26.思いがけない再会(2)
どこへも行かないと約束してしまったから、部屋から出ることさえできない。
クローゼットを開けてみる。中にラジオが備え付けられていた。過去に何度か盗まれたことがあるのだろうか。何重にも鎖が巻かれ、厳重にクローゼットに固定されている。
ディオは期待せずにスイッチを入れた。上空の飛行島に中継局が置かれているから、どこの海域でも聞けるようになっている。自分の期待する局が流れているとは限らないが。
メレディアーナ号を逃げ出してから、今までの人生で全く知らなかったようなことをいろいろと経験した。逆に今世の中で何が起こっているのかがわからなくなっている。昨日新聞を買えばよかったのだが、そこまで思い至らなかった。
最初に聞こえてきたのは、音楽だった。つまみを回して、何かニュースはないかと探してみる。どの局に合わせても。聞こえてくるのは種類はいろいろあれど音楽ばかりで、ディオの捜し求めている情報はなかった。
諦めて適当な音楽をかけたまま、ダナの側に戻る。
そのうちニュースが放送されるのを期待して、ディオは音楽に耳をかたむける。
聞き覚えのない音楽。国によって流行の曲は違ってくるから、当然かもしれない。
ベッドに背を預け、床の上に座り込んで膝を抱える。
マーシャルから陸路を使っても、王都まではさらに一週間ほどかかる。
その間に襲われたら……。いや、この船の中にだってもう敵は潜んでいるのかもしれない。
いざという時が来たら。自分は守り通せるのだろうか。ここに至るまで、ずっと守られっぱなしで何もできなかった。
非力だ。
抱えた膝に顔を埋める。
そのままディオは動かなくなった。
部屋の中は、静かな音楽だけが流れている。
「ねえ、ディオ、起きてる?」
「ん……起きてる」
すっかり顔色のよくなったダナに肩を揺すられて顔を上げれば、数時間が経過していた。
「寝るならベッドで寝ればよかったのに」
「そう言うけど。僕も男だよ?変な気起こしたらどうする?」
立ち上がって、体を伸ばしながらディオは言った。あちこちの関節がぽきぽきと鳴る。
「あたし相手に?冗談でしょ?」
ベッドに腰掛けて、ブーツに足をつっこみながらダナはけらけらと笑う。
いかにも対象外だというかのように。
「でもそうね……。そんなことになったら、容赦なくひっぱたいて、あっちの壁まで投げ飛ばすけどどうする?」
ソファが置かれている方の壁をしめしながら、ダナは首をかしげてみせた。
「……遠慮しとくよ」
反対側の壁まで投げ飛ばされるかどうかは別として。容赦なくひっぱたかれるのは間違いがない。
空腹を訴えるダナを連れて部屋を出る。客室は階層ごとに区切られている。一番下の階が三等客室。ディオたちがいるのは、そのすぐ上で、一番上は一等客室と特別客室の客だけが出入りを許される階だ。食堂も各階層ごとに用意されている。航海の間は、二十四時間使うことができるが、供される食事は階によってがらりと変わる。二等客室以下の乗客は、自分たちで食事を席まで運ばねばならないが、一等客室以上の乗客になると給仕が配膳までしてくれるという違いもある。
食事時をはずれてしまったということもあって、食堂は空いていた。さっさとすませて、今度は甲板へと移動する。甲板だけは、どの階層の客にも公平に解放されている。
子どもたちが走り回っている。手すりにもたれて海を眺める人もいれば、用意された椅子に腰をおろしておしゃべりに夢中な人たちもいた。
「平和ねー」
海の風にダナの髪がなびく。
地毛では目立つからと、ミーナに買ってもらったかつら着用のままだ。長い毛先に鼻をくすぐられて、ディオはくしゃみをした。
他にすることもないので、適当に甲板をうろうろとしてみる。
ダナが言うには、多少揺れることをのぞけば、空とたいしてかわりがないらしい。
数時間の睡眠でだいぶ回復したのか、船酔いもおさまったようだ。
そろそろ船を一周しようかという頃だった。
「ディオ、ディオじゃないか。元気だったか?」
声をかけられて二人は足をとめた。ディオに声をかけてきた青年の両腕には、若い女性がぶら下るようにしている。警戒するように、ダナはディオの腕をつかんだ。
ディオの方はというと、
「フレディ!」
思いがけない再会に、ダナの手をふりはらっていた。
「伯父上、倒れたんだろ?お前こんなところで何しているんだよ」
「まあ、いろいろとあってね」
「あれもいろいろの一つか?」
フレディと呼ばれた青年は、腕にぶら下っている女性たちを押しやって自由の身になると、ディオに近づいてきた。
警戒するかのように右手を腰にあてて彼をにらみつけているダナを視線でしめす。
二十代半ば、小柄なディオよりはやや背が高く中肉中背という表現がぴたりとはまる。
ディオと同じ色の日に焼けた藁の色をした髪は、かなり長めで、首の後ろで一つに束ねていた。
年の功か天性のものか、女性の扱いには長けていて、ディオが十八になったばかりの頃、「十八になったら女の扱いも知らなきゃいかん」と誕生日プレゼントと称して、その手の店に招待してくれたのも彼だった。
残念ながら、その時の経験を実地にうつす機会には恵まれていないが。
「というか、今お前どこの客室にいるんだ?特別室は俺が占領しているし、一等客室の乗客は全部把握しているがお前はいなかったぞ」
「ん、それもまあいろいろ。今は二等客室にいる……。て、なんで一等客室の乗客全部把握しているんだよ」
「きれいなお嬢さんがいたらお近づきにならなきゃだろ」
ごく当然といった様子で、それを口にするフレディは明らかにディオとは別の種類の人種だった。
「で、あの子誰だよ。お前の彼女じゃないなら、ぜひ俺が」
ダナの耳に聞こえないように、ひそひそとささやくフレディにディオの眉間にしわがよる。
「僕と彼女はそういう関係じゃないけど。うかつに手を出さない方がいいと思うよ?相当腕っ節、強いから」
「彼女がお前と一緒にいるなら、そのうち機会もあるだろうさ」
彼ならやりかねない。
二等客室から、彼の部屋へ移動してはどうかという提案を丁重に却下して、ディオはダナの元へと戻る。
「あれ、誰よ?やな感じ」
ダナが下唇をつきだした。じゃあな、と軽い様子で手をふり、待っていた女性たちを従えて、フレディは船内へと降りていく。
「従兄弟。正確な関係を言うと父の妹の息子」
「何でこんなところにいるわけ?」
「ルイーナには彼の家の別荘があるからね。そこにいたんじゃないかな」
「避暑って季節も終わろうとしているのに、今頃、ねえ」
ディオがいくら言葉をつくしても、ダナはフレディに対する疑いをはらそうとはしなかった。