46.初めての死闘(2)
銃声を背に、ディオはひたすら駆けた。
怖い。
恐怖心が足を動かす。
どうしてフレディはあの場にとどまっていられるのだろう。怪我をしたというのに。
ルッツは?ダナは?なぜ、彼らは逃げ出さずにいられるのだろう。
ほんの一瞬前までは、自分も戦えると思っていた。
耳を弾がかすめたのなんてかすり傷にも入らない。
それなのに目覚めた恐怖心は、ディオからあの場に残るという選択肢を奪っていた。
走る。
走る。
走る。
足下が見えない中、足をもつれさせながらディオは走った。
ルッツの示した方向へひたすら。
早くビクトールたちに会えればいい。そうすれば、皆のところへ援軍を連れて戻ることができる。逃げ出したわけじゃない。援軍を呼びに行くんだ。そう言い聞かせながら、足を動かす。
木の根に足をとられた。体勢を整えることなどできず、そのまま地面に頭からつっこむ。銃が手から放り出される。
数回転がって、うちつけた膝を呪いながら、立ち上がりかけた時だった。
耳がかちゃりという金属音をとらえた。とっさに前に飛んで、地面にふせる。
ディオの今までいたあたりの地面に、何かが激突するのがわかった。
銃はどこだ。暗闇の中では何も見えない。
必死で地面の上を撫で回し、銃のありかを探る。
「そこまでだな」
知らない声が耳をうった。枯葉を踏む足音が近づいてくる。
額に押し当てられる冷たい感触。おそるおそる視線を上げていくと、正面から銃口がにらみつけていた。
ほとんど真っ暗な中、ごくごく細い月の光でもそれが銃口だと確認できる。
「機密書類とやらを持っているのはあんたか」
声の主はまだ若いようだった。ディオは黙っていた。何を言っても命取りにしかならない。
男はいらついたように、銃口でディオの額をこづいた。ディオの背中を冷たい汗が流れ落ちる。
「殺してからゆっくり探すという手もあるんだぜ?」
男はゆっくりと言う。ディオの反応を楽しんでいるかのように、たっぷりと間をとりながら。
「違っていたら違っていたでいいんだけどな」
男の口調は書類を持っているのが今目の前にいる相手であることを確信していた。
どうしよう。恐慌をきたす、とはきっとこういうことをいうのだろう。どうしたらよいか見当もつかない。放り出してしまった銃は見つからないままだ。
ナイフは腰の後ろに隠してある。目の前の男にナイフで勝てるだろうか?そんなことを考えながらも、選択肢がないこともわかっていた。目立たないようにそろそろと手を後ろに伸ばす。
「うわあああああああ!」
声と同時に男に飛びかかった。狙うのは銃を持つ右手。
狙いを定めた場所に斬りつけた時には、目を閉じていた。刃物が肉に食い込む嫌な感触。骨にあたって止まったナイフをディオは引き抜く。血が飛び散った。
「何するんだ、この!」
自分の優位を隠していた男は、完全にふいをつかれた。斬りつけられた勢いで、銃を取り落とす。
ディオはとっさにそれを蹴り飛ばした。
「機密書類とやらはお前を殺してからだな!」
ディオのナイフを奪おうと、二人はもみ合いになった。
頬を殴られてディオはよろめいた。それでもナイフは放さない。系統だった攻撃なんてできるはずもない。ただめちゃめちゃにナイフを振り回す。
今度は腹を蹴りあげられた。
息がつまった。うめき声をあげて地面に倒れる。倒れたまま酸素をもとめて、せわしなく呼吸を繰り返す。
男が足をあげたのを目の端で確認して、横に転がった。
今までいた場所に足がおろされる。
「いいかげんにしろ!」
今度は背中を蹴りあげられた。せきこむディオに対し、男は容赦なく蹴りを入れ続ける。
落としたナイフは遠くへととばされ、ディオにできるのは、丸くなってせめて腹部をかばうことだけ。
圧倒的な暴力にさらされるのは初めてのことだった。
口の中には、鉄の味が広がっている。何度か目に蹴り転がされて、ディオは死を覚悟した。
せっかく皆が逃がしてくれたというのに。
頭が白くなる。このまま気を失ってしまえたら、楽になれるのかもしれない。
意識を手放そうとした時だった。放り出した手が何かを捕らえた。自然物ではない冷たい感触。
また蹴りあげられながら、ディオはそれを引き寄せて握りしめた。
使い方はわかっている。頭の中で手順を確認する。
チャンスは一度だけ。
それを外してしまったら、本当に殺されてしまう。ぜい、と息をはいてディオはその瞬間を待った。
訪れたその瞬間。考える間もなく引き金を引く。ディオの上に血の雨がふりそそいだ。
男の動きは、やけにゆっくりに見えた。信じられない、といったように男は目を見開いていた。くるり、と一回転してそのまま倒れ込む。
数度指先を痙攣させて、言葉を発することなく男は動かなくなった。
ディオは苦労して身を起こした。歩きだそうとして、その場にしゃがみ込む。地面に手と膝をついて、その場に胃の中身全てを吐き出した。
顔に手に身体についた男の血。手を持ち上げて、顔をごしごしとこすってみるが、落ちるはずなどない。降り注いできた人の血はあまりにも生々しかった。
自分の身を守るためとはいえ、人を殺めた。今さらのように足ががくがくとしはじめる。
言うことを聞かない足を叱咤する。早くビクトールたちと合流しなければ。
数回立ち上がりかけてはひざを折って、それからようやく立ち上がる。
銃を右手に下げたまま、ディオはふらふらと歩き始めた。