25.思いがけない再会(1)
一等客室や特別客室ともなれば部屋も広くゆったりとしていて、快適な船旅が約束されている。
国にいた頃のディオなら、王室専用船で移動だし、留学中は他の学生たちと一緒に行動することになる。金持ちの家の息子というのは、金銭面ではいたって鷹揚な人物が多く、奨学金をもらっている学生たちの分も誰かが支払って一等客室を使うことが半ば慣例化している。
身分から言えばディオは支払う側なのだが、残念ながらいつも支払ってもらう側だった。
というわけで噂には聞いていたが、二等客室に入るのはディオは初めてなのである。
せまい。
それがまず最初の印象。
部屋の片側にどんとベッドがおかれ、もう一方にはベッドとしても使用できるソファとテーブル。壁に作りつけられたクローゼットをのぞけば、あとは家具らしい家具はない。
部屋に入ったとたんダナは歓声をあげて、シャワーに飛び込んでいったため気がついていないようだ。
ベッドが一つしかないということに。昨夜使わせてもらったニースの部屋と違い、複数人で泊まることが前提の部屋だ。
置かれているのも、少し狭いのを我慢すれば親子三人くらいは寝られそうなサイズのベッドだが、枕が二つ並んでいるのはなんとも微妙な気分にさせられる。
三等客室にしないでよかったと、ディオは心の底から安堵した。
三等客室ともなれば、十人近くが一つの部屋に押し込められ、床に敷いたマットレスの上で就寝する、と聞いている。
そんなところでも、ダナは平気で寝られそうだが、ディオ自身は耐えられないだろう、多分。
風の具合にもよるが、マーシャルまでは五日ほどで着くはずだ。その間、海賊の襲撃がないことを祈るしかない。定期便の乗客は、それほど裕福ではない層が多い。特別客室も一室しかない。それよりは、同じような航路を就航している豪華客船を狙った方が、海賊たちにとっては効率がいいはずだ。
船によっても違うが、この定期便の特別客船ランクが大半の客船も存在するのだから。
ディオは靴を放り出して、ソファの上に身を投げ出した。空の船はさほど揺れないが、今乗っている船の揺れはかなりのものだ。その揺れに身を任せるのも、たまにはいい。
これが甲板なら最高なのにとも思うが、ダナを置いて出ていくわけにもいかない。
両腕を折りたたんで頭の下に置く。最初は天井を見上げていたのが、だんだん瞼が重たくなってくる。ここ数日、今までに経験したことのないことばかり起こっている。
ようやく落ち着いた今、眠くなっても不思議ではないのだが。
ディオがうとうととしかけた時だった。
ばたりと洗面所のドアがあく。よろよろと出てきたダナは、ふらふらしながら部屋をつっきってくる。ディオの横になっているソファまで何とか到達すると、そのまま床の上に座り込んでしまった。濡れたままの髪から、ぼたぼたと滴が落ちる。
「どうかした?」
あわててディオが飛び起きると、ソファに顔をつっこんでダナはうめいた。
「……気持ち悪い……」
「気持ち悪いって……まさか船酔い?」
たずねるディオに、息も絶え絶えといった様子でダナは返す。
「あたし……こっちの……船……は……じめて」
「嘘だろ?」
あれだけ空を飛び回っておいて、船酔いするとは。ディオは頭をふった。
ソファによりかかってぐったりしているダナを助け起こして、ベッドまで移動させる。
なんとか寝かしつけて、ディオは一度部屋を出た。医務室にまで行けば薬がもらえるはずだ。薬をもらって戻ってくると、ダナがベッドから恨めしげな声を出した。
「どこ……行ってたの」
「医務室。ほら、薬飲んで」
もらってきた薬を飲ませて、もう一度寝かしつける。
「すぐ慣れるよ」
「ディオだけ、元気でずるい」
「そういう問題?」
すねた口調に、思わず笑いがこぼれる。
ベッドから離れようとしたディオの袖をダナがつかんだ。
「だめ。どこにも……行かないで。ここにいて」
真剣な目で見上げられ、ディオは苦笑混じりにベッドの端に腰をおろす。
「……どこにも行かないから。少し寝るといいよ」
素直にダナは目を閉じる。ディオの袖をつかんだまま。ディオは、ダナを見下ろした。
顔の右半分は枕に埋もれている。長い睫に覆われた目元にはひどいくまができている。
いくらひどい場所で寝るのには慣れていると本人が言っていたとはいえ、かなり疲労していたはずだ。
何かあればまずディオを休ませて、その間彼女はずっと起きていた。船に乗り込んで緊張の糸がゆるんだ、ということか。袖をつかまれたままなのも、頼られるのも悪い気はしない。
捕まれていない方の手を伸ばして、頬の線にそってなでおろしてみる。
聞き取れない言葉をつぶやいて、ダナは布団の中に潜り込んでしまった。
苦笑して、ディオは天井を見上げた。
見慣れている王室専用船より、だいぶ低い天井。そこに小さな明かりが一つだけつけられている。夜になればここに電気が灯されるようだ。
ダナがつかんでいるのが、ジャケットの袖だけだということに気がついて、そっと袖を抜く。
内ポケットにしまったままの研究成果の入った封筒が、ベッドの上に落ちた。
ディオはそれを拾い上げて、窓からの光に透かしてみる。
見た目は、茶色くて薄いただの封筒だ。内容もひどく簡略化して書かれているから、この封筒を手に入れても中身が理解できるのはフォースダイト研究従事者だけだろう。
こんなことになっていなかったら。
研究室にこもって一日中研究に没頭して。早く解放された日には仲間たちと、街へ出かけていって酒場で騒いで。うっかり酒場の女の子といい感じになってしまった仲間を置いて先に帰宅。
門限破りをした仲間のためにこっそり窓から入れてやる、なんてそんな日々を送っていたはずだ。
自分がいい感じになるだけの甲斐性は、残念ながらディオは持ち合わせていない。
それでも、皆で過ごす時間は嫌いではなかった。どうせ国へ戻るまでの留学期間中だけ許された自由だ。だから誘われれば、いつでも喜んで一緒に行った。今置かれている状況からすれば、信じられないほど平和な時間だった。
本当にこれでよかったのかと、ディオの胸に疑問が浮かぶ。自分が今抱えているこれは、下手をすれば空の勢力図を根底から揺らがせることになってしまう。とけない疑問があれば、手を出してしまうのが研究者というものなのかもしれない。
まだ、今の科学力では手を出してはいけない領域に踏み込んでしまったのではないかと初めて思う。
ディオはため息をついて、封筒を戻した。いずれにしても、もう手を出してしまったのだから今さら戻ることなどできない。
まずは国へ戻る方が先決問題だ。