48.ビクトールとの再会(2)
ディオに与えられた一室は、宿の中でも上等の部屋のように思われる。
顔がじりじりと痛んだ。
我慢できなかったらという口上とともに渡された薬を、テーブルの上に用意されていた水で流し込んで、ディオはベッドに倒れ込んだ。
睡眠作用もある薬だと医者は言っていたが、眠れそうにない。
ベッドの中で何度も寝返りをうつ。
訪れかけた眠りに身をゆだねようとしても、あの男の最後の姿が目の前に浮かんで飛び起きる。そして、両の手を確認する。何度確認しても、もう血のあとなど残っていない。シーツに手をこすりつける。
研究所の仲間たちが全員殺されたと聞いたあと、同じようにうなされていたディオを助けてくれたのは彼女だった。
寝つくまで何時間でも髪をなでて、時には彼の腕の中にもぐりこんできて抱きしめてくれた。
半ば癖のようにベッドの半分を明け渡した隣を見下ろしても、今は空っぽで冷たいシーツに皺がよっているだけだ。
どれだけ彼女に助けられていたのだろうと、今さらながらに自問する。
諦めてディオはベッドを抜け出した。長い廊下をあてもなく歩き始める。
眠ることはできなかったものの、薬が効いているのか痛みの方はだいぶましになっていた。
フレディの様子を聞きに行ってみようと思い直したのは、ほとんどの扉が閉じている中、細くあけられたからこぼれる光を捕らえたときだった。
確かフレディが治療を受けている部屋だ。近くまで来ると中から声が聞こえてきた。
「さっさと寝なさいって言ってるでしょ!あなた怪我人の自覚あるわけ?」
「キスしてくれたら、おとなしく寝るけど?」
「さっきからキスキスうるさいわね!助けてくれたのは感謝するけどそれとこれとは別問題よ!あたしが寝なさいって言ったら寝なさいよ!」
扉を通り越し、響いてくるダナの声。
胸に針を突き立てられたような気がした。
フレディは彼女をかばって怪我をしたというのに、ディオは何もできず逃げただけだった。
人としての器の差を思い知らされる。ひょうひょうとしたフレディの言葉が、ディオに追い打ちをかけた。
「それってキスしてくれたうちに入らない」
「うるさい!おでこで十分!さっさと寝なさい!明日ひどくなっても知らないんだから!」
がたん、と椅子を引く音がした。
勢いよくドアが開いて、中からダナが出てくる。
顔が赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか。
ディオに目をとめて、ダナはぎょっとしたように立ち止まった。
「どうしたの?その顔……」
ここまでは別々の車で来たし、ダナとビクトールが再会した時にはディオは車を降りることを許されなかった。宿に着いてからも別々の部屋。別れてから顔を合わせるのは初めてだった。
「一人こっちに来てたんだ。逃げようとしたんだけど……」
思い出す男の声。手に残る肉を斬る感触。こびりついて落ちない血。そこから後は続ける必要はなかった。すべて理解したという顔で、ダナが手をさしのべる。
「外へ、行く?」
ダナにうながされて、ディオは一歩踏み出した。手をつないで、宿の入り口から外に出る。
夜の風は冷たかった。思わず身をふるわせる。
「ごめんなさい」
入り口の階段に腰かけて、最初に口を開いたのはダナだった。
「肝心の時に役に立たなくて。あなたに手を汚させるつもりはなかったのに」
「ダナ……僕は」
「本当に役に立たないわね」
「そんなことない!」
対するディオの反論は強いものだった。
「君がいなかったら、僕はここまで来ることなんてできなかった。感謝している」
アーティカの救いの手がなかったら、メレディアーナ号の船上で研究成果を奪われていたはずだ。殺されていた可能性だってある。あの時船に乗り込んでいたのは、マグフィレットの王位継承者ではなく、一介の大学生なのだから。ダナは今まで見せたことがない、情けない笑みをうかべてディオを見た。
「あたしね、傭兵なんてやってるけど。それでも戦場に出た夜は眠れないの。だってそうでしょ?敵だろうが見たことない相手だろうが、人を殺していることにはかわりがないんだから」
ディオの前で涙など見せないと思っていたはずなのに。
一度あふれた涙はとどまることを知らなかった。
「ごめんなさい……あなたにこんな思いをさせるつもりなんて……」
ディオは、しゃくりあげるダナを引き寄せた。大丈夫だなんて、でまかせを言うことはできなかった。こうして外に出てきているのは、ディオ自身まいっているからだ。
ただ、肩を震わせるダナを引き寄せて、抱きしめる。今まで何度も彼女がそうしてきてくれたように。
「あたし、空に戻れないかもしれない」
ディオの肩に顔を埋めたまま、ぽつりとダナがつぶやいた。
「戻れなかったら、僕と一緒にきたらいいよ」
耳元でディオはささやいた。
「国に戻ったら王子様だからね。何でもかなえてあげるってわけにはいかないけど。君のできることが見つかるまで、面倒みるくらいのことはできるよ」
「ディオ?」
しゃくりあげるのと、くすりと笑うのと両方同時にやるのは難しい。その同時を器用にこなしながら、ダナは言った。
「あたしに優しくしようとしてる?」
「そうだよ、気がつかなかった?」
「気がつかなかった」
ディオはダナを抱きしめる腕に力をこめた。誰も外に出てこないことを祈りながら。




