『尊い』と自己分析
大変お久しぶりです。読んでいただければ幸いです。
「尊い」という言葉は元々「神々しくて近よりがたい、高貴」などといった意味がある。しかし近年では、主にアニメやマンガなどといった分野において、心を動かされるような感情に用いられることがある(『尊い』)。
僕は『尊い』という感情を抱いたことはない。しかし、面白い表現だと思う。
豊臣秀吉をもじった「尊み秀吉」という表現もどこかで見たことがある。
もし自分に『尊い』といった感情が湧き起こればどんな感じになるのだろう。
ふと、大学のレポート作成時にそう思うことがある。
なぜ『尊い』に興味を持ったか、それは以前見た番組の影響だ。
その番組で『尊い』について取り上げられていたのだ。『尊い』とはどういったものか、冒頭僕が述べたようにその意味から、うまく表現できないが『尊い』の日常生活例など、『尊い』があますことなく紹介されていたのだ。
番組へのお便りも『尊い』でいっぱいだった。
『尊い』が紹介された番組を見た後、僕は『尊い』についてある程度は理解した。そして、自分が『尊い』と感じたらどのような感じになるのだろうと試したくなった。というのも、僕は日々の生活の中でレポート作成やら様々な用事・行事等に追われており、ストレスを感じていた。自分の中で『尊い』が生ずれば、ストレスを少し緩和できるのではないか、そう思ったのである。
さて、『尊い』気持ちはどのようにすれば起こるのだろうか。僕は自分が何が好きなのかから考え始めた。僕は歴史、特に戦国時代が好きだ。だが、『尊い』とは感じない。アニメや漫画も好きだが『尊い』という気持ちというのはちょっと違う。ストーリー展開やキャラクター造形に心動かされることはあるが。
そして、その後も自分の好きな分野などからアプローチしてみたが、『尊い』という気持ちは起こらなかった。むしろ、自分とはこういう者だと分析するに至ったのである。
机の前に佇みながら、自分はオタクなのだと確信した。
翌日、大学にて友人の栄介に『尊い』について事の顛末を話した。栄介も僕と同じくアニメや漫画が好きで、趣向が深い。
「なるほど、『尊い』が自己分析につながるとはね。俺もやってみるかな」
「あまり熱心にならないほうがいいよ。僕は昨日やる分のレポートに集中できなかったから」
「マジか。そいつは気をつけなくては。暇なときにやるとするか」
「そのほうがいいよ。でも、自己分析は冷静になれるから、ストレスを感じたときにやってみるといいよ」
少し自信がついたような、と僕は思った。
僕にとって『尊い』は自己分析につながり、自分を見つめ直すきっかけになったのである。
後日、同番組で再び『尊い』について取り上げられていて、また『尊い』お便りもたくさん届いていた。
それを見て、僕はとても感心したのだった。
いかがだったでしょうか。サブカルチャー分野で用いられている「尊い」を題材にしてみました。
読んでいただき誠にありがとうございました。