50.王子の帰還(2)
フェイモスとはディオの叔父にあたる人間だった。
ディオゲネスのすぐ下の弟で、ディオが生まれるまでは次期王位継承者とされていた人物だ。
王となるための教育を受けていた期間も長く、ディオゲネスの治世にあっては、宰相として辣腕ぶりを発揮している。
凡庸な人だった、と息子であるディオにでさえ評されてしまうディオゲネスのもと、彼のもつ権力は絶大なものだった。
マグフィレット王国が他国の侵略を受けることがなかったのは、彼の力によるところが大きかったともいわれている。
その下にフィディアスという三男がいたのだが、彼は数十年前に逝去していた。
フレディの母親であるフレデリーカは、その下になる。
今頃カイトファーデン家でも親子の再会がはたされている頃だろう。
母親の前を辞してディオは、自分の部屋に戻った。
部屋の広さこそかなりあるものの、一国の王子の部屋としては質素な方ではないかと思う。
マグフィレット王国が貧しいというわけではない。技術力ではセンティア王国に及ばないとはいえ、金や石油、フォースダイトといった資源には恵まれている。国土の大半は土地も豊かで、収穫される作物の種類も豊富だ。ただ、王室の頂点に立つ二人が、質素な生活を好んでいるというだけの話だ。
彼の部屋で唯一金銭的に価値があるものといえば、壁に作りつけられた棚に並ぶフォースダイト鉱石のかけらくらいのものだ。
ネクタイをゆるめて、ベッドの上に放り出す。上着の内ポケットに納めた書類を手にとって、ディオは顔をしかめた。これをどうしよう?ここまで大切に持ってきたこれを。
「ようやく戻ったか」
フェイモスは、頭をたれるビクトールに言った。
七十でこの世を去ったディオゲネスより十歳年下であるが、それよりはるかに若く見える。
何かと病弱な兄とは違い、若い頃から体力には自信がある。
若い頃には兄がいなくなれば、自分が国王になれるという野望もあった。実際兄ではなく彼を王位につけたいと、もちかけられたこともあった。その話にのらなかったのは、王位がほしくなかったからというわけではない。
さほど遠くない未来に王位は自分のもとへやってくると、確信していたからだった。実際に王位を奪おうとした三男は、表沙汰にならぬうちに密かに処刑されている。その手はずを整え、病死として発表したのはフェイモスだった。わざわざ反逆者の汚名をきることもない。正直に言ってしまえば、フィディアスのことは愚かだと今でも思っている。
もっとも彼の上にはさらにフェイモスが控えていたのだから、焦るのもしかたのないところだったのかもしれないが。
時期がくるまでに自分の手腕を家臣の目に明らかにしておけばいいと、宰相という地位にとどまって腕をふるうこと数十年。
病弱なはずだった兄は、寝たり起きたりしながらも七十まで生きた。頼りないながらも一応の後継者を残して。
王位にこそつけなかったが、今の状態にはしごく満足している。国の実権は彼の手にあるのだから。
若い次期国王も彼の手がなければ、国を治めていくことなどできないだろう。
国王を軽んじるつもりもないが、必要以上に口を挟まれても困る。現在の体制でうまく回っているのだから。
もっとも、ディオも積極的に政治に関わろうとはしないだろう。彼の好奇心の大半は違うところに向けられている。
どちらかというと学者的気質な甥のことを、フェイモスはよく理解していた。
「何はともあれ王子が無事でよかった。ところで、アリビデイルが侵攻の準備を進めているそうだ。戻ったばかりのところすまないが、いつでも出られるようにしておいてくれ」
「先日の戦闘でこちらの被害も甚大なものでしてな。船の修理が間に合いますかどうか」
「まったくお前ときたら」
肩をすくめるビクトールに、書類をたたきつけておいてフェイモスは笑った。
「費用の面は気にするな。国庫から補填させるし、業務を超特急で進めるようにこちらからも通達を出しておく。次期国王の名前でな。ディオも最終的な署名くらいはできるだろう」
宰相と次期国王という以前に、この二人は叔父と甥の関係でもある。思わず愛称で呼んで、彼は顔をしかめた。
「ディオス殿下、だな。油断した。このことは黙っておけよ」
「かしこまりました」
にやにやとしながら、ビクトールは返す。
「まったくいやな奴だよ、お前は」
そう言うフェイモスの表情には曇りも陰りもない。
親子ほど年が離れているアーティカの長のことを気に入ってはいる。
「ところで宰相閣下」
ビクトールは笑い顔から真剣なものへと表情を変えた。
「アリビデイルの侵攻理由とは、ディオス殿下の持ち帰った研究成果ではないような気がするのですが?」
「だろうな」
フェイモスの答えは明快だった。
「国に入る前に奪えることができればともかく、国に侵攻してまで奪うほどのものではないだろう。センティアの研究所の職員がいなくなった今、王子の持ち帰った資料があったとしても実用化には数年かかるだろう。その間にいくらでも対応策は練ることができるだろうさ」
「なるほど」
ビクトールは、顎に手をあてた。
そんな彼に頓着することなく、宰相は話を続ける。
「狙いはセンティアに侵攻した時、我が国からの援軍を出せないようにすることだろうな。本命はセンティアだ。国境をどこに引くかでもめているらしいからな。ついでに我が国からは鉱山の採掘権くらいは、持っていくつもりだろうが」
まずは正規軍で対応するが、動ける体制だけは整えておいてほしいと重ねてつけ加え、宰相はビクトールを退室させた。




