40.愛なんて知らない(2)
「イレーヌのロマンス好きにもまいったもんだよな」
ビリヤードの球を並べながら、フレディがぼやいた。
「何度言っても、この列車にそれ以外の本を積む気にならないらしいんだ」
「そんなに何度も乗っているんだ?」
「そうだな、これで三度目か」
二人の関係は、ディオが思っていたのよりも深いのかもしれない。
ビリヤードは得意ではないし、球を突くような気分でもない。
ディオは壁にもたれて、フレディが球を突くのを見ていた。
小気味いい音がして、球がポケットに吸い込まれるように落ちていく。
落ちた球を拾い集めて、もう一度並べ直していたフレディが顔を上げた。
「ダナのこと好きだろ」
「な……そんなことないよ」
否定しながらも、頬に血が上るのがわかった。好きだとか嫌いだとか、考えたこともない。
助けてもらったことには感謝している。そばにいてくれたことにも。
でもそれがそのまま好意につながるのかと言えば、違う気がする。
彼女との旅は楽しくて、これがこんな目的でなかったらと思ったこともあるほどだけれど。
「深入りはやめとけ。お前は器用に遊べるやつじゃないし、あっちもそれをよしとはしないだろ」
「だから違うんだってば」
「そうかあ?」
からかうような声音とともに響く球を突く音。
「それならいいけどな。深入りするとお互い不幸だぞ。お前は国を継がなきゃならんし、そうなればどっかのお姫さんと結婚することになる」
「……わかってるよ」
王の結婚に愛情なんて必要ない。それはディオにだってわかっている。
彼の両親がそのいい例だ。五十歳にもなって、自分の半分の年齢の花嫁を迎えた父。自分の父親と同じ年代の男の元へと嫁いだ母。
夫婦仲がうまくいっていて、それなりにあたたかな環境で育てられたのは運が良かったのだろう。
「とりあえず、だ」
再び球を集めながら、フレディは言った。
「お前は無事に戻ることだけ考えろ。いざとなったら彼女を捨て駒にしても、だ。彼女の方はそれを理解しているぞ?」
「……」
台の上に球を並べて、フレディはにやりとした。
「そういうわけで、彼女は俺がもらう」
「なんだよ、それ。彼女の意志は?」
「そんなもの関係ないさ。彼女が俺の魅力に気がつけばあっという間だろ?」
自信満々なフレディの言葉に、憮然としてディオは壁に背を預ける。
球を突く音と、フレディの笑い声だけが娯楽室に響きわたっていた。
サラは、艦長室で豊かな髪を丁寧に編んでいた。情事の後はどうしても、編んだ髪が崩れてしまう。事前にどれほどきつく編みこんでいたとしても、だ。
「なんで女って奴は髪を編むのにそんなに時間がかかるんだろうな」
ベッドからのんきな男の声がする。
「誰かさんがぐしゃぐしゃにしなかったら、編み直す必要もないのよ」
編み終えた髪を背中へと払いのけて、サラは勢いよく立ち上がる。
「さっさと自分の船へお戻りなさいな、部下たちが心配しているわよ」
「してねぇよ。戻りは明日の朝と言ってきた」
サラの口から、大きなため息がもれた。
「それじゃ好きにしていたらいいわ。私は見回りに行ってくるから、先に寝てもかまわないわよ」
ブーツに足をつっこんで、サラは部屋の外に出た。
二年前、飛行島に激突して沈んだ船と同じ名。
ビクトールは、あれから最初に建造した船に同じ名前を付けてサラに与えた。
あの時はこんなことになるなど思ってもみなかった。
あのままアーティカでビクトールの副官として一生を終えるつもりだったというのに。
後ろから、追いかけてくる足音がする。
「……ライアン。寝ていれば、と言ったはずだけれど?」
「俺はお前の部下じゃないしな。言われたことに従う義理はないさ」
ライアンと呼ばれた男は、あくびをするとサラと並んで歩き始めた。
黒い髪といい、堂々たる体格といい、アーティカの団長父子を思い起こさせる。
アリビデイル王国の軍人であるライアンがサラに近づいてきたのは、一年ほど前のことだった。ダナの入院する病院を訪れた帰り。帰路を急ぐサラを呼び止めたのがライアンだった。
一瞬足を止めてしまったほど、似ていた。
死んだヘクターに。
ヘクターを愛していると自覚したのは、いつのことだったのか思い出すこともできない。
姉のように面倒をみていたはずが、いつの間にか異性として意識し始めていた。
彼が一人前になったら、隣に並ぶことができるのではないかと言い寄る男たちをはねつけ続けて年を重ねて。
ようやく並んでもおかしくないと思えるようになった頃には、彼の目は全く違う方に向いていた。
赤い髪のパイロット。
同じ五歳差でも、上か下かでこうも変わるものか。
周囲の目を気にすることなく、彼の胸に飛び込めた彼女が羨ましかった。
自分の気持ちを押し殺すことには慣れている。
黙って二人を祝福して、相談されれば真摯な答えを返して。
それで満足だと、思いこもうとしていた。
ヘクターがいなくなった後、ダナまで失いたくないと思ったのも事実だった。
血液も皮膚も看護の手も。
自分にできるものは、何でも提供した。
空っぽの心を抱えたまま。
それでも。
どこかで憎いと思っていたのだろうか?
だからマグフィレットの王位継承者が、危険な研究に手を染めているとライアンに告げられた時、笑って流すことができなかった。
一年かけてビクトールを観察し。
同じ期間を使って自分の部下をふるいにかけて、信頼する部下にだけアーティカを離れることを打ち明けた。
ビクトールを裏切ると最終的に決断したサラに、ライアンは身体を重ねることを要求した。
身体でつながらない女など信用できない、と。
要求されるままに抱かれた。
相手が誰だってかまわなかった。
ヘクターでないのなら、誰だって同じだ。
心を凍りつかせたサラには頓着せず、ライアンは彼女のことを気に入ったようでリディアスベイルに入り浸っている。
「そういや、坊主と嬢ちゃんはカーマイン商会に保護されたらしいな」
頭の上からライアンの声がふる。
「あらそう。それなら、近々決着をつけることになるのかしら?」
冷静さを装って、肩をすくめてみせる。
最初から王子が道中で死亡することなど期待などしていなかった。
ダナが一緒なら、どんな手を使ってでもディオだけは無事に戻れるように手配するはずだ。
そういう意味では今でも信頼している、と言える。
ディオが無事に王都に着いたなら、マグフィレット王国は、史上最大の力を手に入れることになる。
空の支配権をその手におさめてしまうほどの。
その前になんとか止めなければ。
空を誰かに独占させることなんてできない。
そのために自分はここにいる。
このまま突き進むしかない。
サラは並ぶライアンにちらりと視線を投げて、足を速めた。