6.本拠地の夜(2)
夢を見た。
ほんの昨日あったできごとを。
父が倒れたという電報を受け取って、国からの使者を迎えた。荷物をつめて、メレディアーナ号へ乗船した。偽名を忘れないようにと必死で頭にたたき込んで、旅程も全部記憶した。
夢のような豪華客船の旅を楽しむ間もなく、空賊の襲撃。
響きわたる悲鳴。
警戒警報……。
警報?
ディオはとび起きた。この警報は、夢ではない。島内から響いている!ベッドから転がり落ちたディオは、そのまま部屋のドアにかけよった。手荷物はメレディアーナ号に置いてきてしまったため、持っていかなければならないものはない。
廊下に顔を出すと、向こうから早足にビクトールが歩いてくるのが見えた。
彼も寝ていたのだろう。下半身は一応着ているが、上半身は裸にシャツをひっかけただけだ。
胸を大きな傷が横切っているのに気がついてディオは目をそらせた。
そのシャツのボタンをはめながら、ビクトールは大声で命令をくだす。
「非戦闘要員の待避準備!島が落ちるような真似はさせないつもりだが、万が一ってことがあるからな。戦闘機部隊、発進準備しとけ、俺も出る。フォルーシャ号もすぐ出られるな?」
壁にしこまれた通話装置ごしに、
「了解!」
「すぐにとりかかります!」
と返事が返ってくる。
この状況下でも、焦ったりおびえたりはしていないようだ。
「ビクトール様!」
ビクトールの後ろからダナが追いかけてくる。ダナもこの家で寝ていたらしい。先ほどと同じ白のシャツにパンツ、ブーツという格好だが、短い髪の毛があらぬ方向に飛び跳ねている。櫛を通す暇など当然なかった、ということだろう。
まさかビクトールと一つベッドで寝ていたわけではないだろうな、と一瞬不謹慎な考えが、ディオの脳内を横切る。いくら何でも年が違いすぎる、とすぐに打ち消したが。ディオの開いた扉の前まで来て、ビクトールは足をとめた。追ってきたダナに、ディオをしめす。
「ダナ。おまえは坊やを連れて脱出するんだ」
「私は……信頼されていないということですか?私だって、戦えます」
ビクトールをにらむようにして、ダナは返した。碧玉色の瞳が、輝きをます。
「そうじゃない」
ビクトールは首をふった。
「信頼できるのがおまえだけだからだ。おまえには説明してなかったが、そこの坊やは、大切な書類を持っているんだ。それを敵の手にわたすわけにはいかない。そう言えばわかるだろ?」
「でもっ……」
「後ろに丸腰の人間乗せて戦闘空域を飛べる人間が何人いる?『雷撃』と『閃光』の血をひく、おまえにしかできない芸当だろ?」
それに、とビクトールは軽い口調でつけたした。
「おまえを信頼しているのは、ヘクターが選んだ女だからってわけじゃないぞ。ここ二年、外部の人間と接していないのはおまえだけだという理由もある」
「外部の……人間……?」
「そうだ。裏切り者がいるってわけさ。メレディアーナ号が襲撃されたことといい、クーフの現在地が知れたことといい、裏切り者がいるって考えるのが自然だろ?」
「……わかりました」
最終的に唇をかみしめて、ダナは言った。
「ディオを連れてティレントを目指します。王都でお会いしましょう」
蚊帳の外だったディオは、ようやくそこで口を挟むことを許された。
「僕は……どうすればいい?」
「黙ってダナの言うとおりにしときゃいいさ。空の上にいる間はな」
ビクトールは、ただ肩をすくめてみせる。
「地上におりることになったら、二人で知恵をしぼって考えろ。無事に王都へたどりつく手段をな」
それから、顔を引き締めると、二人に言い聞かせた。
「何かあったらすぐに逃げろ。ディオの持っているものを、王都に届けることだけを考えるんだ」
「はいっ!」
二人の声がそろう。ビクトールは目を細めた。
「それとダナ……」
「はい」
「出たら逃げることに専念しろ。後ろに乗ってるのがヘクターじゃないってことを忘れるな」
「……はい」
数秒の間をあけて、ダナはうなずく。二人の間の別れの抱擁は、恋人同士かと思ってしまうほど熱烈なものだった。ダナを引きはがして、ビクトールはディオの頭を軽くたたく。
「うちのじゃじゃ馬を頼むよ。ものすごい世間知らずなんだ。そう育てちまった俺たちにも責任はあるんだがな」
「できるかぎりの努力はしますよ」
あくまでも、軽い口調を装って、ディオも返す。
「行け!」
ビクトールの声と同時に二人とも家を飛び出した。
フォルーシャ号にかけこむと、すでにルッツが待ちかまえていた。
「遅いよー」
この状況下でも、このひょろりとした青年ののんびりとした口調は変わらない。
「はい、飛行服、飛行帽、ゴーグル。んで、道中のお弁当」
最後の一つまで用意されているあたり、緊張感がないとしかいいようがない。
「お弁当って……」
苦笑しかけたディオに、ルッツはまじめな顔で言った。
「腹が減ってはなんとやらって言うでしょ?ほい、君お弁当係」
飛行服を身につけた二人を戦闘機に乗せるところまで数分。最後にディオにバスケットを押しつけると、ルッツは言った。
「コック叩き起こして作らせたんだから、粗末にしちゃあだめだよ?」
「……そろそろ出たいんだけど?」
「焦らない、焦らない」
あきらかにいらついているダナをなだめてルッツは、通話装置ごしに連絡を取った。
「フォルーシャ号が出港したら、君たちは死角になる角度を狙って脱出するようにだって。まあ、すぐ気づかれちゃうだろうけどね」
やがて、ゆっくりとフォルーシャ号が動き始めた。前方から、小型戦闘機が発進していく音が聞こえてくる。通話装置から離れたルッツが頭をかき回した。
「んじゃ、カウント。ゼロと同時に反対方向へ。OK?」
「了解」
「生きて再会しようね……って俺ここから動かないけど」
そういうルッツに笑いかけ、きゅっとゴーグルを直して、ダナは操縦桿を握る。
「5……4……」
ルッツのカウントが始まった。
足元に押し込んだバスケットが飛び出さないことを祈りながら、ディオはベルトを握りしめる。
「1……0!!」
ルッツの合図と同時に飛び出した。首をねじれば、暗い夜空の中、はるか後方の空だけが赤く染まっている。
夜が明けるまで、何機が残っているのか。それはディオには予想すらつかないことだった。