片と化した体は密かにこの屋敷の庭に埋められる。こんな夜中にそれを目撃するような証人は出歩いていないし、この屋敷の人間は皆私に忠誠を誓っている。このことが漏れることはないわ」
死にたくなければすぐに立ち去れ、ということを私なりの表現で伝えれば、剣が首から離れるや否や、二人は一目散に逃げ出した。
その後を黒い影が追う。念のための監視だ。もしも彼らがこちらに歯向かうとしても、監視をつけている限り問題はないだろう。
小説では問答無用で殺されたのだから、命があるだけマシだと思ってほしい。
こうして邪魔な二人を追い出した私に、ようやく平穏な生活がやってきた。
その後の報告によると、あの二人は平民の夫婦として生きていくことにしたようだ。よほど命の危険を感じたのか、隣国に移住し、それなりにうまくやっているらしい。
使用人たちも以前とは見違え、私を主人と認め、しっかりと働いてくれている。
新たに私の後見人となったカイト様は、一か月の滞在の予定が、別の意味で心配だということで、定期的にこちらと自身の領地を行き来することになった。
そしてリリアンだが、驚くべきスピードで学ばなければいけないことを吸収していき、わずか半年で完璧な侍女へと変身した。
私はこれまでの父だった男の非礼を領民に詫び、彼らの生活をこれまで以上に豊かなものにするべく奮闘し、着々と結果を残している。
優秀だった母の再来と領民から言ってもらえており、それは私にとってとても嬉しい言葉だった。
「ところでアリシア様はどなたと結婚するんですか?」
季節が巡り、リリアンがこちらへやってきて一年が経った頃。
日本の桜に似た花が咲いた樹の下に敷物を敷いて、お花見気分でリリアンとお茶をしていると、ふと彼女が首を傾げる。
「やっぱり小説通り、第二王子殿下狙ってます?」
確かサリバン殿下だったか。
噂でも、彼はとんでもなく見目麗しい人物だと聞く。その上文武両道で、人にも優しく、非の打ち所がないと。
けれど現実問題、王族である彼が伯爵籍に入るのは、身分の釣り合いが取れず難しいだろう。私の方の爵位を上げるという方法もあるが、高位になればなるほど課される責務とか付き合いとか面倒になるので、それは避けたい。
よって、
「リリアンには悪いけど、殿下とどうこうというのはないと思う」
がっかりしたかと思ったけど、意外とそうでもないようだ。
「あ、いえ、それは全然いいんです!! 生きているうちに遠くから一目そのご尊顔を見られればそれで満足ですし! むしろずっとあのお顔が傍にあると、緊張とか諸々の感情で爆ぜそうなので!」
「……爆ぜるのは困るわね」
彼女は私が本音で話せる貴重な友人であり、侍女なのだ。
「でもそうなると、宇宙一麗しくて完璧超人のアリシア様にふさわしい人なんて、思い付かないですね」
彼女の中で私に対するイメージがどんどんとんでもないことになっているけど、スルーする。
「私の相手はそのうち決めるわ。幸い釣り書きもいくつか来ていることだし、その中で家格の釣り合いも取れて一番相性が良さげな人を選ぼうと思うの。あなたの意見も参考にしたいから、その時はしっかり観察しておいてね」
するとリリアンは途端に目を輝かせ、ぐっと両手を握る。
「お任せください! 必ずアリシア様のご期待に応えてみせます! 私、前世で死ぬほど異性のことで苦労した関係で、ダメンズを見極める能力だけは自信があるので!」
何それ、一体どんな辛酸を舐めてきたのだろうか。非常に気になるが、まもなく執務に戻らなければいけない時間なので、次のお茶の時にその話を聞いてみよう。
その後、小説では出会うのはまだ先のはずのサリバン殿下が、私の活躍を耳にしたらしく急に来訪したり。
カイト様の二番目の息子のリール様が我が家に遊びに来た時に一目惚れしたとかで、一生踏みつけてほしいと謎の告白をしてきたり。
サリバン殿下とリール様が私そっちのけでどちらが婿にふさわしいかの決闘をしたり。
リリアンがどちらもダメンズの臭いがするからアリシア様には近付けさせない、とその決闘に乱入したり。
まったくもって小説通りではないけど、私はこの世界でアリシア・サティスファイとして、これからも自分の手で、掴みたい未来を選びながら生きていくのだろう。
が。
とりあえず目の前の三つ巴を止めないと、と、私は苦笑交じりで彼らの方へと足を進めるのだった。