56.戦場の空へ(2)
「新しい機体で飛んでもらうぞ。後ろにもう一人乗せて」
「ビクトール様……、あたしは」
団長の命令は絶対だ。
それでもヘクター以外の人間に後ろをまかせるつもりなど、ない。
今ルッツと整備していた機体も一人乗りのもので、それで出撃した実績はまだないが、十分な成果をあげることができると確信してる。
「おまえに飛んでもらわなきゃ困るんだよ。どうしてもおまえがいいとわがまま言う王子がいてな」
「……王子?」
王子などと呼ばれる人間は、一人しか会ったことがない。でも彼がここにいるはずなどない。
今頃は国で、次の王として立つための準備にいそしんでいるはずだ。
大きく息をはいて、ビクトールは無造作に部屋のドアを開けた。
「うちで一番の……いや、マグフィレット一のパイロットです。殿下」
ダナを部屋の中央へと押しやる。
「ディオ?……殿下?」
あまりのことにダナの口がぽかんと開いた。王族自ら戦闘機に乗り込もうというのか。
「よろしく頼むよ。どうしても生きて帰らなければならないんだから」
出立前に最後の挨拶を交わしたときの母親の顔を思い出しながら、ディオは言った。
喪の期間があけるまではと、黒い服を身にまとったままの彼女は、何も言わずにただディオを抱きしめて送り出した。留学の為に旅立つ彼を見送った時と同様に。
いずれにしても、今のディオの体力では戦闘機に乗り込むことなど自殺行為だ。
それにダナが新しい機体に慣れる必要もある。
クーフ島ごと一度マグフィレット領内の海域まで戻り、目立たない場所で機体の最終調整を行うことが決められた。
前線には、島内に戦闘機をかくして戻ってくることになる。
ビクトールはフォルーシャ号に残ることになった。
アーティカにはもう一つ飛行島があるから、クーフが一度後方に退いても問題ない。
「案外無茶するのね」
ダナの口調はなかばあきれたものだった。
新しい戦闘機にフォースダイトだけ乗せ変えたという話だったが、見上げた戦闘機は茶と赤で塗装され、彼女がルイーナの北に沈めてきたものとまったく同じもののように見えた。
「君のご両親の……勝手に……ごめん……」
本当は、引き上げたらそのまま返すつもりだった。それをどうするかは、彼女自身が決めることだから。
でも、ダナの機体から取り出したフォースダイトを使うしかなかった。他に使えるフォースダイトを用意することはできなかったから。
「……いいわ。どうやって引き上げようかって悩んでいたところだったから。まさか手元に戻ってくるなんて思ってなかったもの」
険しい表情になって、ダナはディオを振り返る。
「何はともあれ、行動するのはあなたが回復してからね。今飛ぼうだなんて自殺行為だわ」
疲労困憊のディオに食事をさせて、彼女はディオを強引に寝室に押し込んだ。
抵抗する気力もない彼を寝かしつけたのは、メレディアーナ号から救出され、最初にこの島にきた時に通した部屋だった。
あの時と変わらず、へたくそな花の刺繍が壁に飾られている。変わらないと思いながらディオがベッドからそれを眺めていると、ダナは立ち上がって額を壁からはずした。
「いやになっちゃうわね、いまだにこんなの飾っているなんて」
見えないように額を裏返しにして、テーブルの上に置く。
「ダナが作ったの?」
「十年前よ、十年前。今でもたいして上達したわけじゃないけど。苦手なのよね、こういうの」苦笑混じりに額を手でたたいてから、ディオの布団を直す。
「サラ様に教わって作ったのよね。あの人、本当にこういうのが得意で……」
ダナの唇が、やわらかな弧を描く。
「料理はあまりしなかったけど、たまに作るとすごくおいしいもの食べさせてくれた」
「家庭的な人なんだね」
「そうよ。あたしたちの面倒を……」
ダナは途中で口を閉じた。
そのことに触れれば、ヘクターのことまで話さなくてはならなくなる。今はそこには触れたくない。
もう一度ディオの布団を首もとまで引き上げておいて、ダナは足早に部屋を出た。
残されたディオは目を閉じた。頭の中が熱い。
この一月常に脳をフル回転させてきた。眠る間も惜しんで。こうして横になっていても、眠ることなんてできそうもない。
おまけにまだ午後二時を回ったばかりなのだ。
たとえ眠りに落ちることができたとしても、幸せな夢なんて見られそうもないのはわかっている。彼がこれから行うことを考えれば、そんなもの見られるはずもない。
甲板を慌ただしく兵士たちが行き来する。ライアンがリディアスベイルを旗艦にすると決めたからだ。今まで旗艦としていた船からの引っ越し作業は、大急ぎで進められていた。
自らサラに近づいたが、ライアンの階級は低いというわけではない。リディアスベイルを含め、五隻の船団を率いるのだから、それなりだ。
毎晩リディアスベイルに入り浸っていても、表だって文句が出ないのはそのためだ。
一応傭兵としてアリビデイルに入ったとはいえ、サラの立場はたいそう微妙なものだった。
ディオを手土産とできればまだよかったのだが、手ぶらになってしまった。アリビデイルが期待していた戦闘機も人員も、アーティカに置いてきた。この段階で役立たずの烙印を押されている。
ライアンがこの船を正式に旗艦としたのは、戦闘中サラを手元に置くためだった。
戦場全体でアーティカがどのあたりに配備されるのか、偵察である程度は察しがつく。
ビクトールの戦闘を間近で見てきたサラのいる自分の部隊を、そこにぶつけるつもりだった。
上官ともそれで合意が取れている。
「サラ」
名前を呼ばれて、サラは無言で顔をあげた。自分の船に他の人間が乗り込んでくるのは不愉快なものだ。その不愉快な気持ちを押し殺して、ライアンが積み込む装備の確認をしているのにつきあっている。手にした書類は装備の一覧だ。
「この戦争が終わったら、除隊しようと思っているんだ」
無言のまま顔をもどして、サラは書類を一枚めくる。ビクトールのそばにいた時にも、同じように書類を手にしてひかえていたものだった。あの時、アーティカを離れていなかったら今頃は彼の隣に立っていただろうか。
「除隊した後は何を?」
たずねるのが礼儀なのだろう。彼の未来になど、興味はいっさいないけれど。
「孤児院の方に支援者がついたらしくてな。そっちの手伝いをしてほしいんだと」
「そう……あなたが軍で働かなくてもすむのなら、その方がいいのではないかしら」
めくった書類にペン先で綺麗な丸を描く。積み忘れたものはなさそうだ。
「サラ」
近づいてきたライアンは顎に手をかけて、強引にサラの顔を上向かせた。
「一緒に来ないか。俺には……」
責任がある。サラをアーティカから引き離した責任が。皮肉めいた笑みをひらめかせて、サラはライアンの手を顎から外す。
「自惚れないで。私とあなたはそんな関係ではないでしょう?」
もうすぐ正面切ってぶつかることになるだろう。捨ててきた故郷と。
ライアンは、『そんな関係』などではない。それでいい。
サラは仕事を続けるよう、無言でライアンをうながした。