69.真実の答え(1)
座り込んでいたディオが、ようやく顔を上げたのは真夜中近くだった。淡いランプの光だけが、部屋の中を照らしている。
王宮全体がしんと静まり返っていた。例外は、王宮を警護している兵士が行き交う足音だけ。
ディオは壁にたたきつけた紙を拾い上げて、広げ、丁寧に皺をのばした。
並んでいるのはよく知った筆跡。信頼していた従兄のもの。
彼女を返して欲しければ、雷神の剣の設計書を持ってくるようにと記されている。引き渡し場所に指定されていたのは、ディオの父親の遺体が安置されている場所だった。ご丁寧に誰にも言うな、一人で来いともつけ加えられていた。最後に記された従兄の名が、ディオをあざ笑っているようだった。
ディオは紙を握りしめた。せっかく皺を伸ばしたというのに、手の中でもう一度それは形を変える。
戦争が終わって戻ってきてから何度か、部屋が荒らされたような形跡を感じたことがあった。
一人でいる時に、後ろから突き刺さる誰かの視線に気づいたこともある。確認しようと顔を向けた時には、その気配はすぐに消えてしまっていたが。
まさかフレディが関わっているとは思わなかった。
ディオは首から下げた布製の袋に手をやった。彼が欲しがっていたものは、常に身につけていた。寝ている間でさえも。
迷った末に、窓際に置いた大きな机に近寄る。引き出しの中にしまってある銃を取り出し、動作を確認して、丁寧に弾をこめた。これを使うようなことにならなければいいと願いながら。それでもきっと使うことになるのだろうと覚悟を決めながら。
沈黙に支配された時間は、意外なほど短く過ぎ去っていった。
いつの間にか意識を失っていたのか、ダナが気がついた時には、縄で作った擦り傷の手当は終わっていて、包帯が巻かれた上からもう一度縛りなおされていた。
誘拐されたというわりには、扱いは比較的丁寧だと思う。誘拐された経験がそれほどあるわけでもないから、あくまでも聞いた話との比較になるが。
ベッドに拘束されていた腕は、今は身体の前で交差されているだけだ。白い包帯の上に巻きつけられた縄は、妙にうきあがって見える。
逃げようと思えば、逃げられるのかもしれない、が。妙に身体が重くて、そんな気力もない。
最後に取ったのは朝食のはずなのに、夜明け近くなろうかという今も空腹を感じることさえない。
自分の身体は普通の状態ではないのだと、ぼんやりした頭で思う。
「身体、重いだろ?」
起きあがろうとベッドの上でもがくダナに手を貸しながら、フレディは謝った。
「逃げられないように、薬を打たせてもらった。自分で歩くことはできるだろうけど、逃げようなんて思わない方がいいぞ。今の俺は、君を殺すことにだってためらいはないんだからな」
「殺してしまったら、人質の意味がないじゃないのよ」
自分の声が、別人のもののように遠くから聞こえる。
「その時はその時さ。別の手をうつ」
フレディは本当に別の手を用意しているだろう。何年も前から計画をしていたというのなら。
「イレーヌさんは?」
起きあがるとだんだん頭ははっきりしてきた。
舌は回らないが。
「港。必要なものを受け取ったらすぐに船で脱出だ」
「イレーヌさんも共犯なのね」
「そりゃそうさ」
フレディは肩をすくめる。
「彼女の姉を不幸においやった男に対する復讐だからな。ま、当の本人は花に囲まれて横になっているわけだが」
フレディは時計を見上げた。
「そろそろ時間だな。君の王子様に会いに行こうぜ」
ダナにブーツを履かせてやり、手を貸して歩き始める。つい昨夜、ダンスフロアでしていたように。けれど昨夜とは違って、寒々とした空気が二人の間に流れていた。
安置所の鍵を持っているのは、ごく限られた人間だけだ。
当然ディオはその一人だが、甥のフレディには渡されていなかったはずだ。きっと彼は鍵を入手していることだろうが、指定された時間より少し早めに行って鍵を開けておくことにした。彼より先に行って、しておきたいこともある。
夜明け前に現れたディオに、公園の入り口を警備していた兵たちがいぶかしげな視線を投げる。
手にした小さな花束を見て、得心したようにディオを通した。父と子の対話をしにきたと解釈したのだろう。
そのまま公園を急ぎ足に通り抜けて、安置所の前に立つ。
石造りのそれは、かなり高い建物だった。安置所の前を警護していた兵士たちも黙ってディオを通してくれた。数十段の階段をのぼって、鍵を自分であけ、中に入る。
昼間は前国王との別れを惜しむ国民たちが次から次へと花をたむけにやってくるのだが、今はひっそりと静まりかえっている。
花束がそこかしこを覆いつくしている安置所の中は、いっそう空気が冷たかった。花束を遺体が安置されているケースの上に載せ、ろうそくに火をともす。
膝をついて、両手を組み合わせ、祈りの体勢になった。今から自分がしようとしていることを、この人は許してくれるだろうか。
戦争が終わっても設計書を処分しなかったのは、埋葬時に一緒に棺に入れるつもりだったからだ。快く送り出してくれた父への最後の手向けとして。
設計書はセンティアから戻ってきた技術者ディオ・ヴィレッタの手によって完成されたと表向きは発表されている。
その後彼は、パイロットとともに乗り込んだ戦闘機が爆発、炎上。行方不明といいつつ、事実上死亡ということになっている。
いくら対外的にとりつくろったところで、設計書を欲しがる人間が身近なところにいたのでは意味がない。
ディオは膝をついた姿勢のまま待った。
やがてゆっくりと安置所の扉が開かれる。
「待たせたな」
黒の長いコートで身体をおおって、ダナを連れたフレディがあらわれた。
「安置所の前にいた二人には眠ってもらった」
肩をすくめるフレディの様子には、特に変わった気配は見受けられない。
公園入り口の警備兵をどうやって突破したというのだろう。
そんな疑問を口にすることもなくディオは静かに立ち上がり、二人の方を見る。
「ごめんなさい……あたし……」
ダナがうつむいた。
「いいんだ。君のせいじゃない」
ディオは、唇の両端を持ち上げて見せる。彼女を少しでも慰めることができればと願いながら。
どこか空々しい陽気さをはらんだフレディの声が、二人の間に割って入った。