5.本拠地の夜(1)
アーティカの本拠地、飛行島クーフに到着したのは真夜中近くだった。すぐに徹夜での補給作業が開始される。
ルッツの部屋に取り残されたディオをダナが呼びに来たのは、到着してから数十分後だった。
「ビクトール様が、島の中も案内してやれって。こんな夜中だから、見ても楽しいところなんてないと思うけど」
あいかわらずの口調で、ずけずけとダナは言う。彼女の言葉を一つ一つ気にしていても、仕方がない。
それならば、と一番見たかった物をディオは口にした。
「フォースダイト見られるかな?」
「いいわよ。そんなもの見たいだなんて、変わってるわね」
「大学の専攻なんだ」
大学、という言葉を聞いてダナは納得したように首をふった。
「大学に行っているなんて、やっぱりおぼっちゃんなんだ。あんな船に乗っていたし、着ている物も違うものね」
大学に行くことができるのは財政的に恵まれた家の者か、奨学金を得ることができる優秀な学生だけだ。たしかに、国王の息子というのは国内最高級のおぼっちゃんだろうが、身分を明かすわけにもいかない。
あいまいにうかべた苦笑いでごまかす。
甲板に出ると、冷たい風がディオの頬を刺した。まだ秋には間があるとはいえ、ここは上空。地上よりはだいぶ気温が低い。はあ、と息をはいてみた。白くはならないのを見て、思っていたほど寒くはないのだと目で実感する。
「何やってるの。行くわよ」
先に島に降り立っていたダナが、ディオをせかした。
甲板から見下ろした島内は真っ暗だった。ほとんどの人間が寝ている時間なのだから、当然か。
「食べるものはどうしているの?」
ダナが開いたのは、軍用艦をおりてから数分歩いたところにある小さな扉だった。その先に続く通路を歩きながらディオはたずねた。
通路の両壁にはところどころに明かりがともされてはいるが、十分な光の量ではない。
「島内でも作っているけど、ほとんど地上から買っているわね。パンを作る小麦だけは、国王陛下から支給されるけど」
食生活は、かなり質素なようだ。自分の寮の食事と似たようなものなのだろうと、解釈する。
「水は?」
「ものすごい貴重品。島内に池はあるけど、それだけじゃ足りないし。でもクーフは恵まれているかしら?」
「なぜ?」
「古代人の機械があるから。海水から真水を作るのって今の科学力じゃ無理でしょ」
フォースダイトを作ったことといい、真水精製機を完成させていたことといい、古代の人間と現代の人間の間にはどれほどの差があるのだろう。
生きているうちに、その科学力に追いつくことができるのだろうかと、ディオが自分に問いかけた時だった。
「はい、到着」
もっと厳重に警戒しなくていいのだろうか。無人のドアを、ダナがあけた向こうは広い部屋だった。天井も高い。普通の家の三階の天井と同じくらいの高さのところに天井があった。中央にわずかに発光している緑色の球体。広い部屋の大部分を、この球体が占めている。
「これがフォースダイト……」
ディオはつぶやいた。
研究室で実験に使っているのは、これよりもはるかに小さなかけらでしかない。半径数キロに及ぼうかという島を地上に浮かべようというのだからこの技術力はたいしたものだ。
やはり、古代の人間にはかなわないのだ、まだまだ。
実験室で使っているかけらとは比べ物にならないフォースダイトの輝きに魅せられているディオをよそに、ダナは部屋を横切っていた。部屋の向こう側から、ディオを呼ぶ。
「制御室も見る?」
「で……できるなら」
ダナの案内してくれた制御室には、三人の男がいた。皆、中年以上の年齢であることにディオは気がついた。さらにそのうち一人は右手がなく、義手が服の袖口からのぞいていた。
「やあダナ、久しぶりの空はどうだった?」
「最高!やっぱりアーティカの人間は、空を離れは生きられないんだ、って実感しちゃった」
声をかけてきた一人に笑顔を返してダナはディオを三人の方におしやった。
「彼、今回の救出目標。大学でフォースダイト工学を専攻しているんですって。ディオって言うの」
「ど……どうも」
ディオは頭を下げた。三人の目が丸くなる。
「大学生を見るのは初めてだなあ」
「こんなとこまで来ないもんな」
「とりあえず、こっち見てみるかい?」
口々にディオに話しかける。ディオは誘われるがままに制御板に目をやった。彼には見当もつかない。いくつもの赤いランプ、緑のランプ、レバーにボタン。左上にあるのは、航路図だろうか。黒い背景の上に、緑の光でセンティアとマグフィレット近郊の地図が描き出されている。
「この赤いランプが現在地」
男の一人が親切に教えてくれた。
「現在地?」
「飛行島だからね。今現在もこの島はゆっくりと東北東に移動している。停止させることも可能だけど、本拠地攻められたらたまらないだろう?だから我々は常に移動しているというわけさ。上空からの警戒にもなるし」
右手のない男が親切に説明してくれた。
「下におりすぎたら、君の右手にあるボタンを押してやる。そうすると、少しばかり上空にあがるってわけさ」
最初にダナに話しかけた男が、続く。
「高度は、君の正面。常に三人体制、二十四時間で監視しているから、墜落の心配はまずないよ」
残った一人が笑う。
「我々にできるのは、畑仕事と監視ぐらいだからなあ」
右手のない男が話を引き取った。監視にあたるのは、戦闘から引退した者がメインなのだという。
若者があたったこともあったのだが、いつの間にか引退した者がこの任にあたることに慣習が定まっていた。
引退した者すべてが監視の任にあたることができるわけではなく、団長に見込まれた者だけが許される。責任ある任務というわけで、引退時にこの任務につくよう命令されるのは一種の名誉のようなものらしい。
「今は、ティレント方面に向かっているな」
「陸地に近づきないようにしろよ。万が一ってことがある」
「わかっているって」
口々に言う三人を横目で見ながらダナがささやいた。
「島から石一つ転がり落ちただけで、下では大惨事につながりかねないから現在地は大切なの。あたしたちは基本的には海の上にいるってわけ」
下に島があったり、船がいたりした場合はどうなるのだろうとディオは思ったが、そこも計算されているのだろう。そうでなければ、海路を使っての航行などできるはずがない。監視室を出て、ダナはディオをビクトールの家に案内した。
客人はビクトールの家に滞在するのが決まりらしい。夜明けにはフォルーシャ号で出発だが、数時間の仮眠をとるくらいの時間はあった。柔らかなランプの明かりに照らされた部屋は、簡素ながら居心地がよさそうだった。
壁には、明らかに子どもの手とわかるへたくそな花の刺繍が飾られている。窓際におかれた小さなテーブルの上には名も知れない小さな花がコップにいけられている。
「明日の朝、誰か迎えに来ると思うけど。日が出るのと同じくらいに出るからそのつもりでね」
よく勝手をしっているのだろう。てきぱきとベッドを整えると、ダナはそう言って出ていった。ネクタイは外したものの、上着は脱ぐ気になれずそのままベッドに潜り込む。
潜り込んだ布団は、太陽のにおいがした。寮の冷たいベッドとは大違いだ。船の中で昼寝もしたはずなのに、あっと言う間にディオの瞼は重くなった。