未開
初夏の乾いた風が教室を吹き抜けていく。ぶわりと風をはらんで膨らむ、ちょっとくすんで黄ばんでいる白いカーテンを視界に入れながら、真紀はそんなことを考えていた。
興味の持てない授業は退屈でしょうがない。
おじいちゃん先生がとうとうと語る遠い昔の偉人の名前など、真紀の耳には入るどころかその手前で墜落している。だいたい、知らない誰かな上にカタカナの名前の時点で覚えられるわけがないのだ。赤点さえとらなければセーフ、あとはテスト前の自分に全てを任せた状態の真紀が、律儀にこの授業を聞いている(ふりをしている)理由はただ一つだった。
斜め前の席の、シガさん。
真紀の最近の関心ごとは、もっぱら彼女のことである。
彼女は今日も、眠くなるような教師の声に、熱心に耳を傾けていた。
真紀はシガさんの名字を知っていても、名前は知らない。シガ、という漢字もどう書くのか知らない。クラスも、部活も。真紀がシガさんについて知っているのは、この授業のときの彼女だけだ。
そこそこの生徒数を誇るわが校では、生徒の自主性をナントカカントカで、一部の授業は選択授業が採用されている。このおじいちゃん先生の授業もそれにあたる。こんな時でなければ顔を合わせない生徒はいくらでもいて、シガさんは真紀にとってまさにそれだった。真紀にとってシガさんとは、対外的に説明すれば、週に二回一時間だけ顔を合わせるクラスメイト、である。ほとんど他人だ。しかも、真紀が一方的にシガさんを眺めている。ちょっと我ながらヘンタイチックかもしれない、と真紀はその時思い至った。
シガさんをこの授業で眺めるようになってから、すでに1か月と少し。週に二度とはいえ、この期間ずっとシガさんを観察しているのは、なんだか少し変わったフインキを持っていて、真紀の興味を刺激しているからに他ならない。
基本的に言葉少なで、でもまあ陰キャってほどではなく。授業の前後に、友達とおしゃべりして快活に笑っているのを何度か見かけたことがある。真紀にとってちょっとレアな笑顔は結構かわいかった。ベリーショートに近い短い髪は猫っ毛のようで、今日のように風の強い日にはふわふわと綿毛のように揺れているのをよく見る。
真紀が知っているシガさんは、背が高くて、化粧っ気もなくて、髪も短くてと、書き連ねるとまるで男子のようだけど、真紀が思うにシガさんは美人、なのだ。
実際、真紀の学校にはそこそこかわいいと真紀が思える子が多い。マンモス校なので母数が多いというのもあるが、外見を整えている子というのは自分の見せ方もわきまえているので、集団においてちょっと目立つのだ。(ちなみに、真紀は真ん中より少し上、を自任している。まさにフツーだ。)そのなかで、シガさんは背が高いとはいえ地味なほうだといってもいい。しかし、この授業が始まってから、シガさんを観察していた身として、真紀は異を唱えたい。
まず、すらりと背が高くて伸びた手足。肌も白くてきめ細かいし、中性的な顔立ちで、すっぴんぽいのにまつ毛がバサバサでパッチリ二重。年中無休で日焼け止めを全身に塗りたくり、つけまとアイプチの恩恵にあずかっている典型的な日本人体型の真紀にしてみればうらやましい限りである。
磨けば光る原石、というのが真紀の彼女に対する見立てである。それだけに、真紀はシガさんをついつい目で追ってしまう。もったいない。ああいうタイプを着飾らせるのが、一等楽しいのだ。まるでモデルのような長い手足は、きっとしぐさが洗練されれば誰もが目を張るような美しい所作を作り出すだろうし、顔面は元がいいのだから少し整えれば、素晴らしい出来になるだろう。しかし、それをするには本人の意思が重要だし―――そもそも真紀とシガさんはこの授業で一緒になるだけで、会話すらしたことがない。真紀が一方的にシガさんを眺めているだけだ。
真紀が男子だったら、もしくはシガさんが男子だったら、ぜったい放っておかないのに。真紀は心の底からそう思う。……要は、シガさんはその原石という状態ですら、真紀の好みど真ん中なのである。同性に今のところそういった好意を感じたことはないけれど、シガさんならあるいはそういったこともあるかもしれない。
真紀は今日も今日とて、授業を聞いているふりをしながらシガさんを眺めていた。ノートを書くためか教科書を見るためか、目を伏せるような角度だと、彼女のまつ毛がこれでもかと強調される。その視線につられて真紀も目を下す。すると、半端丈のスカートからのぞく、シガさんの白い足が真紀の目に入った。校則で決められたスカートの長さを律儀に守っているなんて、よっぽど厳しい部活にでも入っているのだろうか。生徒数の多さによる層の厚さを武器にしたわが校の部活動は、強豪に名を連ねることが多いらしいので、真紀がぱっと思い浮かぶいくつかの部活のうちのどれかに所属しているのだろう。
……真紀のとっ散らかった思考の要は、真紀の視線の先の、シガさんの足が、思った以上にほっそりとしていて、それが少女と大人の間をさまよっているように感じられて、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気分になってしまっただけである。
シガさんが身じろぎをして足を動かしたので、ようやく真紀はふと我に返った。普段の真紀なら、何組の誰それがイケメンだの部活の誰それ先輩がカッコイイだのと、男性のほうにしか目の向かないはずなのに、同性である彼女にこんな気持ちにさせられてしまうのはなぜなのだろう。
真紀は、今日も悶々と、この一時間を過ごした。この、まだ開かない気持ちに、名をつけるとしたらなんだろうか。