二話
アラン、こと、アリソンは公爵家の次女として生を受けた。
両親、姉と兄に囲まれ、何不自由なく育つ。
少し年が離れた兄と姉の勉強熱心な背中を見て育ったアリソンは、幼少期から好奇心旺盛で、本を読むことが好きな少女であった。
片やヴィクターは真面目に椅子に座らせておくのも困難なやんちゃな少年であった。
真面目に勉強させるにはどうしたらいいかと王と王妃が悩んでいる時に、公爵から勉学に励む次女の話を聞きつけ、学友としてあてがわれることになる。こうして、二人は十歳で出会った。
最初は同性でないことに不満を漏らしていたヴィクターであったが、愛らしいアリソンに勉学でも乗馬でも一歩引けを取ったことが悔しく、生来の負けず嫌いが発動し、張りあう中でどんどん真面目になっていった。
アリソンは負けることを何とも思っておらず、一年後、筆記試験や剣技の実技でアリソンを負かし得意げになるヴィクターに心から賛辞を贈る。
負けても、悔しがらず、相手を称えるアリソンにヴィクターは面食らうものの、そこから二人はより一層切磋琢磨する仲となり、二卵性の双子の兄弟のように仲良くなっていった。
ヴィクターが伝統に習い二年間の兵役につく十四になり、二人の学友関係は終わりを告げる。
この間、公爵と王の間で、密かに二人は婚約させてはどうかという話があったのもの、アリソンが十五歳の時に、その話は白紙になった。
二年後、十六で兵役を終え、戻ってきたヴィクターの前にアリソンがあらわれることはなかった。
病気療養のため領地に戻ったアリソンはもう二度と王都に戻ってこない。父である王からそう告げられたヴィクターは見舞いに行くなどと騒ぎ立てたものの大人達に阻まれ通らず、二人の関係は宙ぶらりんなまま終わったのだった。
そのアリソンは、今、アランと名を変え、ヴィクターの傍で秘書官をしている。
アリソンことアランは、感傷に浸りかける自分を鼓舞するため、頬を両手で二度打ち付けた。
前を向く。
「ヴィクターを止めないと!」
アランは急ぎ、廊下を歩み始めた。
一足先に茶会会場に到着したヴィクターはためらいもなく扉を開ける。
憤怒を隠しもせずに現れたことで、会場中の視線が集中する。そんな視線を意に介さず、真っ先に宣言した。
「母上! 金輪際、このような茶会を開くのはやめてもらいたい。
私は、この場に集った令嬢のなかから伴侶を選ぶつもりはない」
中央に据えられた豪奢な一人掛けのソファに座していた王妃が立つ。
「ヴィクター!王太子殿下立場で、いまだ婚約者を定めない貴方に代わって、母が未来の王妃を見極めている最中です。
あくまでも、これは母であり、王妃である私の目にかなう女性を選ぶ会なのです。なにも決めもしない貴方に口出される覚えはありません」
「いい加減にしてくれ、私は年若い彼女たちに期待を抱かせ続けるつもりはない」
「いつまでも婚約者、または王太子妃を定めない貴方に言われる筋合いはない。定めないことで、気を持たせている狡さを棚にあげ、なにをいう。王となるならば、世継ぎのことも気にかけよ」
「では、母上。私は、ここで宣言する!私はこの中から、伴侶を選ぶつもりは一切ない!!」
一切ない、という最後の言葉が室内に木霊する。
急いできたヴィクターの肩が上下し、せわしない呼吸音だけが響くなか、ぱちんと王妃が扇を手に打った。止まっていた室内の時間が動き出し、令嬢たちがざわめき合う。
「殿下。立場をわきまえよ」
「ええ、母上。私はわきまえております。
ですので、王太子として、王としての実務はきちんと行いましょう。
後継は、側妃が産んだ弟に定め、弟の子息へとつないでいけば、王家の血はつつがなく継承される」
「なにを血迷ったことを申すか」
「なんなら、こちらのご令嬢のなかから、弟の伴侶を選ばれるといい。丁度良い名案とは思いませんかな、母上」
挑むようなヴィクターに、怒りをたぎらせる王妃が睨み合う。
同じ髪色、瞳を有し、性格までもそっくりにうつる母子を令嬢たちが慄きながら見つめていた。
間の悪いことに、そんな緊迫した場面にアランは飛び込んでしまう。
室内に飛び込んだ瞬間、場の冷え切った空気に半歩引いた。
(まずい。私がちゃんと殿下の手綱を操れなかったから)
奥歯を噛み、アランはヴィクターの腕を掴んだ。
「戻りましょう。一旦、頭を冷やして……」
腹を立てているヴィクターにアランは冷たく睨まれる。
ここでひるんでなるものかと腕をひっぱり、退室をヴィクターに促すアラン。
「お前こそ、この現状を作り出した張本人だろうが」
ヴィクターは空いた片手で、アランの頬をおもむろに掴んだ。
「えっ」
手の力でむりやり上向かされるアラン。視界にヴィクターが迫る。
止める間もなく、ヴィクターが覆いかぶさる。
二人の生温かな唇が重なった。
両目を開けたままアランは、口をふさがれ息ができなくなる。
室内に令嬢たちの歓声が巻き起こった。
王太子殿下が秘書官にキスをした。その一幕に、王妃は両手を扇を握りしめる。
唇が離れる。
ヴィクターの落ち着いた視線がアランを捉えたと思うと、ふたたび怒りが眼底に燃え上がり、感情を露にした流し目を会場へ向ける。
「俺の伴侶は、秘書官アラン、ただ一人である!」
ヴィクターの宣言に、場がどんと凍り付いた。
王妃も令嬢たちも一歩も動けなくなる。
凍り付いた場を裂くように、戦慄くアランが動いた。
「なにを血迷ったことを言うか!」
怒りに震えるアランの拳がヴィクターの頬を打つ。
不意を突かれたヴィクターはその勢いのまま、床に横転した。
痛めた頬を摩るヴィクターが上半身を起こした時、周囲にいた騎士達によって、秘書官アランは取り押さえられていた。
王太子を殴った罪で、秘書官アランは現行犯としてつかまり、地下牢にほうりこまれたのだった。