51.ゆれる心(1)
リディアスベイルの艦長室、届いた報告書を読み終えて、サラは目元をおさえた。艦長室といっても、他の部屋とそれほど変わった作りというわけではない。書類や地図を広げるための大きな机が置かれているのと、その分部屋が多少広いくらいのものだ。
カーマイン商会に保護された王子を奪おうと、アリビデイルと契約を結んでいる傭兵部隊が動いたという話は聞いていた。
報告書によれば列車を停止させることには成功したものの、手ひどい反撃をくらったということだ。護衛用の兵士はほとんど乗っていないという情報に誤りはなかったが、イレーヌ・カーマインの使用人は全員がかなりの戦闘力を持ち合わせていたようだ。
イレーヌ本人も機関銃を手に大暴れしたらしい。さすがは死を商う女ということか。
王子の誘拐することはできず、書類を奪うこともできず。何名もの死者を出して、作戦は失敗に終わった。
別の傭兵団の団長から話をもちかけられた時、断っておいて正解だったと思う。
今サラの手元にいる人数は、それほど多くはない。
傭兵部隊といえど構成員の大半は、ビクトール個人に忠誠を誓っている。
特にアーティカで生まれ育った者はその傾向が強い。
アーティカを離れるにあたって、慎重に選んだ人員は十名。
あとの者はビクトールにつくのが目に見えていたからだ。
連れてきた人数だけでは、リディアスベイルをなんとか航行させることはできても、戦闘ともなれば人員は大幅に足りない。
戦闘機もそのパイロットも、アーティカに残してきた。
今この船に搭載している戦闘機は、アリビデイル王国正規部隊のものだ。パイロットも正規軍の兵士で、正常な体制とはいえない。自分が育った国に攻め込むというのは奇妙なものだ。
王子も機密書類も手に入れられなかった今、空を一国に占領させないためには研究を完成させられる前に叩くしかない。
報告書を机に投げ出して、腕の中に顔をうずめた。離れることを決めたとき覚悟はしたはずなのに、胸のつかえは取れそうもない。
サラは、生まれたときからアーティカで育ったわけではなかった。戦災孤児だった彼女がアーティカに拾われたのは、偶然の結果にすぎない。
王室の運営する孤児院に送られる可能性もあった。サラを拾ったのはまだ結婚前だったダナの母親で、中心になって面倒をみてくれたのは、その母親。つまりダナの祖母にあたる女性だった。
傭兵という職業柄、アーティカには片親を失った子どもや孤児も多い。孤児となった子どもは、誰かの家に引き取られる。
サラのように外部の子どもが引き取られることも珍しいことではない。
引き取られたからといって、アーティカで傭兵となることを強制されるわけではなかった。離れたければいつ出ていってもかまわない。十五になった時にそう聞かされた。
本人が望むのならば地上の学校へ行くこともできるし、奉公先を世話してやるとも教えられた。
地上におりた仲間も少なくなかったが、サラは残ることを選んだ。
ダナの祖母が住んでいたのは、オリガとハーリィが結婚生活を送っていた家のすぐそばだったから、二人の間に生まれたダナは妹のようなものだった。親同士が親しかったから、そこにヘクターが加わるのも当然の結果だった。
いつも後ろをついてきていた二人から、離れることなんてできなかった。
二人が母親を……ダナは父親をも失ってからは、サラがめんどうをみるようになった。
残ったサラを高く評価して、ビクトールは周囲の反対を押し切って副官へと取り立ててくれた。
どれほど感謝してもしきれない。返しきれない恩を仇で返している。
彼の期待に応えたかったというのに、このままいけば、アーティカと対戦せざるをえない。
恩人であるビクトールと、複雑な感情を抱く彼女と、双方を相手にすることになる。
ビクトールの思考回路は全て飲み込んでいる。きっと勝機は見いだせるはず。
そう自分を奮い立たせてみても、出てくるのはため息ばかりだ。
「おいおい、辛気くさいぞ。その格好」
頭の上に手がのせられた。
「……ノックくらいして」
顔を上げるまでもなかった。艦長室にノックもせずに入り込む図々しい男など、一人しかいない。
「したさ。返事がなかったから勝手に扉をあけただけだ」
「それってどうなの」
「部屋の中にいたんだからかまわないだろ」
かまう。おおいにかまうのだが、ライアンはさっさとベッドに腰を落とすとサラを手招きする。
それしか頭にないのかと問いただしたくなるほど、ライアンは毎晩リディアスベイルに乗り込んでくる。
「どうして軍に入ろうと思ったの?」
ライアンの手招きにはこたえず、サラは脚を組み直した。
行儀が悪いのは承知の上で椅子に横向きに座り、背もたれに肘をかけてライアンを見つめる。
「お?俺についての初めての質問だな。ようやく俺に興味が出てきたか」
「……そういうわけではないけれど」
そういえばお互いの素性について詮索したことなどなかった。必要なんてなかったから。知っているのは、互いの名前と年齢くらいだ。それだっていくらでも偽ることはできる。
ライアンにふれられるのは嫌ではないが、しょせんは契約上の関係でしかない。
そこに特別な感情などない。彼でないのなら、誰だって同じ。
「養わなきゃならないやつがいっぱいいるからなあ」
ライアンは目を細めた。
ライアンのことなど何とも思っていないはずなのに、胸に針を刺されたような痛みを覚えて、サラは目をそらす。
似ている。
共通点など黒い髪と恵まれた体格程度でしかないのに、ふとした時に見せる表情が、ビクトールにもヘクターにも似て見える。