66.夢の終わり(2)
「飲み物取ってくる」
とフレディは、部屋の向こう側へと歩いていく。ダナが手でぱたぱたと顔を仰いだ。頬は紅潮したままで暑そうだ。
「外に行く?」
「……行く」
すぐそばのテラスへと窓続く窓を開けて、二人はテラスへと出た。
「楽しかった?」
「……そうね。楽しかった。でも一度体験すれば十分ね」
二人はならんで手すりにもたれかかる。冬の空気も冷たく感じられなかった。
「ビクトール様ってば、招待状きたとたん大変だったんだから。行儀作法の家庭教師にダンス教師、宝石商は呼びつけるわ、それから服屋に美容師に……」
げんなりした様子で、ダナは手すりに顔をうめた。その様子からすれば、相当特訓させられたのだろう。先ほどまでの身のこなしを見ていればそれはディオにもわかった。出会った頃とはまるで違う。
「こっちについたらついたで女の子に囲まれるし、こんなの一度で十分よ」
「ビクトールが娘はいいもんだって言ってたよ」
「それならいいけど」
ダナは顔をあげた。
雪、とつぶやく。今まさに最初のひとひらが落ちてきたところだった。
「明日の朝にはつもっているかな?」
「つもるといいわね。雪におおわれた景色ってそれだけで違って見えるから」
ぎこちない沈黙が二人の間を支配する。まるでお互い相手の出方を待っているような。
「ダナ」
先に沈黙に耐えきれなくなったのは、ディオの方だった。名前を呼ぶのと同時に、片方の手で腰を引き寄せる。
反射的に彼を押し退けようとしたダナの手が、一瞬迷って下に落ちた。
ディオは、ダナの顎をもう片方の手で持ち上げた。せわしなく瞬きを繰り返していた碧玉色の瞳が、長い睫の影に姿を隠す。
もう一度名前を呼んで、ディオはゆっくりと顔を近づけた。二人の息が混ざりあうところまで接近したその時。
「はい、そこまで」
無粋な声に、ダナは悲鳴をあげてとびのいた……はずが慣れない長い裾に足をとられてよろめいた。
「悪いな。じゃまして」
少しも悪いと思っていない口調で、ダナを受け止めたフレディはディオに手をふった。
「いつからいたの?」
「雪、のあたりから」
「見てるくらいならもっと早く声かけなさいよ!」
背中側から両肩をフレディにつかまれたまま、ダナは上半身をそらせるようにしてフレディをにらみつける。
「悪い悪い。初々しいなー、とか思ってたら声かける隙がなくってさ」
やはりまったく悪いと思っている様子はない。ようやく気を取り直したディオに、フレディは真面目な声になって言った。
「ディオ。お前は先に戻れ。俺とダナはもう少し時間つぶしてから行くから」
「何でだよっ」
「お前考えてもみろ。留学切り上げて戻ってきて、数ヶ月すれば国王様だ。今国中の貴族たちが娘を嫁がせたい男だぞ?ビクトールみたいな新興貴族の養女と姿くらまされて、やつらが楽しいはずがないだろ」
「政治の実権は叔父上が持っているじゃないか」
「それでも、だよ」
フレディは苦々しい口調で続けた。
「王妃様の親ともなれば、国の政治に口は出せなくても王妃様の志向に影響を及ぼすことができるさ。商人たちはせっせとそいつの屋敷に通うだろうな。自分の商品を王宮に納められれば、王室御用達の看板をあげることができるだろ」
当然そこには賄賂のやりとりだって発生するだろう。ディオは黙り込んだ。
「宮廷内で彼女の地位を悪くしたくなかったら、先に中へ戻れ。俺と二人でいる分には、『カイトファーデン家の坊ちゃんにだまされてかわいそうに』ですむからさ」
自分がその方面で悪名高いのは、フレディは十分承知している。それを利用するのに何のためらいもない。
行くようにとダナにもうながされて、ディオは不承不承会場へと戻った。
「邪魔して悪かったな」
「いいわよ。あなたが言うのは当然のことだから」
急に夜風を冷たく感じて、ダナは身をふるわせる。ディオといた時はまったく寒いとは感じなかったのに。肩にフレディの上着をかけられた。
「寒くないの?」
聞かなくてもいいことを、あえて口に出してしまう。こんな風に扱われるのには慣れていない。どうすればいいのかわからなくて、ただ上から舞い降りてくる雪に視線を向ける。
「寒くないとは言わないけど、俺って紳士だから」
「何それ」
ふいに、フレディに肩を抱き寄せられた。耳元で優しい声がささやく。
「俺とディオの立場が逆ならよかったのにな。カイトファーデン家の息子なら王位継承権は持っていないから、周りも『あらあら可愛らしい二人ね』ですませてくれたろうに」
「言ってみても仕方ないわ、そんなこと」
ダナは、フレディの肩に体重を預ける。
「あたしね、数日中にクーフへ戻る。もうここには来ないと思う」
「それがいい。そうすれば俺にも、チャンスが回ってくるし」
「何のチャンスよ?」
小さく笑ってダナは、フレディに預けていた体重を元に戻そうとしたが、彼の手がそれを引きとめた。
「今後ろに見物人がいる。もう少しそのままでいた方が後々面白いぞ」
フレディの悪巧みにダナものった。もう一度フレディに寄り添いながら、ため息を吐き出す。
「あたしが物語の主人公だったらよかったのに。そうすればいつまでも夢を見られていたもの」
夢の世界の住人だったら、もう少しだけ一緒にいることができた。誰にも何の気兼ねもすることなく。けれど、現実はそんなに甘くはなくて。旅の間に結んだ絆は、身分の差という壁によって断ち切られようとしている。
「さめない夢はないよ」
フレディの声はどこまでも優しい。きっと彼は知っている。ディオとダナが何をしようとしているのかを。
「そうね。そろそろ現実に戻らなきゃ」
肩から滑り落とした上着をフレディに返し、ダナは手を伸ばした。艶やかな笑みを作って、首をかしげてみせる。
「フレドリク様、現実世界まで連れ帰っていただける?」
「喜んで」
恭しい仕草で、フレディはダナの手を取った。
フレディのもくろみ通りカイトファーデン家の長男の次なる狙いは、赤い髪のパイロットだと言う噂はあっという間にフロア中に広まった。
その直後。
獲物が養父と同じ自動車で帰宅したことで、今日のところは失敗だという噂も、とんでもない速度でフロア中をかけめぐる。
とはいえ、フレディは会場で知り合った若い女性と姿を消し、彼女狙いだった男性陣にため息をつかせたのだった。
自分の娘を押しつけようとする貴族たちに囲まれたディオは、苦々しく思う半分、彼を羨ましいとも思った。彼と立場が逆ならよかったのに。そう願わずにはいられなかった。