65.夢の終わり(1)
後方基地に帰り着くのと同時に、ディオはティレントへと強制送還された。もっとも雷神の剣を失ってしまえば、戦場にいてもディオにできることなどない。
サラの行方を問われたダナは静かに首を横にふり、ビクトールは、それで全てを悟ったようだった。
ディオが連れ戻されても、ダナにはやらなければならない仕事はたくさんある。フォースダイトを搭載しない普通の戦闘機に乗り換えて、毎日のように出撃し、何機もの敵機を撃墜した。
そして一ヶ月。
ついに両国の間に停戦が成立し、アリビデイル軍は撤退した。センティアからは多少の領土をもぎ取ったが、マグフィレットには多額の賠償金を払わなければならなくなったのだから、むしろ失ったものの方が大きいと言えるだろう。
国王の喪中ということもあって、大げさなものではないが王妃の主催で祝いの宴が開かれることになった。勝利の立役者として、アーティカの長にも招待状が送られ、彼は養女を連れて出席すると返してよこした。
ディオは鏡の中をのぞきこんだ。夜会服に身を包んではいるが、借り物のように落ち着かない。何度も鏡の前でタイを直し、髪を撫でつけ、夜会服の裾を引っ張っては直す。
そんなことを繰り返しているうちに招待客が姿を現しはじめ、ディオも会場へと入ることになった。王妃とならんで一段高いところに座をしめて、勝利を祝う言葉に耳を傾けていても、目は会場の中を探し回ってしまう。
周囲より一段高いところにある黒と、そのそばにいるはずの赤を。
永遠に続くかのように思われた勝利を祝う言葉がようやく終わりを迎え、ディオは席をおりることを許された。
音楽が流れはじめ、招待客はそれぞれ相手を見つけてはフロアへと出ていく。
せわしなく会場内をうろうろしているディオに、何人かが声をかけた。それには生返事を返しておいて、ディオはひたすらに捜し求める。
「ディオ!」
名前を呼ぶ、耳に馴染んだ声にディオは足を止める。
呼び止めたフレディは、相変わらず夜会服をすっきりと着こなしていて、本人も借り物のようだと思っているディオとは雲泥の差だった。顔立ちは似ているはずなのに、どこで違ってしまったのだろう。
「ダナならそこにいるぞ」
「そこってどこ?」
「あの真ん中」
フレディがしめしたのは、招待客の中でも比較的若い女性が作っている輪の中央だった。色とりどりのドレス、きらめく宝石の隙間からかろうじて鮮やかな赤い髪がちらりと見える。
「何あれ……」
「女ってのはわからんな。ダナを見かけたとたんきゃーきゃーわめいて、あっというまに女の子団子のできあがりだ」
フレディは会場内を見回していたが、誰かと目を合わせて右手をあげた。ビクトールが二人の方へと近づいてくる。
「まさかこんなことになるとは思いませんでしたよ、殿下」
笑いながらビクトールはディオに頭を下げる。
「あの真ん中にダナがいるって聞いたんだけど?」
「そのようですな」
アーティカの長は、無骨な外見からは想像もつかないほど優美な仕草で、女性たちの間へと入っていった。
「ビクトール様よ!」
押し殺した、それでも黄色い歓声があがる。
「ダナ様!」
「すてき!」
彼女たちの歓声は、押し殺していても会場内に響きわたる。何人かがぎょっとしたようにこちらをふり返った。
「いったいどうなって……」
ディオが口を開けてその様子を眺めていると、フレディが笑いながら教えてくれた。
「今じゃダナはちょっとした有名人ってやつなのさ。なにしろ今回マグフィレット軍一の撃墜数だしな。ビクトールは前から女の子……まあ熟年の御婦人ふくめて、人気あったし。あの二人がならぶと絵になるのは間違いないところだろ」
やがて群がる女性たちを押しのけて脱出することに成功したビクトールが、ダナの手を取って戻ってきた。
確かに絵になるとディオは思った。
ビクトールは上背もあるし、顔立ちが整っているとはいいがたいが、不思議と人をひきつける魅力のようなものがある。黒と白で統一された夜会服をまとっていても、彼の素性を知っているからなのか、どこか優雅なだけでは終わらせないといった雰囲気を漂わせている。
ビクトールに腕を預けているダナの方は、文句なしの美少女だ。今は肩や胸を大胆に露出するのが流行だが、彼女は首もとまで完全に覆っていた。瞳の色に合わせた深い緑の生地の上を、白の繊細なレースが飾っている。スカートには、細かな模様が金の糸と何万ものビーズで刺繍されていた。
伸びかけの髪を、ディオには名前もわからないほど何種類もの宝石がつけられたピンでまとめているのだけが、装身具だった。
「お招きにあずかり、光栄です……殿下」
ビクトールにうながされるまでもなく、流れるような自然な仕草でダナは頭をさげた。
「あら……殿下よ?」
「こちらにいらしていたのね」
ひそひそとささやいているつもりが、少しもささやきになっていない。しっかりとディオの耳にも届いて、苦笑いさせる。
さっきからここにいたというのに、どれだけ影が薄いというのだろう。
「……踊ってもらえないかな」
「喜んでお受けします、殿下」
手を取って出ていく二人に、後ろからフレディが声をかけた。
「ディオ!あとでかわれよ!」
フロアは人でいっぱいだった。ぶつからないように用心しながら、二人もその輪の中に加わる。
「あら?」
ダナが驚いたように小さな声を発した。
「背、のびた?」
いつか船室で踊った時には、同じ位置にあったはずの頭が、今はほんの少しだけ高い位置にある。
「それならいいんだけどね、靴が上げ底なんだ」
苦笑いしながら、ディオは白状した。女性が踵の高い靴をはくと、ディオより頭の位置が上になることも多い。以前からこういう場に出るときは、背が高く見えるようにと細工をした靴を履くようにしている。
「ダナは縮んだ?」
「あたしは、ぺたんこの靴だから」
「何で?」
くるりとターンしながら、ダナは頬を膨らませる。
「ディオが言ったでしょ。女性の方が背が高いと踊りにくいって」
ターンさせたダナの背中にもう一度腕を回す。
「覚えてたんだ」
「……覚えてるわよ」
あの会話を交わしたのが、ずいぶん前のように思われる。
そのまま数曲踊って、ダナをフレディに引き渡した。
ディオに誘ってほしそうに、視界の隅をうろうろしている女の子たちには気づかないふりをして、壁際にいたビクトールに話しかける。
「ダナを正式に養女にしたんだって?」
ビクトールは薄く笑って、目を細めた。
「今までと何も変わりませんが……自分はあいつにアーティカを継がせようとも思っていません。好きなように生きればいい。正式に手続きをしたのは、ただ自分の気持ちの問題なのですよ」
二人の目の前をフレディに導かれて、ダナがくるくると回りながら通り過ぎていく。
「娘というのも悪くはないですな」
フォルーシャ号の食堂で、一人飲んでいた時とはまるで違う表情だった。
そのまま二人そろって壁の花になっていると、頬を紅潮させたダナがフレディに手をひかれて戻ってきた。
入れ違うようにビクトールはそばを通りかかった女性に声をかけて、フロアへと出ていく。