30.船内にひそむ敵(2)
「……フレディのところで寝かせてもらおう。ダナは嫌だろうけれど、ここで寝るよりよほど安心だと僕は思う」
二等客室の乗客が、特別客室のある階に立ち入るわけにはいかない。知人がいると船員に説明して、フレディを探してもらうと、いかにもパーティに出かけますといった正装で現れた。
伝言を頼んだだけのはずなのに。
「こりゃ、ひどいなあ」
部屋の中の惨状を目の当たりにして、フレディはある意味感心したような口調で言った。
「俺の部屋、寝室四つあるから好きなのを使えばいい。ああ、君は俺のベッドでもかまわないけど」
「冗談でしょ?」
肩に回された手を勢いよく払い落として、ダナは眉を吊り上げる。
「今度あたしに触ったらひっぱたくわよ?」
「おー、怖い怖い」
少しも怖くなさそうな口調で言うと、フレディは鍵をディオに渡して、来たとき同様ふらりと消えた。
「……あたし、本気で言ったんだけど」
「あの人、暇さえあれば目の前にいる女性を口説いているから気にしない方がいいと思う。目の前にいなかったら、わざわざ探しに行くくらいだから」
「あきれた」
心底あきれ果てた口調で言うと、ダナはスーツケースを引き寄せた。
荷物をぐしゃぐしゃと放り込んで、ぱたんと蓋を閉じ、鍵がかからなくなっているのに気がついて顔をしかめた。
ディオのスーツケースも同様で、こちらは内側に張られた布が裂かれている。徹底的に探したらしい。
これほど徹底的に探したのなら、目的はやはり金銭ではないのだろう。
ダナにはそれを告げず、ディオは黙ってスーツケースの蓋を閉じた。
案内された特別客室は、一人で使うにはやたらと広い部屋だった。中央に居間があり、その左右に四つの寝室が配置されている。居間だけで数十人を収容してもまだ余裕がありそうだった。
左側奥の寝室はフレディが使用しているという話だったので、ディオは右手前の寝室に入った。ここも広い。
部屋の中央におかれたベッドは、三、四人で寝ても問題なさそうな広さだし、枕やクッションも見るからに柔らかそうだ。
ソファにテーブル、どの家具も前の部屋にあったのとは比べ物にならないほど高価な品だ。壁には絵がかけられ、棚には高級酒の瓶が並んでいる。
何より窓が広かった。
沈んでいく夕陽に海が赤く染まっているのがよく見える。
「あの人、ここ一人で使っていたわけ?ものすごい空間の無駄よね」
当然のような顔をして続いて入ってきたダナは、手を乗せてベッドの柔らかさを確認している。
「贅沢なんだよね、フレディって。いつも最高級の物しか使わないんだ」
服をクローゼットにかけようと、スーツケースの蓋を開いて気がつく。ダナも自分のスーツケースを開きはじめていることに。
「あっちの寝室使えば?」
「い・や・よ!あたしもここで寝る!」
「何で?」
昨夜からの壁がいつの間にか崩れていることに安堵しながら、ディオはたずねた。
「身の危険を感じるのよ!」
スーツケースの中をひっかき回し、手当たり次第に物を取り出しながら、ダナは答える。その合間に手を振り回しているのは何の主張なのか。
「夜中に目が覚めたらあの人が上に乗ってたなんてことになったら、洒落にならないでしょ?」
「そこまで獣じゃないと思うけど」
苦笑混じりに言って、ディオはつけたした。
「なんだか今日はいろいろとやる気になっていたみたいだし、この部屋には戻ってこないかも」
「それならいいけど。ディオと一緒にいる方が安心だわ」
自分は安全だと思われているのか、信頼されているのか。いずれにしても複雑な気分ではある、が。昨日以前のような口を聞けるようになったのは、嬉しかった。
「戻ってきたら、またあの店に飲みに行こうぜ」
「なんかイザベラって娘が、ディオのこと気に入ってるって話だからさ。今度はうまくやれよ」
どこかで聞いたような会話だと、ディオは思った。
ああ、そうだ。
父が倒れたから国に戻るのだと知らせた時に仲間たちとした会話だ。
「それでうまくやれるのなら、苦労はしないよ」
そんな風に返したのだと、頭の後ろの方でディオは考える。
こんな会話を交わすことは二度とない。
皆、炎の中。
無事なのは。
研究所を出ていた彼だけで。こんな夢、早くさめてしまえばいい。
肩をゆすられて気がついた。
「大丈夫?ずいぶんうなされていたけれど」
ディオにベッドを押しつけて、ソファで寝ていたはずのダナが枕を抱えて見下ろしていた。
「ごめん、うるさかった?」
「そういうわけじゃないけど」
そのままダナはディオの隣に潜り込んでくる。
「な、なんだよ」
「誰がそばにいた方が安心するでしょ」
うつ伏せになって、ダナは枕をたたいている。
「あたしも、そうだったから……それにあのソファ寝心地最悪」
ようやく気に入った形になったのか、それだけ言うとそのまま枕に顔を埋めてしまう。言葉の後半は、既に眠りの中。
「別の意味で眠れないと思うけど?」
ディオの言葉はおそらく聞こえていない。ディオは少しだけダナの方に身を寄せると、背を向けた。