44.襲撃(2)
昨日とは全く違う重苦しい雰囲気の夕食が終わる。
フレディに言われて、ディオはコートだけはおって、そのままサロンカーに向かった。
サロンカーではイレーヌが待ちかまえていた。黒いドレス姿のイレーヌだったが、メイド二人を従えて厳しい顔をしている。
「そろそろですわよ?」
かけられた声にフレディは頷く。イレーヌは、サロンカーとその前の車両の連結部分の扉を開いた。
飛び込んできた風が髪を乱す。今夜は月もごく細い。民家もないあたりだから、外は真っ暗といってもいい。
スカートの裾をはためかせながら、イレーヌはフレディを見つめた。
「列車、止めます?」
「いや、少し遅くしてくれればいい」
いけるな、というフレディの言葉にダナは肩をすくめ、ディオは目を丸くした。飛び降りろということだろうか。
イレーヌが通話装置越しに、速度を落とすよう命令する。列車の速度が遅くなった。
「行け!」
「無理だってば!」
フレディの声に背中を押されても、飛び降りることなんてできない。手すりにつかまったまま、おろおろしていると、手すりから手をひきはがされた。
次の瞬間、抱え込まれてディオは宙にいた。と思うと激しく地面にたたきつけられる。そのままごろごろと地面の上を転がって、とまった時にはディオが上だった。ダナの胸に顔をうめる形になる。
「早くおりなさいよ!」
下からわめかれて、ディオは頭をふりながらダナから離れた。
ぐらぐらする。転がった時にどこかにぶつけたのだろうか。
「やればできるじゃない」
回りに人家すらない場所。ダナの顔もよく見ることができない。イレーヌの汽車がスピードをあげながら遠ざかっていくのは、音でわかった。
「俺も年だなあ」
ぼやきながらフレディが這ってきた。
「これからどうするの?」
膝をついてフレディを見るダナの手は、腰の銃にいっている。攻撃されたらすぐに対応できるように。
「迎えが来ている」
フレディが周囲を見渡した時だった。激しい爆発音に、ディオは飛び上がる。
「どういうことよ?」
ダナが指した先では、イレーヌの列車が炎をあげていた。
「情報が入ったんだよ。アリビデイルの手の者が、待ちかまえているとな」
「イレーヌさんは?」
「お前はよけいなことを考えるな。行くぞ」
ディオにぴしゃりと言っておいて、暗闇の中で土を払う。そしてフレディは立ち上がった。
「行くってどこへ?」
ディオの言葉が終わる前に、静かなモーター音が近づいてきた。ライトを消したままの車から、場違いにのんきな声がする。
「お待たせ!」
運転席にいたのはルッツだった。
「ルッツ!」
ダナの声が跳ね上がった。
「ディオ君とダナは後ろね。そっちのお兄さんは助手席へどうぞ」
言われるがままにフレディが助手席に、残る二人は後部座席に乗り込む。
「メリッサからの通信届いたか?」
「うん、彼女優秀だね。美人?」
「見方によっては、だな」
「んじゃ王都に着いたら紹介よろしく」
運転席と助手席の二人はいたって気があったらしく、こんな状況下でも交わされる会話は緊張感ゼロだ。
「そんなことより!」
運転席と助手席の間から、ダナは顔をつき出した。屋根のない車なので、風がもろにふきつける。
「ルッツがここにいるってことは、ビクトール様は?」
「別部隊。もう少しすれば会えるよ。それにしても、フレドリク様だっけ?無茶言うよね。5キロごとに車待機させろだなんてさ」
ライトを消したままでも暗闇の中で目が見えているかのように、ルッツの運転には危なげなところがまったくない。
「役に立ったろうが。イレーヌの偵察部隊だけではなく、アーティカの偵察機も使えて運が良かったがな」
それだけ言ってフレディは、口をつぐんだ。
昨晩、メイドという建前のメリッサに通信機を使わせて、アーティカとの連絡を試みたのだ。
飛行島クーフが攻められたという噂は聞いていた。だからビクトールへの連絡ができると確信していたわけではない。
彼が使った通信コードは二年前、私的に使用してかまわないコードだからとヘクターに教わっていたものだった。
そのコードが今でも有効な保証はなかった。クーフが攻められた緊急時に、私的コードを受け付けてもらえるとも思えなかった。
それでも、イレーヌの偵察部隊だけでは心許ない。最初から安全な旅を期待していたわけではないが、何かあると勘のようなものが働いた。当初の予定になかったアーティカへの通信を試みたのは、この勘のためだ。ビクトールへ援護の依頼ができるならばと、わずかな望みにかけた。
イレーヌに雇われる前は某国で諜報部員だったというメリッサの腕は、衰えていなかった。一晩かけて旧コードから新しいコードを割り出し、アーティカへ連絡を取ることに成功した。その後、通信室でメリッサを引き寄せたのはフレディにとってはごく自然な流れだった。イレーヌにばれたら問題になるだろうが。
ルッツが舌打ちする。
「どじったみたいだ。後ろから車来てる」
ルッツの耳は、ディオにはまったく聞こえていなかった背後の物音をとらえていた。
「ダナ。座席の下」
「了解!」
ダナが身をかがめる。座席の下に武器が隠されているのは知っている。
「ディオ君は頭さげておいてねー。頭に弾当たったら困るでしょ」
「俺はどうする?」
「俺が死なないように祈っててくださいな。あ、俺に何かあったら、車の運転よろしく」
よろしく、と同時にルッツはハンドルを切った。タイヤがききっと音をたてる。状況についていけなくなっていたディオは、乱暴にダナに引き倒された。
「何するんだよ!……わ!」
座席におしつけられ、ダナの膝の下敷きにされる。
「俺の個人的意見なんだけど。足固定するのにそれはどうかと思うよ、ダナ?」
運転席から後方を流し見て、ルッツが苦笑する。
「ちっさいことは気にしないで!」
「小さくないと思うけど!」
下敷きにされているディオの言葉には、誰も答えない。ダナは、後生大事に持ち歩いていたゴーグルを腰から取り出して装着した。目に風が入らない方がいい。イレーヌの汽車から降りる時も、これだけはと部屋に取りに戻ったのだ。
手持ちの小型大砲の後部から弾を装填する彼女の口元を、交戦的な笑みがかすめた。
やるかやられるか、だ。それならやってやろうじゃないの。
頼りになるのは、わずかなエンジン音。
彼女が普段耳にしている戦闘機の音にくべるとはるかに小さいが、聞き逃すほどではない。
まず一台。
大砲が火をふいた。