22.駆け落ちの二人(2)
「いや、これからお友達になるんだよ。兄さん、ちょっと金貸してくれないかな?」
にやにやしながら、右に立っている男が言う。もう一人がナイフを出した。
「貸すようなお金なんて……」
「古着屋のおっさんが言ってたぞ。財布の中身すごい札束だったってな」
言いかけたディオの言葉を、ナイフを出した男が遮った。
ディオは唇をかんだ。財布の中身まで見られていたとは、油断も隙もあったものではない。
「逃げようたって無駄だぞ?女の子連れてちゃ、そう速くは走れないだろうがな」
最初に口を開いた男が、ダナを見ながら言った。値踏みするように視線が上下する。
足手まといになるのは自分の方だと思ったが、ディオは口は出さないでおいた。
「逆らわなきゃ痛い思いはしないですむさ……。ちょっとしたお楽しみはあるかもしれないが、な」
ダナの眉毛が跳ね上がるのを、ディオは見た。
危険信号。
彼女も『ちょっとしたお楽しみ』の意味がわからないほど、世事に通じていないわけではないらしい。
「つつしんでお断りしますって言ったら?」
腕を組んで、顎をつんと持ち上げながらダナは返す。
「痛い思いはさせたくないんだがなあ。素直に言うこと聞いてくれた方がこちらとしても助かるんだが」
ナイフを持っている方の男が、なだめるような口調で言う。
「お・こ・と・わ・り!ディオ下がって!」
きっぱりと切り捨てて、ダナはディオを突き飛ばした。
尻餅をついた彼の手から、スーツケースが消える。
慌ててもう一人の男も、ナイフを出した。と思いきや、ダナはそのスーツケースを盾に、一人に体当たりした。男がよろめく。ダナの足が跳ね上がった。後ろからかかろうとしたもう一人の腹に、ブーツがめり込む。思わず同情したくなるような音が響いた。
うずくまる男にはかまわず、最初にスーツケースアタックを食らわせた男にダナは対峙した。
静寂が支配したのは、ほんの一瞬。
「まいった!悪かった!」
男が手をあげた。いつの間にかダナは男の後ろに回り込んでいる。どこから取り出したのか、首にぴたりとナイフがあてられていた。ひやりとするナイフの感触を感じた男の額に汗が浮かぶ。
「ディオ、そっちの男縛って!」
適当な紐が見つからなかったので、ディオは自分のネクタイで腹をおさえてうずくまる男の両手を後ろで交差させて縛り上げた。
「悪かった、ちょっと魔がさしただけなんだって!ちょっと脅せばうまくいくと思ったんだよ!」
手をあげて、必死に言う男にダナは冷たい声で言った。
「誰に頼まれた?返答次第によっては容赦しないわよ?」
「頼まれたって何のことだよ!俺たちは、そっちの兄さんがすごい金持ってるって情報を仕入れたから、ちょっと分けてもらえないかなー、なんて思っただけだ」
器用に片方の眉だけをつりあげたまま、ダナはたずねる。
「つまり、ただの強盗ってわけね?」
男は慌てて首をふる。
「そうそう、ただの強盗。強盗だ」
男の首からナイフを離し、ダナはディオを横目で見た。
「財布の中身知られるなんて、ずいぶん不用心なんじゃないの?」
「君に言われたくないよ」
たしかに不用心だったのだとは思うが、謝るのはしゃくだ。それより、確か白兵戦には不向きだとか言っていなかったか。もの言いたげなディオの視線をとらえて、ダナはこともなげに肩をすくめる。
「相手が軍人ならこうはいかないわよ?素人なのはナイフの構え方見ればわかったしね」
「いってぇ……」
ダナに腹を蹴られた方の男がようやく声をあげた。
「なあ、悪かったよ。未遂ですんだんだし、見逃してくれないか」
ダナにナイフを突きつけられていた男が手を合わせた。
ダナは、というと。
無造作にその男を前に突き倒して、腕を後ろで交差させ、必要以上にぎりぎりと縛り上げている。ナイフの収納先と言えば、ブーツの中だった。
「まあ……僕たちも騒ぎは起こしたくないし……」
ディオは目を細める。
警察に男たちを連れていけば、いろいろとうるさく言われるのは目に見えている。ディオの素性が明らかになってしまうかもしれない。それは避けたかった。
男たちの様子を見ていて、ディオはあることを思い出した。
もしかしたら旅券を手に入れられるかもしれない。
「ねえ……出生証明書なしに結婚させてくれる司祭様知らないかな?」
「ちょっと、何でそんな話になるわけ?」
横からわめくダナの言葉は無視して、ディオは続けた。
「僕と彼女は駆け落ちの最中なんだ。彼女、傭兵辞めてうちにメイドにきた子なんだけど……。うちの母がメイドと結婚なんてとんでもないと反対してね」
大仰な身振りで肩をすくめてみせる。
「結局、大慌てで逃げ出してきたんだけど、彼女の出生証明書持ってくるの忘れちゃってさ」
「ちょっと!」
ダナはディオに近づくと、襟元を締めあげた。
「誰が凶暴?というか、結婚って何よ?」
「……ちょっと待ってて。逃げようとしたら、どこまでも追いかけてつけは払わせるよ。……彼女が」
ダナを示しながら言うと、男たちは慌てて首を上下に動かす。
半分ダナに引きずられるようにして少し離れ、ディオは早口で説明した。
「妻の旅券はなくてもいいんだよ。夫の旅券に名前を書いておけば」
ダナの声がとがった。危険信号を察知して、ディオは首をすくめる。
「何それ。女は男の付属品ってわけ?なんてふざけた制度なのよ。それはおいておくにしても、結婚なんて嫌だし。まだ、ヘクターとも誓いをしていなかったのに」
そうか、とディオは舌打ちする。
いい考えだと思ったのだが、どうも女性にとって結婚というのは何やら大切なものらしい。
ヘクターともまだだった、というのならなおさらそうなのだろう。
「僕は無神論者だから、気にしないけど。君がそう言うなら、違う手を考えよう」
彼の名を口にさせた自分に腹を立てながら、ディオは腕を組む。
ディオがこの手を思いついたのは、去年あった出来事を思い出したからだった。
仲間の一人が酒場で給仕をしていた女性と駆け落ちしてしまったのである。
本来ならば、結婚するにあたっては、証明書が必要になるはずなのだ。
とはいえさまざまな人間が集まる場所柄なのか、書類を無視する司祭もいるらしい。
実際、友人もそういった司祭の一人に式を挙げてもらった後、彼女と一緒に消えた。
その後一通だけ届いた手紙には、苦労してはいるが、何とかやっていると近況が記されていた。
ダナがこの手を拒否するというのなら。どうにかして、偽の旅券を手配することを考えなければいけないだろう。大金を払えば、作ってもらえるという話を聞いたことがないわけではないが、あくまでも噂だし、冒険小説の中の作りごとだと思っている。
考え込んだディオの顔を、ダナはのぞきこんだ。
「ひょっとして……すごく困ってる?」
「すごくじゃないけど、困ってる。僕一人なら、正規の旅券があるんだけど、君の分をどうにかしないとだから」
正規の旅券とはいえ、そこに記されているのは仮の名前だ。無事に国に到着するまでの。
旅券が正式のものでありさえすれば、そこに記されている名前などただの記号で、意味はない。
出入国で止められることはないはずだ。
「わかった……あたしも無神論者だし、それでこの島を出られるのなら、嫌だとか言ってる場合じゃないしね」
「出生証明書出さなくていいから、違う名前を使えばいいよ。そうすれば、ヘクターを裏切ることにもならないだろ?」
「そのあたりはディオにまかせる。適当な名前決めて」
投げやりに言うダナを見て、ディオの良心が痛んだ。
今、ディオ自らヘクターの名前を出すこともなかったのかもしれない。
守ると誓っておいてこの様だ。
何て無力なのだろう。
男たちのところへ戻ると、ディオはもう一度たずねた。
「出生証明書なしで結婚させてくれる司祭様の所に連れていって欲しいんだ。
それで、警察には何も言わないってことでどう?」
男たちは、顔を見合わせた後ディオの提案を承諾した。




