38.君の瞳と同じ色の(2)
照れくさそうに立ち上がりながら、フレディは笑った。
「……重かったよ、その指輪は。これで服の型くずれを心配しないですむ」
「ずっと持ち歩いてくれていたの?」
「いつどこで関係者に出会うかわからないだろ?俺、アーティカにつながりないから、つながりある人間に会ったら聞こうと思ってさ」
「……ありがとう」
死んだ人間との約束など、忘れられてもしかたのないことなのだ。
それを二年の間忘れず、ずっと持ち歩いていてくれたことに。
そして、偶然とはいえダナを見つけだしてくれたことに。
心の底から感謝する。
「たいしたことじゃないさ。俺、あいつのことはけっこう好きだったから」
そう言うフレディの表情にディオと似たものを見つけだして、ダナはとまどった。
二人とも欠点はあれど、時として思いがけないほどの優しさを見せる。
血のつながりというのは、こんなところにも出てくるものなのだろうか。
「あなたとヘクターは、どんな関係だったの?」
「そうだな」
フレディは腕を組んで、天井を見上げた。
「俺とあいつは全然違うけど。気が合った、と言うんだろうな。あいつが王都に来た時は、よく一緒に飲みに行ったりしたよ。あいつ、人の話はにこにこしながら聞いているくせに、自分の話はほとんどしなくてさ」
「どんな話?」
たずねるダナの声から、フレディに対する不信感は消えていた。フレディが困った顔をする。
「……そうだな、ま、女がらみってやつだ」
「……」
「あいつの口から出てくるのは、君と……サラって人くらいだったぞ」
言い訳をしたつもりがなっていない。
もう一人出てきた名前を聞いて、くしゃりとダナの顔がゆがむ。
「すまん、サラって人には恋愛感情はなかったと思うぞ?」
誤解したフレディが慌ててなだめようとする。
「そうじゃなくて……あたしは大丈夫」
慌てて涙を拭って、自分に言い聞かせる。
思いがけないところで出てきたサラの名前に動揺しただけだ、と。
対峙したリディアスベイルの甲板。
迷うことなくこちらに向けられた銃口。
あの時のサラの悲痛な声が、ふいに耳によみがえった。
手の中のケースが、熱く感じられる。
まるで存在感を主張しているかのように。
「とにかく今日は休め。予定していたルートは使えないしな。明日出発できるかどうかもわからん」
フレディに元の部屋に戻されて、ダナはため息をついた。
ケースの蓋を開いてみる。中央に輝くエメラルド。
それほど大きな石ではないではない。若輩の身で、大金など持ち合わせていなかったヘクターのことだ。おそらく高価な品ではないのだろう。
それでもゆらすたびに本物しか持ち合わせていない光を放つ。
「あたしの目、こんな色してた……かな」
ヘクターがいたあの頃は、こんな色をしていたのかもしれない。
クーフの平凡な日々の生活も。撃ち交わされる弾丸の間を駆け抜ける日々も。
ヘクターが一緒なら輝いて見えた。彼が全てだった。
あの頃は、きっとこんな色だったのだろう。
今となっては確かめるすべもないけれど。
鏡の前に立って瞳をのぞき込んでみる。
不安と、疲れと、恐れと、痛みと。さまざまな感情が渦巻いているが、どれも悲観的なものばかり。とてもではないが、輝いているなどとは言える状態ではない。
仕方ない。
戻ってからずっと演じてきたのだから。
十六歳の頃のダナ自身を。
大切な人を失って、自分の顔を失って、それでもまだ飛びたいと望んでしまう。
願いを叶えるには、偽るしかなかった。
彼の名を、心の奥底に押し込めて。
全てをふっきれたふりをして、飛ぶことだけを望んでいるようにふるまってきた。
本当に望んでいたのは、そんなことではないというのに。
エメラルドの光が、責めているような気がした。
いたたまれなくなって、蓋を閉じる。
遠慮がちなノックがした。
「どうぞ」
入ってきたディオは顔色が悪かった。ダナの顔に痛々しそうな視線を走らせて、所在なげに入ってすぐのところに立ちすくんでいる。
「ダナ……えっと、その……ごめん……」
「ディオ」
ダナはディオの詫びを断ち切った。ディオが謝る必要なんてない。当然のことをしただけなのだから。
「あたしは大丈夫だから。だから一つ約束して」
これだけは言っておかなければならない。二度とこんなことがないように。
「何を?」
「今度同じことがあったら、全力で逃げるって。あたしを置いて」
「……それはできないよ。だって」
「ディオ」
ダナの声が厳しくなる。
「あんたはいずれ王様になるんでしょう?だったら、あたしを見捨ててでも、自分が助かることを考えなさい」
ディオの顔が凍りついた。それ以上、何も言わないままダナの部屋から出ていく。
半分扉を開けたまま。
見送ったダナの肩が落ちた。
そのまま扉にもたれかかるようにして、ずるずると床の上に座り込んだ。背中でがちゃりと扉が閉じられる。
「あたし、間違ったこと言っていないよね……?」
胸に抱きしめたケースに向かって何度も何度も繰り返す。
間違ったことは言っていない。ディオには生きて戻ってもらわなければならないのだ。
たとえダナを見殺しにしたとしても。
「間違ってないよね……?ヘクター……」
つぶやいた名前は、誰の耳にも届くことなく消えた。
自分に与えられた部屋に入ったディオは、ベッドに身を投げ出した。先ほどの彼女の言葉が何度も耳をうつ。
『あたしを見捨ててでも』
『自分が助かることを考えなさい』
そんなことを言わせるなんてあまりにもふがいない。
償うことなんてできない。何度謝っても。
その原因は彼自身なのだから。
眠れない夜が過ぎていく。
彼女の温もりなしに悪夢に襲われるのなら。眠れないほうがずっとましだった。