52.ゆれる心(2)
「奥さんと子どもを家に残してきているのね」
ということは、妻を裏切っても平気という程度の男ということになる。
軽い失望を感じながら、サラは話を変えようとする。
「違うって」
ライアンは手をふった。
「ガキが十五人。ひょっとすると今頃もうちょい増えているかもな」
靴を履いたままベッドの上に寝転がって、ライアンは両腕を折り畳んで枕にした。
「靴くらい脱ぎなさい……十五人?」
隠し子にしては多い。
ということは。
踵で靴を蹴り落としながら、ライアンは続ける。
「俺、孤児院育ちなんだよな。親を亡くしたあと引き取ってくれた、血がつながってんだかつながってなんだかわかんないくらい遠い親戚が、そこの院長だった、という話なんだけどな」
孤児など珍しい話ではない。
サラもそうだし、育ちが育ちなだけに両親そろっている子どもを見る機会のほうが少なかった。
「ろくな教育も受けてない、コネがあるわけでもない人間が、手っとり早く金をもうけようと思ったら軍に入るのが一番だろ?なんていっても、ガキってびっくりするほど食うんだよな。俺の給料大半食費に消えるんだぜ?」
「あなただって子どもの頃には、びっくりするほど食べたでしょうよ」
サラは、自分の表情がやわらかくなるのを感じた。
「覚えてられるか、そんな昔のこと。で、くるのか?こないのか?」
ライアンはもう一度手をサラの方にのばした。
「私に選択権あるのかしら?」
そう言いながらも、サラは立ち上がる。肩から前に落ちていた三つ編みを、背中にはねのけて。
「なあ、アーティカの男はバカばかりなのか見る目がないのかどっちなんだ?」
サラを腕の中におさめて、ライアンはたずねた。
「どういうこと?」
「サラみたいないい女を、今までほっとくなんてさ。バカか見る目を持ち合わせてないかどっちかだろ」
いい女、か。
言い寄ってくる男はそれなりにいたけれど、面と向かってそんな台詞をはかれたことなどない。
世辞だとわかっていても、そう言われて悪い気はしない。
「あら?言い寄ってくれる相手がいなかったわけではないわよ?」
ライアンの腕の中で、サラはほんの少しだけ背をそらす。下から見上げた彼の顔はどこか遠くを見つめていた。
愛している相手ではないけれど、誰かの腕の中にいるのも悪くはない。この頃そう感じる。
アーティカを離れて一月とたっていないというのに。
「だろうな」
「私が愛した男は、今までに一人だけ。そして彼は他の女の子を愛した、それだけの話よ」
サラを組み敷こうとしていたライアンが動きをとめる。
「女の子、だと?」
「私より十歳も若いんだもの。女の子でいいでしょうよ」
「女は若いほうがいいってか。バカだな、そいつ」
反論しようとしたサラの唇を、ライアンは自分のそれでふさぐ。右手をのばして、部屋の明かりを消した。
数時間後、再び艦長室が明るくなる。
出ていこうとするライアンを見送るサラは、完全に身支度を整えていた。
彼を送り出した後、このまま艦内の見回りに行くつもりだ。
乗り込んでいる人間を信用していないわけではないが、用心を重ねるにこしたことはない。
「三日後だそうだ」
出撃命令の期限をライアンは告げる。
ランプを手にライアンに続こうとしていたサラは、予想通りというように首をふる。
「……一つ謝っておかなきゃならないことがある」
艦長室の扉に手をかけて、ライアンはためらいがちに口を開く。
「センティアの研究所でおこなわれていたあれ、実用にはほど遠い代物だったそうだ。つまり当面はマグフィレットに空を独占されることはないだろうってことだ」
「あらそう」
吐き出したため息は、納得したものではない。
ライアンは素直にわびの言葉を口にする。
「……だましたみたいになって悪かった」
「いいわよ」
だまされる方が悪い。ライアンから話を持ちかけられた時に、もっと慎重に裏をとればよかったのだ。決断には時間をかけたつもりだったけれど、調査がたりなかったのはサラの失態だ。
心がゆれないわけではない。
ライアンを部屋の外に押し出しながら、サラは自分に言い聞かせる。
これでよかったのだ。
あのままアーティカにいたら。
きっといつか憎しみをぶつけてしまっていた。
サラからヘクターを奪った彼女。
一人生き残った彼女。
とても愛しくて……憎い彼女。
「何だよ?」
気がつけばライアンが見下ろしている。
「何でもないわ。……あなたは自分の船にお帰りなさいな」
何度も自分に言い聞かせる。
これでよかったのだと。
本当にそうなのかと問いかけるもう一人の自分の声には、サラは耳をふさいでいた。
「よろしいのです?」
ライアンがいなくなるのを待ち構えていたように、アーティカから連れてきた部下が顔をのぞかせる。
「何が?」
涼しい顔で艦内の見回りに出て行くサラとは対照的に彼女の方は渋い顔だ。
「あの男好き勝手しすぎですわ」
「エレン……悪い相手じゃないわよ。少なくとも彼に悪気はないもの」
苦笑してサラはエレンの腕を掴んだ。
「そんなことより艦内を見回ってきましょ。よく知らない人間が多数乗り込んでいるわけだしそちらの方が心配だわ」
自分はいい。けれど、自分を信じてついてきてくれた彼女たちをどうしよう。
サラは、早くも戦争が終わった時のことを考え始めていた。




