62.決戦のはじまり(2)
敵の来襲にそなえて、全員が交代で食事と休憩をとることになった。ココアを飲みそびれたとぶつぶつ言っているダナの前に、ルッツがココア缶を見せびらかすように置く。
「帰ってきたらわけてあげるよ」
「今飲みたいのに!」
ダナはふくれてみせる。これがルッツのげんかつぎみたいなものだとわかっている。約束を果たすためには生きて戻らなければならない。
ダナの脳裏を、最後にヘクターを乗せて飛んだときのことがよぎった。彼と一緒なら負ける気なんてしなかった。
今目の前にいるのは、不安そうな顔をしたそろそろ成人の日を迎えようとしているのに、まだ大人になりきれていない少年だ。年はさほど変わらないのに、自信にあふれていた彼とは違う。
「ディオ」
名前を呼んでみる。
「怖くてしかたないって顔してる」
「怖いんだからしかたないよ」
ディオは正直だ。いつだって。怖いときは怖い、不安なときは不安だと。自分の心を偽ることをしない。
「大丈夫……とは言えないけど、全力はつくすから」
「それって不安をあおってるよね」
テーブル越しに顔を見合わせて笑う。
後ろにいるのがヘクターだろうがディオだろうが、ダナの仕事にかわりはない。
敵の攻撃をくぐり抜け、無事に戻る。それだけだ。
マグフィレット軍が、敵を迎え撃つ準備を終えた頃。敵の軍勢がその姿を現し始めた。
最初は数百あった軍用艦は、今までの交戦でその数を減らしている。望遠鏡で敵軍を確認していたビクトールは、声をあげた。
このままいけば正面からアーティカにぶつかる一団の中。見覚えのある艦が、悠然とこちらに向かって進んでくる。
「サラ……」
その声に気がついたのは、すぐそばにいたディオだけだった。ビクトールの顔を見上げれば、険しい表情をしている。
「ビクトール様?」
自分の戦闘機を最終点検すると言って、ディオを甲板に残していたダナが戻ってきた。厳しい表情のビクトールに不審そうな目を向ける。
「リディアスベイルがいるぞ」
望遠鏡を渡されて、ダナものぞきこんだ。丸く切り取られた世界の向こうに何度となく乗った、堂々たる軍用艦が見える。そこにいるのが誰だか知っている。
ぎり、と奥歯を噛みしめてダナはビクトールを見つめる。アーティカを裏切った、でも憎めない人があそこにはいる。これ以上戦場で会いたくない、だから。零れ落ちた言葉にこめられた意思は強固なものだった。
「……破壊します」
「乗員の待避時間は与えてやれ」
それだけ言うと、ビクトールは向きを変えた。ゆっくりとした足取りで、艦橋へと進んでいく。
「……ダナ?」
気遣うディオには強いて作った笑顔を向けて、ダナはディオの肘をつかんだ。そのまま格納庫へと入る。
前方の扉を大きく開けたそこに待っているのは、彼と彼女の戦闘機。
それにはまだ乗り込まず、ダナはディオの肘をつかんだまま壁際へとよって、そこに取り付けられている通話装置を手に取った。
ディオのすぐそばまで顔を近づけ、二人の耳の間に受信装置がくるようにする。
「通信回線開け!」
真っ先に入ってきたのはビクトールの声だった。この会話を聞こうとしている人間は、全艦にいるはずだ。
「どこと通信?」
「リディアスベイル、よ」
ひそひそとダナはディオにささやく。
サラがコードを変えていなければ、まだ通信できるはずだというビクトールの読みはあたった。
「おひさしぶりです、ビクトール様」
通信回線を経由して届いたのは、柔らかな女性の声だった。聞こえてくる声から判断すれば、そこそこ元気にやっているようだった。
ビクトールは腕を組んだ。無駄だと知りつつも、話を切り出す。
「戻ってこい。今ならまだ間に合うぞ」
「お断りします。私は自分の意志で……貴方のもとを離れたのですから」
サラの声に迷いはまったくなかった。逆にビクトールを糾弾するかのように、強い口調で責め立てる。
「最近、アリビデイル軍を攻撃している新しい兵器。貴方はそれが何を意味しているのかわからないのですか?」
「わからないわけじゃないさ。何だって使いようだろ」
生き残るためには強力な武器が兵器が必要だ。それを行使することに、彼はためらいを感じない。大切なのはまず生き残ること。戦争が終われば、その開発によって得られた技術をほかに転用することだってできる。昔からそうして発展してきたのだから。
「私は……私は、反対です。許せません。空を一国が独占するような兵器など。空に生きる者の誇りにかけて、許せません。それを許容するというのならあなたも許しません。こちらも全力でいきます」
回線を沈黙が支配した。若いな、とビクトールは思った。数十年前なら、彼本人もそう思ったかもしれない。
実際に行動にうつすかどうかは別としても。ビクトールは最後の警告を通達した。
「サラ……俺はやるぞ?もうすぐダナが出撃する。戻ってこないならせめて下がれ」
「傭兵にかける言葉とも思えませんね。あなたの方こそ下がりなさい、ビクトール・ヴァンス。あなたの持つ兵器は、この空には存在してはいけないものです」
くすくすと笑う声。
どこか神経質な笑いのように、ディオの耳には聞こえた。受信装置を二人の耳の間にくるように持ち上げているダナの手がわずかに動く。
「やはりあの時、ダナを殺しておくのでした。そうすれば、今頃あなたとここで対峙することなどなかったでしょうに」
「サラ」
「交渉決裂です。ごきげんよう」
通信は一方的に切られた。
ため息をついて、ダナは受信装置を壁に戻す。こちらに向けられた背中が小さく見えて、ディオは、手を伸ばした。
後ろから彼女を抱きしめる。その体勢だったのはほんの少しの間だけ。すぐに彼女はディオの腕をほどいて抜け出した。それからディオの手をとって、ダナはかろうじて笑顔に見えるように口角を上げてみせた。
やるしかない。二人の間に流れる決意は同じ。空にかける思いはきっと皆同じなのに。どこですれ違ってしまったというのだろう。
回線を切って、サラは艦長席に両手をついた。
ビクトールの言葉は嬉しくないわけではなかった。
それでも。彼の選択した道は、彼女の道とは相反するものだから戻るわけにはいかない。
艦橋内をぐるりと見回す。アーティカから連れてきた十名が、サラを元気づけるように笑顔を向けたり頷いて見せたりとそれぞれの意思を表明してきた。
「ライアン……命令を」
「大丈夫か?」
「大丈夫よ。最初から覚悟はしてきたわ。私も、部下たちもね」
そうだ。覚悟してきた。アーティカを敵に回しても、絶対に阻止しなければならないことがある。
「んじゃ、行こうか」
ライアンはふてぶてしい笑みをうかべて、最初の命令をくだした。
「全速前進。フォルーシャ号をねらえ!」
ライアンの部隊が全速で前進するのを合図にしたかのように、双方の船団から、戦闘機が飛び立った。