気になるあの人
いつからだろうか。
その何を考えているのか分からないその瞳が気になり始めたのは。
言葉を交わしたことはない。
けれどその瞳が私の方を向いていると、そう思うのは気のせいだろうか。
***
満開の桜が咲く四月。
今日から瀬那は高校三年生になる。
進級し、新しいクラスの張り紙がされている廊下では、自分達の新しいクラスを確認するために人だかりができていた。
瀬那も自分のクラスを確認しなければならないのだが、人が多すぎて近づく気にならない。
とりあえず少し離れたところから、人が落ち着くのを待つことにした。
友人と一緒になれた子や離れた子。
新しいクラスの発表に一喜一憂している学生達を他人事のようにぼんやりと眺める。
その時、廊下の向こう側からざわめきが起きた。
人垣を割ってぞろぞろと歩いてくる三人の男子生徒。
誰もが彼らの姿を見ると廊下の端に寄り、彼らに道を開けていく。
「一条院様よ!」
「瑠衣様ー!」
「総司君格好いい!」
きゃあきゃあと騒ぐ女子生徒達を意に介することなく……いや、若干うっとうしそうに歩いてくる三人。
騒いでいる女子生徒達は騒ぐだけで、見えない壁があるかのように一定の距離以上近付こうとはしない。
それは真ん中に立つ彼の持つ雰囲気のせいだろう。
真ん中にいる彼に、この場が支配されていくのが分かる。
漆黒の髪に漆黒の瞳。
作られたような美しい端正な顔立ちは、一目で女性だけでなく男性までも見惚れてしまう。
王者の如き雰囲気をまとう彼は、生まれながらの支配者だと思わせる、周囲を圧倒させる威圧感を持っていた。
まだ高校生であるのにそんな雰囲気を持てるというのが凄いが、なんてことはない、彼の生まれを知れば。
彼の名前は一条院 枢。
日本の経済界を牛耳る影のドン、一条院宗太郎の孫で、一条院財閥の御曹司。
経済界どころか、政財界にまで影響力を持っている一条院財閥。
この町には一条院の本社があり、その関連企業も集まっている。
この学校に通っている生徒のほとんどの親が、一条院の、もしくは一条院の子会社や関連企業で働いている。
この学園も一条院が経営する学校で、先生ですら彼に文句は言えない。
誰一人彼に口答えできない。
ここで彼は支配者。
まるで王のように扱われているのだ。
枢を加えた三人は、人が開けていく道を当然のように歩き、人でいっぱいで近付くのも困難だったはずのクラス発表の張り紙の前に難なくたどり着く。
彼らが歩いていて彼らの行動の邪魔をする勇者はこの学校にはいない。
波が引くように張り紙の前から人が避けていった。
「おっ、三年でも俺達同じみたいだぜ」
金髪に耳にいくつものピアスをし、服装も着崩している派手な見た目の男子生徒が、張り紙を見て嬉しそうにする。
彼は神宮寺総司。
進学校である一条院学校だが、比較的校則は緩く、彼のように派手な髪の色に染めている者も珍しくない。
明るい性格のようだが、少々どころではなく騒がしく、瀬那からすると、できれば関わりたくない分類の人だ。
「本当だね。まっ、俺達みたいな問題児ばらけさせないでしょ」
どこか納得げに相づちを打つのは、和泉瑠衣。
総司とは違い、きっちりと制服を着こなしている彼はこの町にある大病院の院長の息子で、いつも柔和な笑みを浮かべており、人当たりが良い。
総司と共に、小学校時代から枢と仲がいいようで、枢が誰かといる時は必ずと言っていいほどこの二人でいる。
この二人も容姿が整っており、女子生徒からの人気は絶大だ。
近付きづらい人を圧倒する空気を持つ枢と違い、比較的親しみがあり近付きやすいのか、枢よりも女子の競争率は高いようだ。
「枢、俺達C組だって。行こうぜ」
「ああ」
総司が声を掛けると、枢は特に感情のない平坦な返事を返し歩き出す。
その時、ふと足を止めた枢が遠くから眺めていた瀬那の方に顔を向けた。
跳ねる心臓。
刹那、絡み合う視線。
何の感情の起伏も見せない漆黒の瞳が瀬那を捕らえ動けなくする。
けれどそれもほんの一瞬の出来事。
枢は先に歩き出した総司と瑠衣の後に付いて足を動かした。
瀬那はその姿をじっと見送る。
再び張り紙の前に人が集まりだしたが、瀬那はまだ枢の歩いて行った方向から目を離せないでいた。
先程のように枢と視線が合うのは初めてではなかった。
この高校に入学してから、いつの頃からか視線が重なるようになった。
だが、瀬那が枢と話をしたことなど一度もない。
これまで同じクラスどころか、近くのクラスになったこともないので会話をする機会もなかった。
それでなくとも枢は声を掛けにくい雰囲気を発しており、瀬那から近付くことすらない。
ただ遠目で見るだけ。
かといって、周りにいる女子生徒のように、彼らに強い興味があるわけではない。
そのはずなのに、時折合わさるその視線がどうしても気になるのだ。
何故こんなにも彼と視線が合うのだろうか。
そう思うが、それはきっと気のせいなのだろうと勘違いを恥ずかしく感じる。
現に周囲にいた子からは……。
「ねえ、今、一条院様私のこと見たわ」
「えー、違うわよ。私と視線が合ったもの」
そう言って喜ぶ声が聞こえてくる。
瀬那の周りにはたくさんの人がいた。
枢と目が合ったと思う者は瀬那だけではない。
だからきっと気のせい。
何をしていても興味なさそうにしている枢は瀬那の名前など知っていないだろう。
ただの自意識過剰だ。
何度思ったか分からない言葉で納得し、ようやく人が少なくなってきた張り紙に近付いていく。
A組から順に名簿を見ていき、C組に自分の名前、神崎瀬那の文字を見つけた。
C組……枢達と同じクラスだ。
これまで決して関わることのなかった枢。
同じクラスになれば話す機会もあるだろうか。
そうすればあの眼差しがどこを見ていたのか分かるかもしれない。
まるで答え合わせをしに行くような気持ちで、瀬那は新しいクラスの教室へと向かった。
新しいクラスとなる三年C組に足を踏み入れる。
ざわざわと騒がしい教室内には、先程いた枢達がすでに来ていた。
教室内にいる女子生徒はちらちらと彼らの方に視線を向けては、きゃあきゃあと小さく騒いでいる。
気にはなるが彼らに話しかける勇気はないのか、ただ見ているだけだ。
瀬那も用がないのに話しかける気はさらさらない。
新しい友人を作ろうと躍起になっている生徒達を尻目に、瀬那は自分の席に座る。
決して友人が欲しくないわけではない。
けれど瀬那は本を読む一人の時間が好きなので、あまり積極的に友人作りに励もうとはしないだけ。
それに先程見たクラスの名簿の中には、仲の良い子の名前が載っていたのを確認していたので、積極的に友達を作る必要がないと思ったのだ。
「瀬那ちゃーん」
教室に入ってくるやいなや、可愛らしい笑顔を浮かべて瀬那の元に駆け寄ってくる女の子。
その女の子の登場で、にわかに教室内にいた男子が沸き立つ。
「わっ、美玲さんだぜ」
「よっしゃ、同じクラスなんてラッキー」
そんな男子生徒の声が聞こえてくる。
「三年になってようやく瀬那ちゃんと同じクラスになれたよ。嬉しーい」
「うん、よろしくね」
嬉しそうに瀬那に抱き付いてくる彼女、高坂美玲は、服飾ブランドメーカーのご令嬢。
家のブランドの専属モデルも務める美玲は、かなりの美人だ。
ミルクティー色の髪を綺麗に巻き、スタイルもいい彼女は、男子生徒だけでなく女子生徒からも憧れのまとである。
生徒会に入っており、副会長も務める彼女には親衛隊なる者も存在するほどだ。
これは何故か瀬那にも存在している。
いつからか分からないが、瀬那が気付いた時にはそんなものができていたのだ。
モデルである美玲なら分かるのだが、自分にも親衛隊が存在することに、瀬那は首を傾げるのだった。
「それにしても、一条院様達がいるからかノワールのメンバーが多いわね」
美玲が教室内にいる男子生徒達の顔を確認しながらそう話す。
「そうなの?」
「瀬那ちゃんって、そういうの興味なさそうだもんね。知らなくて当然か」
「失礼な。さすがに誰が入ってるかまでは分からないけど、一条院さんの取り巻きってことは知ってるし」
「それこの学校に通ってれば誰でも知ってる最低限のことだよ」
一条院枢に憧れ、集った者達をいつからかノワールと呼ぶようになった。
少々不良な集団のようで、夜中にクラブに集まって騒いだり、町の不良と喧嘩をしたりという噂である。
事実かどうかはさだかではないが。
しかし、枢の下、統制が取れているので一般人に被害が及ぶようなことは起こっていない。
もっぱら喧嘩の相手となるのは、目立つ枢やノワールというグループが気に食わないこの辺りの地区にいる暴走族や不良と呼ばれる類の人達なのだが、返り討ちに遭って解散した暴走族は数知れないらしい。
むしろ治安が良くなったと感謝する者すらいるという。
そんなノワールに所属している学生は思いのほか多い。
噂では、学校に通っている男子生徒の三分の一は所属しているとかいないとか。
そこも噂なので瀬那は詳しく知らない。
けれど、枢を慕う人間が多いのは確かな情報だ。
一年、二年でのでも、枢とは違うクラスだったにも関わらず、男子達から枢を尊敬する言葉が飛び交っていたから。
「ここ進学校なのに、よくそんな不良集団に入るよね。
そんな時間があるなら勉強しなさいよって思うんだけど」
繁華街には、枢がわざわざノワールの為に作ったノワールというクラブがあるらしい。
そんなことのためにお店一つ作ってしまうのだから、さすが一条院財閥の御曹司といったところか。
そこで彼らは夜遅くまで騒いでいるらしいのだが、よく勉強に置いて行かれないなと瀬那は感心してしまう。
「まあ、確かにね。でも純粋に一条院様に憧れてノワールに所属しているわけではない人もいるみたいよ」
「どういうこと?」
「将来のために一条院財閥の御曹司に顔を覚えてもらおうっていうね。簡単に言うと媚び売ってるのよ」
「ああ、なるほど」
それは瀬那も納得だった。
多少勉学を引き替えにしても、不良集団に所属する価値はあるのだろう。
それだけ一条院とは魅力的な名前なのだ。
まあ、覚えてもらえればの話だが。
枢を見る限り、そういうものに興味があるようには思えない。
「一条院財閥の御曹司も大変ね」
「まっ、あの一条院に生まれたんだからそういう輩が付いて回るわよ。私の家の規模の会社でもそういう媚びを売ってくる人達がくるんだから、一条院となったらそれ以上でしょうね。私は一年の時一条院様と同じクラスだったんだけど、そういう人達が溢れて酷かったもの」
「あんまり教室内騒がれるのは嫌だな。本がゆっくり読めない」
瀬那の眉間に皺が寄る。
本を読む時間は瀬那の至福の時間だ。
うるさくされてそれを邪魔されるのは困るのだ。
「それなら大丈夫よ。親衛隊の鉄の掟は周知されてるはずだし。
現に瀬那ちゃんがいるからか、いつもより女の子達も大人しいみたいよ。私が同じクラスだった一年の時はこんなもんじゃなかったもの」
「だと良いんだけど」
じゅうぶんうるさいと思うのだが、同じクラスになったことのある美玲がそう言うのだからそうなのだろう。
親衛隊などというものに対して何かを思うことはないが、静かな学校生活を守れるなら親衛隊も悪くはないと思う。
そこで先生が入ってきたので話を切り上げた。
瀬那の高校最後の一年が始まる。