64.リディアスベイルの最期(2)
サラは三つ編みにして背中に垂らしていた髪をほどいた。
艦の中を一回りして、誰も残っていないのを確認してから甲板へとあがる。
どうせ艦とともに落ちるのならば。
空を見上げながらの方がいい。
風が髪を乱す。
もう一つの世界では、彼と再会できるだろうか。
サラは唇にのせる。愛しい彼の名を。
ディオの叫びとともに、機体が爆風にあおられてはじきとばされた。
「暴走する!もう持たないよ!」
「脱出しなきゃ!脱出装置のボタン押して!」
機体を立て直しながら、ダナはディオに脱出装置の場所を示す。
ディオは脱出装置のボタンを押したが、本来ならば宙に飛び出すはずの彼の体は、機体に固定されたままだった。
「今の衝撃で壊れたみたいだ……君だけ脱出するといい」
後悔なんてしない。自分で選んだ道だ。
無理を言ってパイロットになってもらった、ここまでやってもらえれば十分だ。
君には生きていてほしいと思うよ。
そう格好つけてみても、肝心のところで手がふるえているのだから情けない。
自分の人生のけりのつけかたには後悔なんてしないけれど、死ぬのは少し怖いかもしれない。
「冗談じゃないわ」
ダナの声が低くなった。
「一人だけ生き残るのは、もうごめんよ」
「君まで死ぬことはないんだ」
「あなたと心中だなんてもっとごめんよ!」
暴れる機体をなだめすかして、ダナはリディアスベイルのすぐ上へと移動した。
「甲板におりて!早く!」
体を固定していたベルトを外したディオは、リディアスベイルの甲板へ転げ落ちた。
続いて飛び降りようとしていたダナが、制御を失った機体の上でバランスを失う。
ディオは思わず手を伸ばした。
非力な彼に受け止められるはずもなく、落ちてきたダナの下敷きになる。
二人の乗ってきた戦闘機は、爆発し、すぐそばにいた軍用艦に炎をあげながら体当たりしていった。
あと数十秒遅かったら、二人とも今頃炎に包まれていたことだろう。
今まさに沈みつつあるこの艦へ移動したことが、どれほど命をながらえることにつながるのかはわからないけれど。
「……受け止められなくてごめん……」
「……あたし重いから……」
互いに謝りながら立ち上がる。
「これからどうする?」
「艦底におりて、残っている救命艇を探す。たぶん一隻くらいは残っていると思うの。なかったらなかったで別の手段を考えましょ」
確かな足取りで、ダナは歩き始めた。そのすぐ後ろからディオは続く。
格納庫を回ると、前方に誰か立っているのが見えた。
「あら……」
豊かな髪を風になびかせていたのは、サラだった。思わず二人とも足を止める。
「こんなところで会うなんて、奇遇ね」
まるで街ですれ違ったくらいの気軽さで、サラは二人に笑いかける。
「艦底に救命艇が残っているはずだから、それを使いなさい」
「サラ様は?」
顔にかかる髪を手で押さえながら、サラは笑った。
「私はここに残るわ。もう疲れたの。いつまでも帰ってこない人を想い続けることにね。きっと私の行く先は地獄だから、彼には会えないだろうけれど」
「そんなのって……」
言葉を失って、ダナとディオは視線を交わす。
「早く行きなさい。ダナ」
サラの口調が真剣なものになった。
「あなたは、思い出と添い遂げる必要はないのよ。きっとヘクターだってそれを望んでいるはず。だから行きなさい」
ダナの手が、胸元を押さえた。分厚い飛行服の下、フレディから渡された指輪があるはずの場所を。
「あんたも思い出と添い遂げるには若すぎるだろうが」
上からふってきた声に、三人とも声の方を見上げた。
上空に救命艇が待機している。そこから甲板にロープをたらして、背の高い男がすべりおりてきた。
黒い髪、日に焼けた肌。上半身の衣服は身につけておらず、応急手当と思われる包帯が右肩に巻き付けられていた。
一瞬別の人間を連想して、ダナの目が見開かれる。
「地獄の悪魔にくれてやるのは、もったいなさすぎる。悪いが一緒に来てもらうぞ」
そう言いながら、ライアンはサラの方へと歩んでいく。
「あなたにそんなことを言う権利なんてないわ!私たちはそんな関係……」
サラの台詞は、最後まで続けることはできなかった。
無造作ともいえる動きでライアンはサラの鳩尾に拳をたたき込み、崩れ落ちた体を、よろめきながら抱え上げる。
そのまま救命艇からおろしたロープに向かって歩き始めた。
「待ちなさいよ!」
ダナがわめいて、銃を抜いた。サラを抱えたまま、彼はゆっくりとふりかえる。
銃口をまっすぐに彼に向けるダナに気づくと、静かな笑みをうかべた。
「俺を殺して連れ帰るか?」
正面から銃口に相対して、彼の視線はゆらぐことを知らない。
止めるべきなのか否なのか。ディオが判断しかねているうちに、ダナは顔をゆがめた。
「約束しなさい。絶対に泣かせないって。幸せにするって」
ダナの言葉にライアンの笑みが、苦笑へと形をかえる。
「お嬢さんに言われるまでもないさ。アーティカから引っ張りだした責任は取る」
責任は取るつもりだ。だから戻ってきた。サラが残るであろうことを予測して。
「お嬢さんじゃない。ダナ。ダナ・トレーズよ」
「ダナ、か」
サラとの寝物語に何度も名前が出てきたような気がする。
彼女が……そうか。口調を優しいものにかえて、ライアンは二人をうながした。
「じゃあ、ダナ。早く行くんだ。この艦はそろそろ危ないぞ。アリビデイルの捕虜になりたいってなら、俺の救命艇に乗せてやってもいいが、そんなのごめんだろ?」
「……名前を教えて、あなたの」
ふん、とライアンは鼻で笑う。
「ライアン・ワイオーン。ライアン・ヘクター・ワイオーンだ。名前を聞いてどうする?」
ダナの視界が、あふれ出た涙に支配されそうになった。
似ているだけじゃない。
彼の名前を持った人。
その人がサラを連れていこうとしている。
「あんたがサラ様を不幸にしたら、地獄の果てまで追いかけるためよ」
「おっかねえな。アーティカの女は。あんたも苦労するぜ、きっと」
最後はディオに同情的な口調で、ライアンは二人を交互に見比べる。それ以上ダナが何も言わないのをみてとると、ライアンは再度足を進めはじめた
「忘れないで!空はどこまでもつながっているんだから!不幸になんてしたら、絶対、絶対、絶対、絶対許さないんだからね!あたしは本当に地獄の果てまで追いかけるわよ!追いかけるんだから!」
後ろから投げつけられる、どこか悔しそうな少女の声と足を踏み鳴らす音。
救命艇からおろしたロープに二人の体を固定しながらライアンは思う。
サラが目覚めて、望むのなら。アーティカへ帰してやるのもいいのかもしれない。
その時には、きっと胸が痛むだろうが。
ふられるのには慣れているし、胸が痛むのもたいして長い時間でないのも、経験からわかっている。
「行こう。僕たちも」
ディオはダナをうながした。艦橋の方から爆発音が響いてくる。
銃を握ったままの、ダナの手がだらりと落ちた。肘をつかむようにして、ディオは艦底を目指す。
途中ダナが道を変え、最短ルートで救命艇にたどり着いた。
元はアーティカの艦だ。どこを通ればいいのかは、ダナ自身よく知っている。
一つだけ残された救命艇がリディアスベイルを離れるのと同時に、最後の爆発が艦を海へと沈めていった。