2.襲撃からの脱出(2)
前方からやってきた小型機二機のパイロットが、ダナに親指を立てる。すれ違う一瞬の間に合図を返してダナは言った。
「あれ、救助部隊」
「君たちは、いったい……」
「アーティカって言ったらわかる?」
「噂は聞いてるけど……」
古文書に記された、太古の文明の遺産。今よりはるかにすすんだ技術力を持った古代人たちは、フォースダイトを加工し空飛ぶ島を作った。伝説によれば、飛行島での生活を許されたのは、特権階級とそれに仕えた人間だけだったらしい。
王族が結婚すれば、新たに島を作り、宮殿を建てる。いくつもの島が、空に漂うようになった。支配される側は、地面からそれを見上げるだけ。
やがていきすぎた技術力は、世界の崩壊をもたらすことになる。
王座をめぐって起こった争いは、人類の大半が死亡する大戦争へと拡大した。地上に残された者たちは、島へとわたる翼を持たなかった。空で生きるための物資は地上から運び込まれていたが、それを運ぶ手段は失われた。
特権階級の人間だけでは、生き延びる手段を見つけだすことができなかったのだろう。島へ取り残された人間たちは、長い年月の間に少しずつ数を減らしていき、絶滅した。
大戦から長い年月が過ぎて、ようやく人類は再び空を飛べるようになった。
鳥のように、とはいかなかったが。
一度手段を見つけてしまえば、どんどん技術力は進歩していく。より高く、より遠く。誰が一番早く飛行島に到達し、歴史に名を残すことができるか。競争は加熱し、この世界のあちこちに存在する飛行島に人類が到達するまで百年とかからなかった。
到達することができれば、今度は支配したくなる。
翼を手に入れた者たちは島の所有権を巡って争い始めた。そうして地上とは別の勢力図が、空に描かれることになる。武装した彼らは、地上の王と契約を結んだ。傭兵として。
ひとたび戦争が起これば、相手の国に攻め込んで空からの攻撃を加える。平時には、空からの警戒の任にあたり空賊を退治する。その代償に、王は彼らに必要な物資を提供する。契約を結んでいない外国の飛行船に対して、傭兵自ら空賊となることもある。
ディオの国、マグフィレット王国が契約を結んでいるのがアーティカの一族だった。
団長の名はビクトール。過去の戦争で手柄をたてたのをきっかけに、マグフィレット王国の貴族に叙されている。契約する金額によって、平気で裏切るのが傭兵の常だが、ここ数十年は専属契約だ。国王が十分以上の賃金を支払っているというのが一番の理由だろう。そこに忠誠心はない。
ディオが留学していたセンティア王国と、マグフィレット王国は同盟関係にある。現在のマグフィレット王国の王妃が、センティア出身ということも両国の関係が良好である一つの要因だ。 アーティカの船団が、センティア領内への進入を許されたのもそのあたりに理由があるのだろう。
そのアーティカの一員ということは、彼女も戦闘員ということになる。あっという間に届けられた偽の旅券といい、タイミング良くあらわれた救助といい、事態は予期されていたということなのだろうか。
「君も傭兵ってことなんだね」
「そう。専門は空。白兵線には不向きだわね、どう考えても」
けらけらと笑う。
緊張感がないことこのうえない。
ついで、ダナは右手で後方をしめした。
「二機、追ってきてる。ちょっと荒っぽくいくから、しっかり捕まってて」
捕まっててと言われても、せまい機内につかまるような場所は見あたらない。ベルトを両手でぎゅっと握りしめる。
「わあああああっ」
機体が急上昇して、ディオはわめいた。
天と地が逆転する。
「だまってなさいって!」
ダナの声もディオの耳には届かない。目の前で、死に神の鎌がちらつくのが見えたような気がした。
「死ぬ、死ぬ、死ぬうぅぅぅぅ!!!!」
「黙れって言ってんでしょうが!」
右に左にめまぐるしく機体が旋回する。急上昇、急降下、右へ、左へ。体はベルトで固定しているとはいえ、首から上までは固定しようがない。がんがんと座席に頭をぶつけ、右に左に揺られ、生きた心地がしない。
「まずは一機……!」
ダナがつぶやいた。
続いた轟音。
目をあける気力もないが、追ってきた機体が撃墜されたということなのだろう。
「もういっちょ!」
もう一度響く爆発音。
「ダナ、ほどほどにしとけって言っただろ。任務を忘れるな」
「……すみません……」
通話装置から聞こえてきた男の声に、今までの勢いはどこへやらしゅんとしてダナは機体を水平に戻した。
「生きてる?」
「な……なんとか」
「失神しなかっただけ上等ね!」
「失神……しそうだったけどね……」
ディオのつぶやきは聞こえなかったように、ダナは前を見すえる。
「あれが軍用艦よ」
見えてきたのは、巨大な船だった。堂々とした黒い艦。左右に砲が突き出ている。航行に風力は使用していないのか、帆はたたまれていた。ゆっくりとこちらに向かって進んでくる。
マグフィレット国内でも、センティア国内でも、これほどの艦は見たことがなかった。
他の機体は甲板を滑走して着艦していたが、二人の乗った機は甲板の後ろに向かう。右手をのばしてダナは通話装置のスイッチを入れる。
「ダナだけど、着艦OK?」
「いつでもどうぞぉ」
通話装置ごしに返ってくるのんびりした声。後部座席からベルトに固定されたままできるだけ首をのばして確認してみれば、ダナはぱちぱちといくつかのレバーを上げたり下ろしたりしていた。上げ下ろしの間に操縦席に並んだボタンを押したりもしているのだが、どの基準で押すボタンを選択しているのかまではわからない。
プロペラの回転が停止する。そのまま機体はゆっくりと下降し、甲板に降り立った。
「おっかえりー!」
駆け寄ってきたのは、背が高くひょろりとした青年だった。ダナが飛び降りるのに手を貸しながらたずねる。ついでに軽く抱きしめたように見えたのは、ディオの気のせいだろうか。
「おかえりー、首尾は?」
「上々ね。目的は果たしたし、二機撃墜してきた」
「聞いてる。ビクトール様が怒っていたよ。『あいつは目的を忘れている』ってね」
にやにやしている青年とは対照的に、甲板に足をつけたダナは顔をしかめた。
「しょうがないじゃない。久しぶりの空だったんだから」
「で、そっちが『お宝』ね」
お宝よばわりされたディオは、目をぱちぱちさせながらベルトと悪戦苦闘していた。ようやくはずして降りようとするのにも、彼は手を貸してくれる。両足で立つのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。メレディアーナ号を脱出してから、一時間とたっていないはずなのに。
「ようこそ、フォルーシャ号へ。俺はルッツ・クライトン。ルッツでいいよ」
「ディオス……ディオ……ヴィレッタです。どうぞよろしく」
危うく本名を名乗るところだった。
口ごもったディオを、疲れているのと勘違いしたのかルッツは優しく肩を叩いた。
「本拠地に着くまで、少し休むといいよ。こんな船だからお客様用の部屋はないけど、俺の部屋使ってくれていいから」
「あたしは、ビクトール様のとこに行ってくる。後まかせていい?」
「いいよー。君が着艦したら、俺はお役目ごめんだし」
脱いだ帽子とゴーグルを右手でふらふらさせながら、ダナは船の中へと入っていく。その後ろ姿を見送りながら、ルッツは言った。
「彼女の操縦、荒っぽかったろ?」
「死ぬかと思いました」
「堪忍してやってよ。あれで、うち一番のパイロットだからさ……。まあ、戻ってきたのは久しぶりなんだけど」
素直な感想に、ルッツは口元をにやりとさせて一応のわびらしきものを入れた。
「そういえば、フォースダイト搭載機って言ってましたよね」
なぜ戻ってきたのが久しぶりなのかは、聞かないことにしてディオは話をダナの機体へと変える。
「そうそう。うちにも三機しかないんだよね。ビクトール団長とサラ副団長、それにダナの機体」
フォースダイト搭載機とは、飛行島から発掘したフォースダイトを使用している機体のことだ。もちろん現在でもフォースダイトの採掘は行われている。
フォースダイトを機械の動力源として使用するためには、それなりの純度になるまで精製しなければならないのだが、現在の科学力では小さな機械を動かすのが限界だ。
飛行船サイズを動かしたければ、飛行島から発掘するしかない。当然発掘されてしまった飛行島は地へと戻ることになるわけだから、流通する量は多いとはいえない。
大きなフォースダイトを分割して、メレディアーナ号のような客船や輸送船へ大きなかけらを搭載する。小さなかけらは戦闘機やもっと小型の船に使われることになる。フォースダイトを搭載した機体は、垂直離陸垂直着陸が可能となるため非常に使い勝手がいい。使用する燃料も少なくてすむ。フォースダイト専門に船を襲う空賊もいるほどだ。
そのフォースダイト搭載機を使用することが許されているというのは、よほどの腕ということなのだろう。……あの若さで。
狭いトコだけど、と申し訳なさそうにルッツはディオを招き入れた。通されたルッツの部屋は、ベッドが一つあるだけの簡素なものだった。軍用艦に快適さは必要ないということなのだろう。小さな窓に狭いベッド。天井も低く、小柄なディオはともかくルッツは天井に頭がついてしまいそうだ。壁には上着と帽子がならんでかけられていた。
「俺たちの島まで、半日くらいかかるからのんびりしているといいよ。昼寝してもいいし」
「ルッツさんは?」
「ちょっと機体の整備に行って来るよ。あ、鍵はかけないでね。誰か君を呼びに来るかもしれないし」
ひらひらと手をふって、ルッツは部屋を出て行った。
昼寝をしてもいいと言われても落ち着かない。ベッドに腰をおろして、ディオはネクタイを緩めた。上着は脱ぐ気にはなれない。
確かにアーティカとは長年の間契約を結んでいるが、傭兵など信用できない。気をひきしめなければ。
小さな窓から見える空は、茜色に変わり始めていた。