29.船内にひそむ敵(1)
一度生まれた壁は、時間がたつにつれてその存在をますます主張するかのようだった。
別々の行動はできない以上、同じ部屋の中で過ごすしかない。ダナはソファの上、ディオはベッドの上と別れて座り、膝を抱えてラジオに耳をかたむける。
翌日になっても、新しい知らせは届かなかった。研究所の職員および協力していた学生全員の死亡が確認された以外には。
それを聞いたディオは拳を握りしめたが、ダナはただ膝の上に顔をふせただけで、なにも口にすることはなかった。
ただ、気まずいだけの時間が流れていく。
「食事に行こうか?」
ディオが声をかけたのは、夕方近くなってからだった。
朝から何も食べていない。さすがに胃が空腹を訴え始めていた。仲間が死んだというのに、食欲があるというのは不自然なようにも思えるのだが。
昨日同様、食堂で食事をすませてそのまま甲板へとあがる。
ダナの眉が物言いたげにはね上がったが、見なかったと自分に言い聞かせる。見ていなければ気にもならない。あの部屋に二人きりでいるのは、息がつまりそうだった。
その責任はディオにあるとしても。
「何だよ、今日一日見かけなかったじゃないか」
上着を肩にひっかけて、これまた昨日同様に若い女性に囲まれていたフレディが、話を中断して近づいてくる。ダナはフレディが近づいてくるのに気づくと、肩を一つすくめてその場を離れた。
少し離れた場所から壁に背を預けて、二人の様子を眺めている。
「何だ何だ喧嘩でもしたか?昨日とずいぶん様子が違うぞ」
フレディはにやにやしながら、交互にディオとダナに視線を送る。
「……何でもないよ」
フレディが妙に鋭いのは昔からだ。ディオにとって兄のような存在で、勝てると思ったことなど一度もない。
フレディは、手をのばしてディオの曲がったネクタイを直しながら続けた。
「ま、いいけどさ。マーシャルについたらどうするんだ?列車、手配してやろうか?俺も一緒でよければだがな」
「何で一緒にくるのさ?」
「どうせ目的地は一緒だろ。あれからよく考えたら、お前は物騒な物を持っているんだろうし、護衛は多い方がいいだろうが」
しれっとして彼は、ダナの方に指を向ける。この分だと彼女の素性も知られているのかもしれない。
「お前がセンティアで何やってたか、知っているぞ?」
あたりをはばかるように、ディオの方にかがみ込みながらフレディは言う。
「列車も個室の客なら、それなりに車掌も警備に気を使うだろ」
「……考えておくよ」
そう返答したものの、ダナは反対するだろう。どういうわけか、フレディにはやたらと警戒心を持っているのだから。
フレディと別れて、船内へとおりた。ダナは相変わらず一言も発することなく、ただディオの後をついてきていた。
またあの沈黙に押しつぶされそうな時間を過ごさねばならないのかと思うとうんざりするが、船を降りるまでは耐えなければ。
部屋のドアに鍵を差し込む。違和感を覚えて、ディオは首をかしげた。部屋を出る前に確かに鍵をかけたはずだ。それなのに今鍵を回した時、再度鍵がかかった音がした。
がちゃがちゃと何度か回してようやくドアを開けることに成功する。
部屋の中に足を踏み入れて、ディオは驚きの声をあげた。
後から入ってきたダナがわめく。
「何よ、これ!どういうこと?」
部屋の中は荒らされていた。クローゼットの中身は床の上に放り出されている。二人のスーツケースも蓋を開けられていた。ベッドのシーツもはがされ、床に引きずりおろされ、枕もあるべき場所にはない。
ダナの表情が変わった。つかつかと部屋の中央まで進んで、そこに放り出されていたゴーグルを拾い上げる。
「ディオ、あれは?」
問われてディオは上着の内ポケットを押さえた。
「大丈夫。持ってる」
「他に無くして困るものって?」
ディオはポケットに手をつっこむ。
「旅券、財布……あ!」
声をあげて、ディオは床の上にかがみ込んだ。目を皿のようにして探すが、もとめていた物はどこにも見あたらない。
「預かってたお金がない!」
「それがないと困るの?」
「そうだね、列車の切符が買えない程度には」
ダナの口角が下がった。
「それって財政的に逼迫してるってこと?どうして持ち歩かなかったのよ?」
「あんな大金持ち歩けるわけないだろ?部屋には鍵をかけたし、スーツケースにも鍵かけたし、持ち歩くより安全だと思ったんだよ」
とがめられて、ディオの声もとがった。だいたいディオにそれを預けたのはダナなのだ。今さら文句を言われても困る。
部屋の外にまで響き渡る二人の声に、船員がかけつけてきた。部屋の中の惨状を目の当たりにして、慌てて上司を呼びに走る。
呆然としているディオを放置して、ダナは部屋の鍵を確認した。こじ開けられたような傷がある。
ただの物取りなのか、それともディオを狙ったものなのか。
現状では判断をくだすことはできない。今失われたのが、現金だけだとしても。
ダナの手が、そっと自分の腿をおさえる。銃にナイフ、小型の爆弾。全てそこに巻きつけてある。船の中でこれを使わなければならない事態がおこらなければいいのだが。
呼ばれてきた上級の船員も、鍵の状態を確認してうめいた。
船の中に盗人がいるということになる。
被害額を聞かれて、ディオは正確な額を伝えた。あまりの金額に船員の顔に不審の色が浮かんだ。
彼女と駆け落ちをしたため、ありとあらゆるところからかき集めた現金だったのだと相変わらずの作り話に、一気にそれが同情へと変わる。
両手を腰に当てて、部屋の中からディオを睨みつけていたダナは唇を突き出して言った。
「これからどうするの?」
たずねられても、考えなどあるわけがない。それより今夜この部屋で寝る方が不安だ。簡単にこじ開けられる鍵などかける意味がない。
船員たちは一応犯人を捜すとは言ってくれたが、当てにするわけにもいかない。
警備のしっかりしているところと言えば、心当たりは一つしかない。