17.復活の日(1)
泥の海に沈み込むような気がした。どれほどもがこうとも、そこから抜け出すのは容易なことではない。
ビクトールは、首をひねろうとして小さく毒づいた。体のあちこちに痛みが走る。やっとのことで目をあけると、光が飛び込んできた。
ぎゅっと目を閉じる。目をしばたたかせながらもう一度あけると、今度は白い天井が見えた。
どうやら、死に神の手からは逃れることができたようだ。
「お目覚めですか?」
聞きなれた声が耳に心地いい。視線を横に向けると、サラがベッドのそばに寄せた椅子に腰をおろしていた。肩から前に垂らした三つ編みを、肩越しに背中へと放り投げて、彼女は立ち上がる。
「申し訳ありません。リディアスベイルを失いました」
それだけを口にして、頭を下げた。痛みに眉をしかめながら、ビクトールは返す。
「いいってことだ。生きて戻れただけ上等。ビルフレインはどうした?」
「撤退しました」
「あの状況で撤退だ?何があった」
「指揮系統がばらばらになったのではないかと。
リディアスベイルが飛行島を破壊しましたので」
沈黙は、ビクトールが事態を飲み込むまで続いた。
「傑作だ。要はリディアスベイルで体当たりしたってことだな?」
あげかけた笑い声は、すぐにうめき声に取って代わられる。
「アーティカの女は強いな、サラ」
「強くなければ、生き残れませんから」
ビクトールは感心したように、サラを見つめた。
若すぎる、と反対の声もあったが彼女を登用して正解だった。時として、ビクトールさえ想像しようともしなかった大胆なことをする。
「ところで、俺はどのくらい寝ていたんだ?」
「三日間です」
思っていたより長かったようだ。ビクトールは自分のことをひとまずおいて、部下のことをたずねる。
「それで……戦闘機部隊のやつらはどうした?」
サラの表情がくもった。
「私が合流する前に、救助は開始していたのですが……」
半数は自力で戻ってくることができた。さらに残された半数の半数は救助できた。残された四分の一は。遺体すら発見できなかった者も多かった。
ビクトールが一番気にかけているであろう二人の消息を、サラはゆっくりと口にする。
「ダナは救助できました……。重傷を負っていて生き延びることができるかどうかはまだ不明ですが」
「……そうか」
「ヘクターは……」
一瞬、息を飲んでサラは続ける。
「ヘクターは……もう火葬しました。あの……あなたが目を覚ます前に。……その……遺体が、腐敗すると大変ですので」
口ごもりながらも早口に吐き出して、サラはビクトールを盗み見る。
アーティカに墓は存在しない。狭い島で暮らしているからだ。死亡した者は火葬され、灰は空からまき散らされる。
ヘクターの灰を入れた壷は、すぐそばのテーブルの上に置いてある。それに視線を投げかけ、すぐにそらせるとビクトールは、布団を頭の上まで引っ張りあげた。
部屋の中を重苦しい沈黙がおおう。
サラは、二人を発見したときのことを思い出した。サラ自ら捜索隊の一員となって、海の上を飛び回った。機体発見の一報を受けて、かけつけた先で見たものは。かばうように、ダナを腕の中に抱えて倒れているヘクターの姿だった。
よりそうようにして倒れていた二人を見た瞬間、真っ先に連想したのは、ダナの両親を発見した時のことだった。
あの時も同じように、ハーリィがオリガをかばうように倒れていた。
見たくはなかった、十年前と同じ光景。
損傷の激しい機体を不時着させるまで、ダナはどれほど苦労したのだろう。
機体の状態が完全なら、まだ別の手段だってあったはずだ。
フォースダイト搭載機なら、不時着するにしても他の機体よりはダメージを減らせたはずだ。それでも、地面に激突した機体は、激しい炎をあげた。体中火傷を負い、何カ所も骨折していた二人。はじめは、二人とも死んだのかと思った。ダナが生きていると知って、どれほど安堵したことか。容態は予断を許さないものであることは、間違いなかったが。
それでもいい。
ただ生きていてくれただけで。
「サラ」
布団の中から、くぐもったビクトールの声がする。
「明日には戻る。今日一日はほっといてくれ」
「そのように手配します」
ビクトールから見えないのはわかっていて、サラは頭を深くたれた。
言葉通り、翌日にはビクトールはベッドから離れた。とはいっても、当然普通に日常生活が送れるはずもなく、執務室に座り心地のよい長椅子を持ち込んでの復帰となった。
「そんなに無理をなさらなくても」
そう言うサラに、ビクトールは厳しい顔で答える。
「そんなわけにはいかないさ。今回のことは俺の失態だからな」
ただの空賊退治だったはずが、どこで情報が狂ったのだろう。ビクトールに命令が下されるまでの経路を、彼は裏から手を回して調べ始めていた。
不幸中の幸いというべきなのだろうか。
重傷の負傷者のうちアーティカの医師が手に負えないと判断した患者は、ダナだけだった。
王都の病院へとダナを入院させてから、ビクトールは一度も彼女の元へは訪れようとしなかった。
彼本人に王都までの往復に耐えうるだけの体力がまだ戻っていなかったというのも理由の一つではあったが。我ながら意気地ないと思いながらも、サラを派遣するだけだった。
見たくはなかった。
傷ついたダナの姿など。
息子を失ったのも大きな打撃だった。
それに加えて、重傷を負った親友の娘の姿を見ることなど、耐えられそうにもなかった。
それが息子の選んだ相手だとしたらなおさら。