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空をなくしたその先に  作者: 雨宮れん
空をなくしたその先に
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1.襲撃からの脱出(1)

 客船メレディアーナは、順調に航路を航行していた。いっぱいに風をはらんだ帆は真っ白で、船体の優美な姿を強調している。甲板では乗客たちが思い思いに時間を過ごしていた。

 地上数千メートルを、ゆっくりと航行する豪華客船。この船に乗ることを許される人間は、それほど多くない。

 船での過ごし方は変わらない。それが海路であっても、空路であっても。皆、のんびりと太陽の光を楽しんでいる。最新のファッションに身を包んだ女性たちが、甲板を行き来している。子どもたちが走り回る。下に落ちると大惨事のため、ボール遊びは厳禁だ。


 ディオは、甲板に並んだ長椅子の上で体勢をかえた。椅子はしっかりと甲板に固定されている。万が一にも地上に落ちることがないように。両隣の長椅子も日光浴を楽しむ人でうまっている。

 今はあたたかいが、そろそろ季節は秋にうつりかわろうとしている頃だ。あと数時間もすれば肌寒くなってくるはずだ。


 長椅子から見上げる空も、甲板の手すりの間から見える空も、どこまでも真っ青だ。まさしく航海にはいい日だ。今航行しているのは海ではなくて空だけれど。

 手にした雑誌をめくってはいるのだが、内容は少しも頭に入ってこない。女性の最新ファッションになんて、最初から興味はないのだから当然だ。廊下の雑誌立てから一冊適当に抜き出してきたのだが、暇つぶしにもならない。


 ディオはそっと胸に手をあてた。上着の内ポケットにしまいこんだ書類を、なくすことになったら大変だ。

 一七でセンティアの大学に留学して二年。その間国には一度帰っただけだ。もうじきくる誕生の日を過ぎれば一九になるが、親からはいまだに子ども扱いされているのを感じずにはいられない。

 週に一度、変わらず母から送られてくる手紙の最後には、「風邪をひかないようにしなさい」と書かれているし、二週間に一度父からかかってくる電話はいつも数分で終わる。「勉強頑張れ」の一言とともに。


 子ども扱いしている人間に、こんな大事な書類を持たせるというのもどうかと思うが、父が倒れたというのなら緊急事態には間違いない。

 風が頬をなでる。

 急遽国に戻ることになって、数十分後にはこの船の乗船チケットが届けられた。同時に偽の身分証明書が魔法のように手渡され、道中のスケジュールも決定された。こういう時は、王家の力を実感せずにはいられない。


 物を言わせることのできる権力と財力。

 ディオを大学に送り出した時には、家の力をあてにするなと言い、実際他の大学生と同じ生活を送らされたものだが。狭い寮の寝室、堅いベッド。まずい食事。それも青春の一ページか。


 ディオは目を閉じた。日の光が頬を柔らかくなでる。留学してからずっと研究室にこもりきりで、こんな風に過ごすことなんてなかった。日の光にあたるのも久しぶりだ。居眠りをしないようにしなければと思うが、この心地よさは眠気を誘う。

 わざわざ偽の旅券を手配してまで守らなければならない秘密だ。誰かに盗まれないように気を配らねばならない。名残惜しいが、長椅子から離れることにする。


 ディオは、持ってきた雑誌を丸めて立ち上がった。昔から背が低いのがコンプレックスだ。男にしては華奢な体格、日に焼けた藁の色をした髪と目。童顔で、年相応に見られたことなど一度もない。どちらかと言えば目立たない方だが顔立ちは悪くないのだろう。

 研究室にいる女の子たちが、「かわいい」と評しているのを聞いたことがあるから。……嬉しくもなんともなかったけれど。


 くだけた格好の他の旅客たちと違って、きっちりとネクタイを締めた上に上着も着込んでいる。本当はもう少し楽な格好をしたいのだが、上着を脱ぐことさえ不安でしかたない。

 託された機密書類を無くしてしまいそうで。部屋に戻っても、寝間着に着替えることすらなく過ごしてしまいそうだ。


 手すりにもたれて目を細める。船底につけられたプロペラが風を切る音が響いてくる。

 頭の上では、帆を固定したロープの端がぱたぱたとしている。空の航海ははじめてだった。

 主に金銭的な事情で。

 ディオの生家から、大学のあるセンティアの王都までは海路で一週間程度、列車で十日以上かかる。それでも空を使うよりははるかに安上がりだ。

 甘えるなと言った両親は最低限の旅費しか出してくれなかったため、今までの往復にはその時の懐事情に応じて船か列車を使っていた。


 甲板を行き来する乗客の衣装一つとっても、ファッションにうといディオの目にさえ高価な品だとわかる。これがこんな事情でなかったら、初めての空の旅をもう少し楽しめただろうに。

 胸の秘密書類。

 父の病状。

 気にかかることが多すぎる。


 ディオは風に乱された髪をかきあげた。

 航海が終わるまで、数日の旅程だ。何事もなく、ティレントに到着することを願うしかない。そんなディオの願いは、即座に打ち消された。


 警報が鳴り響く。

「空賊だ!」

 乗客の一人が、空を指さす。点のように見えている黒い影がみるみる大きくなって、メレディアーナ号にせまってきた。

 海賊も多数存在するが、空賊も多い。乗客の大半が裕福な人間であることを計算すれば、

海より空の方が効率がいいとも言える。飛行機を用意するだけの事前投資ができれば、の話だが。


 悲鳴が甲板中に響きわたった。乗客たちは、我先にと船室へと逃げ込もうとする。狭い通路はたちまち人であふれかえった。ディオはその流れを無視して、船体後方の非常階段にかけよった。

 このまま船底まで行けば、脱出用の小型艇があるはずだ。

 財布に偽の旅券、機密書類。

 大切な物は、すべて身につけているから問題はない。

 空賊にもいろいろあるが、乗客を皆殺しにする残虐なやつらも多数存在すると話には聞いている。殺されては元も子もない。生きて国にたどりつかなければ。


 二段ずつとばしながら階段を駆け降りる。

 船底にたどりついた時、爆発音が響いてきた。

 こういう大型船には、古代人の残した遺産であるフォースダイトが使われている。現在の技術力だけでは、これだけの大型の船を空中に浮かべることなど不可能だ。


 ディオは、知っている限りのフォースダイトに関する知識をかきあつめた。刺激を与えれば、宙に浮かぶ鉱石。天からの贈り物と人は言う。フォースダイトを搭載している限り、すぐに墜落することはなさそうだが早めに脱出した方が無難だろう。

 脱出用小型艇を捜し求める。

 船底に格納されているということまでは知っているのだが、具体的な置き場所がわからない。乗船してすぐ在処を確かめておくべきだった。後悔の念が胸をかすめる。

 焦る気持ちとはうらはらに、船は見つからない。


「ディオ・ヴィレッタね!ちょうどよかった」

 少女特有の高い声に、ディオはふりかえった。飛行服に身を包んだ少女が立っている。茶の飛行服は、彼女の体格には少し大きめだった。年齢はディオと同じくらいだろうか。

 頭の大部分は帽子で覆われているが、わずかにのぞく鮮やかな赤い色の髪は、耳より上で短く切りそろえられている。ゴーグルを頭の上に押し上げているため、気の強そうな碧玉色の瞳が輝いているのが見えた。

 女性を美人と不美人にわけるとすれば、明らかに美人に分類されるだろう。それも特上の。


「君は?」

「ダナ・トレーズよ。すぐ見つかってよかった」

「どういうこと?」

「あなたを連れ出すように言われているの」

 ダナと名乗った少女は、ディオの手をつかんだ。

「こっちよ」

 手を引かれて、駆け降りてきたばかりの非常階段を逆に駆け上る。先に立つダナは、非常階段の存在を思い出して逃げてきた乗客をかみつきそうな勢いでどなりつけ、道を開く。


 だんだんと上の物音が大きくなってくる。

 甲板にたどりついた時には、轟音が響いていた。

 見上げれば、襲ってきた空賊とどこかの部隊が空戦に入っている。やってきた援護に胸をなでおろす余裕もなかった。船室へ戻るための階段は狭く、大人数が一度に降りるのは不可能だ。

 階段にたどり着いた乗客はよかったが、たどり着けなかった者は、上での戦いに巻き込まれないよう身の隠し場所をもとめて甲板上を右往左往している。


 非常階段の存在を思い出した者は、まだ冷静な判断力を失っていなかったということなのだろう。

 船員たちが誘導を試みてはいるのだが、その努力もむなしい物だった。

 響く女性の悲鳴。

 泣きわめく子ども。

 メレディアーナ号からも、銃声が響く。船員たちが応戦を開始したのだ。


 撃墜された飛行機が船の横を落ちていく。脱出装置が故障したのだろうか。必死にボタンを叩いているが、脱出装置が動作する気配はなかった。落ちていくパイロットの絶望した瞳と、ディオの瞳が交錯した。この高さから墜落すれば、生き延びることなどほとんど不可能だ。

 たとえ下が海だとしても。

 視線が交わったのはほんの一瞬。すぐにパイロットは、煙をあげる飛行機ごと見えなくなった。

 これが空の戦いなんだ。


 ディオは書類を入れた内ポケットを上から強く押さえつける。何としても、この研究成果を国に持ち帰る。そうすれば空賊を根絶やしにすることだってできる。こんなところで終わるわけにはいかない。

 甲板に一機の戦闘機がとまっている。茶と赤で塗装されたそれは、この状況下で静かに発進の時を待っていた。


「乗って!」

 後ろから尻を押し上げられ、戦闘機の後部座席に押し込まれた。

「ベルト!」

 言われるままに、ディオはシートベルトで体を座席に固定する。ダナは前方の座席に飛び乗ると、キーを差し込んだ。


「お願い!子どもだけでも連れていって!」

 幼い子どもを抱えた若い母親が、子どもをダナに差し出す。ダナは冷たく切り捨てた。

「もう人を乗せる余裕はないの」

「何とかならない?一人だけでも」

 よけいな口をはさんだディオは、目を覆うまで引き下ろしたゴーグルごと、鋭い視線で射ぬかれた。ディオは口を閉じた。

「あたしが命令されたのは、あんたの救出だけよ」

 ダナはキーをひねった。勢いよく垂直に機体が飛び上がる。


「安心なさい。落ち着いて。船員の近くに行くの。すぐに仲間が救助にくるから」

 下に言い聞かせると、ダナは機体を動かした。空中から、勢いよく前に飛び出る機体。

 風に目を叩かれて、ディオは瞼を閉じた。息ができない。

「やだ、ウィンドウ閉め忘れちゃった」

 強化ガラスのウィンドウが降りてくる。強風から目と髪を解放されて、ディオは胸をなでおろした。

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