49.王子の帰還(1)
それから五日後。
一行は無事王都ティレントに到着した。アーティカ所有の小型機が前方と後方の警戒にあたったためか、その後の襲撃はなかった。
イレーヌたちも無事に攻撃をしりぞけ、汽車からカーマイン商会所有の自動車にのりかえ王都に入ったと連絡があった。
ディオとフレディは王族とそれに準じる立場の者として一番厳重に警備された車に乗車し、ダナとルッツは二人とは別の車だった。二人には、警護という任務もある。
残りの旅程の間、ディオはひたすら閉じこもっていた。
その日宿泊する場所に到着すれば、ダナは真っ先に車から降りて周囲の警備に駆けだしていく。
ルッツはというと、一日の走行を終えた車の整備のために車庫へとこもる。
あとのメンバーは王族相手にしゃべることなどとんでもないといった様子。
ディオとフレディに臆することなく言葉をかけるのはビクトールだけで、フレディは肩の傷が痛いとディオの相手をしている余裕などない。
食事も皆と別だったから、口を聞く相手もいなかった。
部屋を抜け出してダナを探してみようとも思ったのだが、ビクトールたちと再会した夜を例外として、扉の前には常に警備担当者が立っていて抜け出すことなど許されなかった。
留学前にはそれが当たり前の生活だった。王宮にいるのはディオと両親である国王と王妃。あとは全員使用人と国務にあたっている者たちだけで、常に一人。
友人といえば何日も前から計画を立てて、王宮に招待される貴族の子どもたちだけ。心を割って話せる相手ではなかった。
大学に入ってようやく友人に囲まれて、以来それに慣れきっていた。こんな風に周囲から隔絶された環境は久しぶりだ。ようやく見慣れた景色にたどりついた時、思わず目を閉じた。同じ孤独に囲まれるのなら、生まれ育った環境の方がまだましだ。
生まれ育った王宮の入り口に車がとまる。茶の屋根を抱く真っ白な大きな建物。真っ青な空に映えるそれを見上げながらディオは車から滑りおりた。
ここから先は、今までとは違う。忘れかけていた王族としての顔を作る。
ディオの視線の先にあるのは、王宮の入り口へと続く階段だった。
ようやく戻ってきた王位継承者は、王宮の警備兵たちがずらりと並んで見守る中を、ゆっくりと進み始める。
一つ一つの段をしっかりと踏みしめて、入り口に到達した。
扉の両脇に控えていた兵士たちが、大きく扉を開け放つ。
ディオは最後にちらりとだけ背後をふり返った。王宮の中へと入っていくディオを見守るアーティカの兵士たち。ひときわ高いビクトールのすぐそばで、赤い髪の持ち主がディオを見上げていた。
彼女に目をとめて、動けなくなる。全力でディオを守り続けてくれた彼女。この扉を入ったら、もうこの先彼女と接することはない。
ディオとダナの視線が交錯する。ダナが右手を胸のところまであげた。目立たないように小さく手をふってみせる。それに口元だけの笑みを返しておいて、ディオは正面に向き直った。
大きく息を吸い込んで一歩踏み出す。
彼が子どもの頃から王宮に使えていた侍従長が、うやうやしく頭を下げた。
「よくお戻りになられました」
目元に涙をにじませながら、彼は先に立ってディオを導く。
最初は公的な間で顔を合わされるのかと思っていたのに、いきなり王妃の私的な居間に通された。
待っていた王妃エレノアは、ディオを見るなり駆け寄ってきて抱きしめた。
「ディオス……ディオ……」
最初は正式な名で、ついで愛称で呼んで背中に回した腕に力をこめる。しばらく会わない間にずいぶんやつれていた。
「あと一日早ければ間に合ったものを……」
「もうしわけありませんでした、母上」
父親の容態については、ビクトールから聞かされていたから覚悟はできていた。
それだけを何とか搾り出して、ディオは母親からそっと身をひく。
彼女の身をつつむのは黒い喪服。ちょうど昨日の今頃、国王ディオゲネス三世は息をひきとったのだという。その父の遺体は、今は王宮にはない。防腐処理を施すために運び出されている。
マグフィレット王国の慣習で、国王の遺体は防腐処理を施された上で、半年にわたって定められた場所に安置されることになっている。
半年の間は国民誰もが花を捧げることを許される。その期間が終わり国王の葬儀を行った後、新しい王が即位することになる。
母親の顔を悲しみの陰が縁取っているのに気づいて、ディオは意外に思った。
長年夫婦としてやってきた情なのだろうか。
いくらディオが箱入りとはいえ、くちさがない宮廷すずめたちのおしゃべりがまるっきり耳に入らないほどではない。エレノアが王妃として迎え入れられたのは、前夫との間に一子をもうけたからであって、そうでなければ彼女の身分で王妃になることなどありえないと言うことは、幼い頃から察してはいた。
ディオの父であるディオゲネス三世には、正式な王妃の他に寵妃がいた時代があった。そのいずれも懐妊することなくこの世を去り、人生も半ばを過ぎてから迎えたのがエレノアだった。
夫と娘を流行病で失った後、実家に身を寄せていたエレノアのところに話が持ち込まれたのは、たまたま公務でセンティアを訪れていた王の目にとまったからだった。
元をたどればセンティア王家につながる家とはいえ、エレノアは外国の王室に嫁ぐことができるような身分ではなかった。
とはいえ出産が可能な年齢で、なおかつ五十間近の男に嫁ぐことを辞さず、過去に出産した実績がある、という女性の王族はその頃のセンティアにはいなかった。国王は世継ぎを作ることがなにより大切だ。
ディオゲネスには弟が二人いたが、直系の血を残すことができるのとできないのでは大きく違う。
ディオゲネスは確実に子をなすことをできる女性を望み、センティア側としては、他の国とマグフィレット王国が近づくぐらいならばと、国内外にさまざまな工作を行った後エレノアは王妃となった。
育った環境が環境だからだろうか。よく見れば若かった頃はそれなりにきれいであっただろうと思われる顔立ちをしているものの、一国の王妃としては存在感、華やかさといったものには欠けている。実際ごく限られた公務は行うものの、ひっそりと王宮で暮らすことを望む女性だった。
両親ともに息子にはそれなりの愛情を注ぎ、それなりにあたたかな家庭を築く努力をし、それに成功していたのはディオも認めるところだった。
ただそれだけで、ディオの目には互いにそれほど強い愛情を持っているようには見えていなかったというのに。
それでも今彼の前に立つ母は、ハンカチを握りしめて目を赤くしている。
「今後のことはフェイモス様に相談なさい」
「はい、母上」
うやうやしくディオは頭を下げる。