60.初陣(2)
ビクトールの方は、グラスを一気にあおっても表情を変えることもない。平然とした顔で空になったグラスをテーブルに戻し、もう一杯注ぐ。
「いつになく思い出すのですよ、息子のことを」
ビクトールの口元が、自嘲の形にゆがんだ。
「二年前……だったよね」
「ご存じでしたか」
ビクトールは拳を握りしめる。思い出したくもない負け戦。あの時自分が助かったのは、サラが機転をきかせてくれたからだ。
「息子の最後の出撃の時、一緒に飛んでいたのはダナだということは?」
「聞いてる。ダナだけが生き残ったということも」
その言葉をきいて、ビクトールは大きなため息を吐き出した。
「親というのは愚かなものですな、殿下」
「……」
「ダナを見るたびに思うのですよ。生きていてくれてよかったと。それと同時に呪いたくもなる。なぜヘクターだけが逝ってしまったのかと」
意外だった。ディオの目には二人は、本当の親子以上の信頼関係を結んでいるようにうつっていたから。
「これはダナは知らないのですが」
何といったらいいのかわからないでいるディオに、ビクトールは続けた。
「二人が発見された時、ダナの方にだけ応急手当がしてあったというのですよ。手持ちの医薬品だけでは、ろくな手当もできなかったでしょうが」
ビクトール自身、二人の発見時には昏睡状態にあったからその様子を直接見たわけではない。
ダナを責める気などない。責める気などないが。
重傷をおった身体で動き回らなければ。
あるいは先に自分を手当していれば。
もう少し早く発見できていれば。
仮定の話が頭から離れない。二年たった今も。思いをふりはらうように、ビクトールはグラスの中身を一気に空にした。
「夜中に一人で飲むと辛気くさくなっていけませんな」
笑う。
笑ってみせる。
数時間後には、二人を送り出さなければならない。
戦場の空へと。
だからビクトールは笑って見せる。
「飲み過ぎると逆に眠れなくなります。それを飲んだら、お引き取りください」
ビクトールはあけたグラスを置いて立ち上がった。
ディオに一礼して、食堂を出ていこうとする。
入り口でふりかえった。
「殿下……無理はなさいませんよう」
わかっているよ、とディオは口の中で返した。
容赦なくゆさぶられて目が覚めた。
「時間よ」
ダナが上から見下ろしている。
すでに彼女は飛行服に身を包み、右手に帽子とゴーグルをぶらさげていた。
ディオは目をこすりながら、ベッドから這うようにして出た。服を着たまま寝ていたから、その上から飛行服を身につければいい。コーヒーを渡されて、熱いそれを冷ましながら流し込む。
「朝食食べたかったら、生きて戻らないとだね」
ひとりごとのようにつぶやく。
ダナはディオを連れて、甲板へとあがった。
格納庫で待ちかまえていたルッツが、首にタオルを巻いたまま出迎える。
「おっはよう!いい夢見られた?」
「夢も見ずにぐっすりだったわよ」
いまだに一人では乗り込めないディオを、ルッツが後部座席へとおしあげた。
吐きそうだ、とディオは思った。
ビクトールと別れてからは、ダナに起こされるまで夢も見ずに眠ったが、緊張のせいか頭が痛い。
他の戦闘機と違い、二人の乗る機体は垂直発艦が可能だ。まず二人がフォルーシャ号を離れた。ディオはウィンドウごしに上を見上げた。
まだ空は明るくなっていない。星が空一面に散りばめられている。
後方を確認すると護衛の機体が四機、軍用艦前方から撃ち出されるようにして、出撃してきた。二人の乗った機体を中心にするように、陣を組む。
「準備はいいか?」
通話装置からジョナの声がした。
「さっさとやってさっさと帰りましょ」
言葉と同時に、ダナがスイッチを押し上げた。
機体が加速する。
形ばかりの背もたれにおしつけられて、ディオはうめいた。
それでもすぐ前の計器から目は離さない。
エネルギーの流れは正常。今の気象条件を入力する。思っていたより気温が低かった。
一時間ほど飛行を続けた後、敵の船団が見えてきた。
闇の中に艦が並んでいる。
ディオは制御装置を微調整した。前方からダナが身をひねるようにして、ディオの顔をのぞきこむ。
「発射準備は?」
「できてる」
「いくわよ!」
狙いを定め、ボタンを押す。まだ暗い空を、白い光が裂いた。
一番先頭にいた艦の底に小さな穴があく。その穴はどんどん広がっていき、すぐに爆発音が続いた。
フォースダイトが破壊された証だ。ディオは計器を確認した。
大丈夫、まだ正常だ。
ダナが機体を急降下させた。
他の四機も続いて降下する。
敵の船の下側に潜り込んで、ダナは二射目の用意をディオに告げた。
今の発射で、エネルギー回路内の温度がわずかながら上昇している。
その修正を加えて、第二射発射用意完了。
また、白い光が闇を走る。
さすがに二隻やられたところで、攻撃に気がついたのだろう。
敵の艦内が動き出すのがディオにもわかった。
「戦闘機発進まで五分かからないぞ」
「せめてあと三隻!」
ジョナの忠告にダナはわめきかえす。
「三射目、準備完了」
ディオは条件を修正する。
船団の後方へと移動しながら、ダナは三射目を敵の船底にたたき込む。
「次!」
「いいよ!」
空へ駆けあがりながら、もう一度。
四隻目がゆれた。
「もう一度!」
「ちょっと待って……」
ディオの目が計器の上を忙しく往復する。
計算を間違えるな。
間違えるな。
自分に言い聞かせながら、制御装置の数値を調整していく。
「いける!」
「発射!それで離脱!」
五隻目が沈みはじめた。
「おまえたちは先に行け!」
「食堂で会いましょ!」
二人の乗った機体が、先頭にたった。
残る四機は、発進してきた敵戦闘機と交戦に入り、二人の退路を確保する。
ディオは後部座席でぐったりしていた。
五隻。
乗員は脱出できただろうか。
「一機ついてきてる。もう一発いける?」
ダナの声に現実に引き戻された。
「もう一発って……」
「フォースダイト搭載機よ、あれ。当てれば落ちるでしょ」
「でも……」
「いけるの?いけないの?この機体じゃふりきれないわよ。あんたと心中だなんて冗談じゃないわ」
数秒の間。
「準備完了」
ディオは告げた。瞬間、機体が回転する。
相手の機体から発射された弾をよけ、ダナは相手の上空に回り込んだ。
チャンスは一度。
「……あたれぇ!」
天から地へと。
白み始めた明け方の空を光が裂いていく。
フォースダイト搭載部こそはずしたものの、翼の付け根が溶かされた。
激しく回転しながら、敵機は後方へととばされていく。
ディオは目を閉じた。
きれいごとなんて言わない。
生き残るためならやるよ。何だって。
通話装置ごしに、ジョナの声が四機ともに無事に撤退したことを伝えてきた。