12.地上の夜(2)
「これ……本当に食べられる?」
「おいしくはないけど、栄養にはなるわよ」
もう一袋を自分用に確保して、ダナは立ち上がる。
「水汲んでくるから、そこにいて」
遺跡を出てすぐ左にある川から水を汲んで戻ってくると、ダナはそのカップをディオに渡した。
「悪いけど。カップは一つしかないから飲んだらこっちに回してちょうだいな」
ディオは携帯食に口をつけた。
においから予想されるとおり、美味とは正反対の極地に位置する味がした。
もそもそと咀嚼し、半分以上を水で流し込む。
「こっちに回してって言ったのに!」
ダナが抗議の声をあげた。
「ご……ごめん。すぐ汲んでくるから」
はじかれるように立ち上がり、遺跡の外に出る。
やってしまったと、自分が情けなかった。大学では他の学生と同じような生活を送っているとはいえ、生まれてからの生活習慣によって作られた性格まではなかなか変えようがない。
自分のために他の人間が動くのが、当たり前となってしまっているところがある。それは寮の仲間にも研究室の仲間にも、幾度となく指摘されたことだ。一言で言ってしまえば、気が利かないと言うことになる。
これが、研究や学問に限定してのことならまた話は変わる。ディオが王子でありながら、センティアに留学、さらには研究室への出入りを許されたのは、彼の鋭さに定評があるからだった。
その鋭さは、日常生活には一切生かされていない。
必要なかったのだ、今までは。
文句を言いながらも、周りが片づけてくれた。
これからはそうはいかない。
無事に帰りつくまで、もう少し気をつけなければ。
水を汲んで戻ってくると、ダナは膝を抱え込んでいた。
濡れた飛行服は、火のそばに広げられている。毛布は、二枚ともリュックサックのそばにたたまれたままだった。ダナは礼を言って、ディオが渡したカップを口元に持っていく。一口だけ飲んでカップをおいた。
大きくため息をついて足を投げだし、石の壁によりかかる。
その仕草が妙にぎくしゃくとしていて、ディオに壊れた人形を連想させた。
「食べないの?」
携帯食がカップと並ぶように地面に置かれているのを見て、ディオはたずねた。ダナの頭がわずかに横にふれた。
「食欲なくて」
「食べないと体力持たないよ?」
「あんなまずい物、食欲ない時に食べる気しないもん」
ディオには食べさせたくせに、自分は食事をとらないつもりのようだ。確かに、できることなら二度と口にしたくない味だ。
「それにあたし、一晩くらい食べなくても大丈夫だし」
言い訳のようにつけたして、ダナはディオの汲んできた水だけを空にする。
視線がカップとディオの顔と、小さな炎、遺跡の壁とせわしなく動いた。
「ディオ……?」
ためらいがちに、ダナは口を開いた。
「聞いちゃいけないって思ってたから……。聞かなかったけど……ディオの持っている機密書類って……何?」
「それは」
返答につまって、ディオは口を閉ざした。何としても、持って帰らなければならない大切な研究成果。センティア、マグフィレットの両国が総力をあげて完成させたものだ。もう一通の研究成果を記した書類は、センティアの王立研究所の奥深くにしまいこまれている。
それだけ大事な機密を、ダナに話してしまっていいものだろうかと、自分に問いかける。
二人の間に落ちた沈黙は、居心地のいいものとは言えなかった。
お互い相手に聞きたいことがありすぎて。それでも、それを聞いてしまったら何かが変わりそうだと、自分を制して問わずにいる。
今まで、幾度となく問うだけの時間はあったというのに。投げられた問いに、答えなければならないというならば。ディオにだって、たずねたいことは山ほどある。
「ここまで来たら……。君にまで秘密にしておくことはないのかもしれない……でも」
ディオは言葉を切った。
本当に、この問いを口に乗せてもいいのだろうか。
足を投げ出したまま、こちらを横目で見ているダナと目が合った。
やはり聞いておいた方がいい。一度は閉じた口を、もう一度開く。
「僕もたずねたいことがあるんだ。その……君とサラとヘクターとか言う人の間にあったことを」
「……」
少し意地が悪いかと思いながらディオは言った。困ったように、ダナは首をかしげた。
そのまましばらくディオを見つめていたが、体勢を変えた。
膝と手を使って、這うようにディオの方へと進んでくる。ディオのすぐ目の前まで近づくと、ぐっと身を乗り出した。
碧玉色の瞳が、炎を移してゆれた。
ディオは目をそらせた。
これほど間近で異性に見つめられた経験など、ほとんどない。ましてや相手は、宮廷内にもなかなかいないほどの美少女だ。意識しないではいられない。
「ね……あたしの顔、どう思う?」
真顔でダナはたずねた。
「どうって言われても……」
どう答えればいいのだろう。
「きれい?かわいい?それとも好みじゃない?」
せかすようにダナは言葉を続ける。今顔の美醜について語る必要はあるのかと、問いただそうかとも思ったのだが。
ダナの剣幕に負けてディオはあいまいな返事を返した。
「そ……そうだね、きれいだと思う……すごく」
最後にすごく、とつけたしたのは。ただきれいだというだけでは、ダナの機嫌をそこねるのではないかと思ったからだった。
女性に「私きれい?」と聞かれたら。「とても」とか、「すごく」とか、「そこの花よりも」とか、何でもいいからつけくわえておけとは、いつも女性に取り囲まれている従兄の教えだ。
あいにくとこの教えはダナには通じなかったようで。
つまらなそうに
「ふぅん」
とうなった後、這ってきた体勢からぺたりと座り込んだだけだった。
「きれいなんだ、あたし」
他人のことを話しているような口調だった。
普通なら言わないようなことを無理矢理言わせておいて何だ、とさすがのディオもむっとする。ダナはさらりととんでもないことを口にした。
「これ整形なのよね。包帯とれて三ヶ月たつけど、いまだに自分の顔って気がしなくて」
思わずディオはダナの顔を見つめる。
ディオの視線に気がつくと、ダナは苦笑して話し始めた。
「先に言っておくけど。そんなに面白い話でもないわよ?」