第二章『島』
【第二章 『島』】
春休み二日目。カーテンの隙間から覗く空は今日も青い。昼になる前に目が覚めたことを心の中で褒めてやる。
欠伸をしながらパジャマのままで客室を覗きに行くが、変わらず宰緒はいない。家の何処にもいない。ちょっとコンビニへ、ではなかったことがわかっただけだった。次に会ったら一言声を掛けてから帰れと言おうと心に誓う。献立係が突然いなくなり、メニューを考えるのが億劫だ。
着替えてトースターに食パンを放り込み、ジャム瓶を机に置き座る。
家の中に自分以外誰もいない。自分一人がぽつんとしている。まだ寝起きのぼんやりした頭で虚空を眺めていると、トースターのタイマーの音がやけに大きく聞こえて心臓が跳ねた。
こんがりと焼けたトーストにジャムを塗っていると、今度は家のインターホンが鳴り、またびくりと跳ねた。トースト片手に玄関のカメラを確認すると、顔はよく見えないが見知った格好の人間が立っていた。
トーストを手にしたまま玄関のドアを開けると、そいつはトーストを見て静かに眉を顰めた。
「知り合いだし、別にいいかなって」
「何も言ってない」
頭にはキャスケットにフード、目立つ白髪がちらりと覗く。片眼に眼帯をつけた姿はもう見慣れた、紫蕗だ。
「それ」
片眼の視線の先には、ジャムを塗ったトースト。やっぱり気になってるんじゃないか。
「紫蕗も食う?」
「いらない。そのジャムは?」
「雪哉さんから貰った葛苺のジャムだけど。違界の食べ物だから父さんに見せるのは躊躇うし、一人でってなるとなかなか食べ切らなくて。でも美味しい」
「やはりあいつは城の中のことを……」
何かを考えるように目を伏せ呟く。最後の方は上手く聞き取れなかった。
紫蕗がルナの家を訪ねてきたのは初めてだ。わざわざ訪ねてくるのだ、何か余程の理由があるのか。少しだけ緊張する。
「それで、今日はどうしたんだ? 久しぶりだけど。あ、朝ご飯食べたか?」
「何時だと思ってるんだ」
「十一時くらい?」
徐ろに溜息を吐く紫蕗。
「青界に来たついでに寄った。俺が渡した装置の調子はどうだ?」
わざわざ訪ねてくるので何かと思えば、調子を聞きに来たとは真面目だなぁと思いつつ、特に問題ないと伝える。
「何かあれば言え。追加してほしい機能があれば」
稼ぎに来たんだな、と理解した。
装置は昨日少し使ってみたが、脳に負担はないようで疲労感などもない。違界で使用した時とは大違いだ。今はとてもしっくりくる。
使い心地を思い出す中、ふと一つ思い出した。
「あ、じゃあ一つ……」
「他に誰もいないのか?」
言い掛けたルナを遮る形になってしまったが、構わず紫蕗は彼の体越しに中を覗く。家の中は殆ど明かりが消えていて、しんとしている。人の気配がないことを確認し、紫蕗は無言で玄関に足を踏み入れた。
その表情が僅かに暗い。
「……紫蕗、何か疲れてる?」
心做しか瞼が重そうだ。
「……疲れてるわけではないが、青界は眩しい……」
「あ、そうか。違界は薄暗いから……。今日天気良いもんな」
違界の暗い光に慣れた違界人には青界の光は眩しすぎるようだ。目の色素が薄いと光を感じやすく眩しく感じると聞いたことがあるが、それも関係あるだろうか。
ルナの目の色も生まれつき薄いので差はわからないが、違界人は黒目の者が少ないように思う。より眩しく感じるのではないだろうか。紫蕗の片眼は眼帯で覆われているが、その下の目も黒ではない。アルビノの赤い目は色素が欠け血液が透けて見えるため赤いと言うが、どのくらい光を感じるのだろう。
「ちょっと待ってて」
「?」
その場に留め、ルナはトーストを咥えて家の奥へ消える。そのトーストを食べ終わってからでも構わないのだがと紫蕗は思ったが、黙って背を見送った。
少しの時間待たされ、ルナは面積の減ったトーストを咥えて戻ってきた。
「これ、父さんのなんだけど」
そう言って取り出したのはサングラスだった。初めて見る黒い眼鏡を紫蕗は不思議そうにくるくると見回し、光に透かしたりと珍しそうに眺める。
「アルビノは色素が欠けてるんだよな?」
「? ……ああ」
ほんの一瞬怪訝そうな顔をするが、すぐに言葉の意味を理解したようだ。
「この髪は前にも言ったが特異体質の所為で、アルビノとは違う。この目も血の色というわけじゃない。害毒が作る色だ」
「そうなのか……?」
話しながら眼帯の上からサングラスを掛ける紫蕗に、掛け方はそれで良いのか? とルナは小首を傾ぐ。
「眼帯つけたまま……」
「この目はあまり晒すものじゃない」
「目を隠したい気持ちは……わかる」
目を逸らして伏せるルナに、紫蕗はサングラスをずらして一瞥。
「お前も青界では珍しい色だからな。だがそういう色というだけだろう? 害毒の目とは違う。何も危険はない普通の目だ。お前は気にし過ぎだ」
普通の目。そういう言い方をされたのは初めてだった。珍しい色でも普通だと言える紫蕗はきっと、害毒だと触れ回るような色の目に苦しめられてきたのだろう。紫蕗から見れば他の色は皆、普通なのかもしれない。そのことにハッとさせられる。
「どうしても気になると言うなら、お前のその目を抉り取って望む色の義眼を入れてやることもできるが」
「……提案がえぐいな。紫蕗の紫の方の目は義眼なのか?」
紅い目が生まれつきの害毒の色だと言うのなら、もう一つの紫の目は本来の彼の目ではないかもしれない。
「ああ……幼少の頃に潰されたらしい」
「え……ごめん」
何でもない風に言うが、それは徒事ではない。潰されたと言うことは誰かその潰した相手がいると言うことだ。違界はそういう所だと認識していたつもりだが、それでも紫蕗でさえそんな目に遭ってしまうのかと、改めて恐怖を覚える。
「? 謝らなくていい。違界ではよくあることだ」
やはり何でもない風に言う。全く意に介していないと言うように。ルナには気にし過ぎだと言うが、こちらはもう少し気にした方がいいと思う。
このサングラスという物だと害毒の目も隠せるだろうかと呟きつつ、紫蕗は眼帯を外す。あまり見えないよう伏せてはいるが、耿々と鮮やかな色が浮かび上がる。改めて見ると、言う通り血の色とは違うことがわかる。本当に宝石のような、濡れた紅玉のように不気味に美しい。これが両眼に揃っていれば、どれだけ周囲に畏怖を与えたことだろう。
「どうだ?」
紅い目をサングラスが覆う瞬間をぼんやりと見詰め、突然というわけでもなかったが声を掛けられ反応が遅れる。
「……え? 似合ってるよ」
「そういう意味じゃない」
色が隠せているか訊いているのだとは、言った後にすぐにわかった。紫蕗も言葉が足りていないと気づいていないのだろうか。いや、話すことがあまり得意ではないのか。
トーストの最後の一口を放り込み、物珍しそうにサングラスの蔓に触れる紫蕗に何気なく訊いてみる。
「紫蕗はこっちの世界に住もうとは思わないのか?」
自由にこの世界に来ることができるのに、紫蕗は定住せず危険な違界に戻る。違界人は大金を叩いてでも安全な世界へと技師に転送装置を求めるのに。
何気ない質問ではあったが紫蕗は遠くを見詰めるように、ルナから視線を逸らす。
「違界人には、青界は暮らしにくい」
それってどういう……と疑問を投げ掛けようとしたところで、開きっぱなしの玄関のドアからひょっこりと見知った顔が覗いた。
「うおっ……何してんだ?」
サングラスを装着した紫蕗の姿を見、ドアから覗き込む玉城雪哉の視線は固定される。
「雪哉さん。……どう?」
視線を送り、紫蕗の姿を指す。
「え? ……あ、似合ってる?」
「おい。目の色がわかるかと訊いてるだけだ」
揶揄されているのではないかと紫蕗は不満げにサングラスを外し、目を伏せて眼帯をつける。
揶揄しているわけではないが、言葉が足りないことは自覚してほしい。
「雪哉さん、どうしたんですか? 引越しとか忙しいんじゃ」
「ん? ああ……そうだな。それなんだが」
ドアを閉め、言いにくそうに口を開く。ルナは部屋に上がるかと勧めるが、雪哉は首を振った。
「大学……今年は行かないことにした」
思いもしなかった言葉が飛び出した。
「え!? ……落ちたんでしたっけ……?」
「いや……何て言うか、俺の記憶はまだ戻らねーし、花菜も鬱ぎ込んだままだし、あの状態の花菜を一人置いて行くことはできない……なんて言ったら花菜は気にするかもしれないから黙っててほしいんだけど」
違界から戻ってきてからずっと考えていたことなのだろう。言いにくそうにはしているが、決心はついているようで澱みはない。記憶はなくとも、妹である花菜を気遣う気持ちは消せないということか。早く記憶が戻れば良いのに。そう思う。
「まだ戻らないのか、記憶は」
間に挟まれた紫蕗も訝しげに問う。
「そうなんだよ。それで相談に来たってわけだ。本当は紫蕗の居場所をルナに訊きに来たんだが、いてくれて良かった。手間が省けた」
「少しも記憶が戻っていないのか?」
「んー。無意識っていうのもあるしな、全くかって言われると自信はないが、俺の中では全くと言っていいほど思い出してない」
「……一度脳を診てみるか。代金は日本円で構わない」
相変わらずしっかりしてるなぁとルナは思う。これだけ請求できていれば日本でも暮らせるだろうに。
「そういえば、違界でお金を払ってもらって、一体何に使うんだ? 皆がお金を払う技師は何でも作れて、他に支払う所なんてなさそうなのに」
ふと思ったことだが、考えてみれば妙な話だ。違界の人々が金を払う場と言えば技師か医師だ。ならばそのどちらでもある紫蕗は何をそんなに熱心に違界で金を集めるのか。まさか青界の通貨に両替……ということはないだろう。
「そんなことを知りたいのか?」
「ちょっと気になって」
ルナの疑問には確かに納得する所もあり、雪哉も黙って耳を傾ける。
「技師が金を集めるのは、城に移住するためだ」
「えっ? 城に住めるのか?」
全く想像しなかった理由にルナと雪哉は目を丸くする。安全な城に住めると言うならわざわざ暮らしにくいと言うこの世界に住む必要もない……のか? 盲点だった。城は外の者を拒んで誰も中に入れないものだと思っていた。
「違界人なら知っている者も多いと思うが、大金を積めば城に住める。だが、まだ移住できた者はいないらしい。どれほどの額を積めば良いか明示されてないからな。城の匙加減だとは思うが、皆これを信じている」
「それ、騙されてる可能性もあるんじゃ……」
その判断力も鈍っているのだろうか。移住したい気持ちが強すぎて。それとも何か救いのあるものに縋りたいだけなのか。
「人々は技師を求めるが、同時に殺そうともする。戦う力のない技師はすぐに殺される。転送装置は高値で売れるからな、技師を殺して奪おうとする。その転送装置で青界に逃げるのが手っ取り早いが、転送にはリスクが伴う。造った技師の技量もわからない、無事に五体満足で転送される保証はない。金を得ようと技師でもないのに技師を名乗り、詐欺も横行する」
自称技師という者がいるとは聞いていたが、合点が行く。安全な城に住むために足掻いているのだ。
「紫蕗ほど有名だったら、狙われるんじゃ……」
「狙われても返り討ちにすればいい」
そうだ。こういう奴だった。
「紫蕗も城に住むために?」
「俺は少し違うが……詳しく語る義理はない」
そうだ。こういう奴だ。
言いたくないものを無理に聞きはしない。
この話は一旦終わりだと言うように、雪哉に向き直る。
「お前は城の中に入ったそうだが、その話を詳しく聞きたい」
黙って話を聞いていた彼に矛先を向け、珍しく逸る気持ちを抑えるように睨みつけた。
以前も聞きたそうにしてたなと思い出し、雪哉も刹那黙考する。
「記憶が戻るまではと思っていたが、その相談に来たと言うのなら手っ取り早く手間を省く」
「じゃあ城の情報が代金ってことでいいのか?」
「……」
「簡単に入れない城の中の情報、お前も喉から手が出るほど欲してるみたいだが、俺の記憶を戻すことに釣り合いは取れるか?」
紫蕗はすっと目を細める。今までも支払いを渋る人間はいた。どうしてもこちらが引けない場合、体に教え込むことになる。
「この俺に交渉か? お前の持つ情報の質による。街には行ったようだが」
空気が凍りつき緊張が走る。過去に雪哉にはルナも言い包められたが、記憶のない今の状態でも紫蕗に勝てるのだろうか。
数秒の膠着の後、先に沈黙を解いたのは雪哉だった。ふ、と笑み、手に持っていた物を掲げる。
「――なんて、情報だけで乗り切ろうなんて思ってねぇよ。うちの食堂で作ったサーターアンダギー、沖縄のドーナツをやろう」
情報よりも安いとは思うが、手土産を差し出してきた。
「…………」
突然の手土産に紫蕗も固まっている。
「……ドーナツは輪になっているだずだが」
大きな丸い塊が入った袋を訝しげに見る。この世界の食べ物も多少は知っているようだが、知らない物も多いのだろうと窺えた。いつも何でも知ったように話すので、二人は、紫蕗より優位に立てることもあるのだと知る。
「輪になってないやつもあるんだよ。まあ食ってみろ」
袋からこんがりとした大きな塊を一つ取り出し、紫蕗の手に載せる。ずしりと重い。
飲み物は以前口にしていたが、固形物は食べられるのだろうかとルナはふと思ったが、訝しみつつも口に運ぶ紫蕗を見て、食べられるのだろうと察する。何度もこちらの世界に来ているようだし、輪になっているドーナツも知っていた。何かと食べたこともあるのだろう。
「…………美味しい」
もそもそと大きな塊を食べる姿は、年相応に……そういえば年齢は知らないが、見た所年下だとは思うが態度が年下とは思えない。
「こいつ偶に素直だよな」
ぺろりと塊を平らげ、雪哉から残りのサーターアンダギーが入った袋を受け取る。何も言わないが、気に入ったんだろうと二人は思う。
「紫蕗って年下だよな?」
ルナは何気なく訊いてみた。
「お前の歳は知らないが」
「俺、十六」
「俺は十四だ」
黙っておくことも考えたが、違界で灰音や花菜には話してしまっている。他言するなとは言っておいたが既に顔を見られているので大凡の見当はつくだろうと、話しても構わないかと判断した。
「やっぱり年下……!」
十四歳ということは学年で言うと中学二年生か。随分と達観した中学生だ。雪哉も実際に年齢を聞いて目を丸くしている。過酷な違界で育つとこんな風になるのだろうかと。
やはり驚かれるのかと紫蕗は睥睨し、閑話休題、話を戻す。
「玉城雪哉。脳をスキャニングするために一度違界へ行く」
「え、違界? 大丈夫なのか? って、いいのか?」
無言でこくりと頷く。城の情報のおかげかサーターアンダギーのおかげか、脳を診てもらえるらしい。
しかし違界へ行くと言うのは些か不安だ。折角苦労して違界から戻ってきたのに、あの危険な世界に今度は自らの意志で行かなければならないのか。
「今から行く違界は城ともその外とも違う。安全な島だ。お前の妹もそこで介抱していた」
「! 花菜が……?」
思わぬ所から飛び出した存在に雪哉は身を乗り出す。花菜があの違界に転送されてどうやって城まで辿り着いたか、何も知らないことに気づいた。
「玉城花菜は俺と転送されたからな。あんな人間、一人で違界に放り出されたら即死だろ」
「じゃあお前は花菜の命の恩人……花菜の恩人なら俺にとっても恩人だ!」
「は?」
ありがとうと手を握る雪哉の手を冷たく払う。花菜の所為で散々だった紫蕗には堪ったものではない。
その二人の様子を見ながら、ルナも恐る恐る挙手をする。
「……なぁ、その島に俺も行っていいか?」
手は恐る恐るだが、目は好奇心で爛々としている。
「何のために?」
「興味があるって言うか……」
「そういえばさっき何か言い掛けてたな。何かしてほしいことでもあるのか?」
「あ、そうだった。ちょっと待ってて!」
手で制し、ルナはバタバタと踵を返す。怪訝そうに雪哉は彼の背を見送るが、サーターアンダギーの袋にちらりと目を落とす紫蕗に一瞥を送る。やはり気に入ったらしい。
記憶を失っている故に違界でのことを含めあまり周囲から詳しくは聞いていないが、花菜が違界に転送された時の状況など本当に何も知らない。雪哉が城から出てきた時には既に人数が揃っていた。それ以前に誰が誰とどんな過程を経てそこまで辿り着いたのか把握していない。花菜は紫蕗の近くに転送され、介抱が必要な状態だったと聞かされ、そこに自分がいなかったこと、加えて記憶まで飛んでいることに遣る瀬ない感情が襲う。
やがて大きな菓子箱を抱えたルナが戻ってくると、雪哉は慌てて沈んだ表情を戻す。
「これなんだけど、腕輪に仕舞いたいんだけど仕舞えなくて」
箱の蓋を開けると、そこには違界の道具が詰まっている。
「これはどうしたんだ?」
「母さんが持ってたんだ」
「……成程。お前の母親は違界人だと言っていたな。なら……母親の収納装置に登録されてるかもしれない」
「え? 収納装置……って、腕輪のことだよな? 母さんのは……」
棺桶にこっそり入れたか父が遺品として整理したか、とにかく手元にない。
「収納装置は腕輪型以外にも指輪型などもある。ないなら仕方がない。防御展開装置……ヘッドセットと腕輪を貸せ」
「あ、ああ、うん」
ヘッドセットと腕輪を手渡すと紫蕗は自分のヘッドセットと何やらコードで繋ぎ、慣れた手付きで操作を始めた。
「ヘッドセットに残る収納ログから収納登録情報を引出す。そこから登録の変更、その腕輪で収納管理できるようにする」
「……おお」
「この程度なら技師でなくとも操作することはできる。お前は形を作ることは素人以上にできるようだが、こういうプログラムの操作系統は弱いのか」
「うーん……全くってわけではないと思うけど……サクに少し教えてもらったこともあるし」
「慣れると作れる物の幅が広がる。覚えていて損はない」
「違界の技師は目指してないけど」
てきぱきと流れる手付きであっと言う間に操作を終え、コードを外してルナに渡す。念じると違界の道具が入った箱はすんなりと腕輪に収まった。
慣れているとは言え殆ど時間を掛けずに遣り切ってしまう所は素直に凄いと思う。礼を言おうとルナが口を開こうとすると、先に紫蕗が次の話題へ移してしまった。こういう所も早い。
「俺の転送装置は俺の他に一人しか転送できない。お前の転送には使い捨て装置を使う」
「使い捨てで大丈夫なのか?」
慌てて話題についていく。
「違界から集団転送を行った時に使ったのも使い捨てだ。問題ない。代金は別途請求する」
「えっ、代金!?」
代金が発生するのか……と言おうとしたが、その前に転送されてしまっていた。迅速すぎる。早く城の情報を聞き出したいのか、行動が速やかすぎた。
安全とは言え違界に転送と言うことで構えてはいたが、目を開けたそこは、小鳥の囀りでも聞こえてきそうな緑溢れる自然豊かな場所だった。
「ここが違界……?」
あの悲惨な違界の瓦礫の世界を見てしまった後だと俄には信じ難い。植物など生えていない違界に、視界一面に草木が茂っている。
「ここは特殊な結界が張られている島だ。俺が張ったわけではないが、ここには座標を誤った時に偶然転送された。以来使わせてもらっているが、俺達の他には誰も住んでいない」
「……達?」
「紫蕗でもミスる時あるんだな」
それぞれ口々に発するが、紫蕗は構わず歩き出した。
太い木の根元に小さな小屋が根に絡まれながら立っていた。
「少し下がれ」
「?」
二人を二、三歩下がらせ、ドアを開ける。
瞬間、中から少女が包丁を構えて飛び出してきた。
「!?」
ルナと雪哉が驚く間に、紫蕗は少女の腕を捻り上げ包丁は床に落ちる。その奇襲の対応力を見るに、随分と慣れているようだ。
「――あっ、ししょー! ……と、あれ?」
腕を捻り上げられながら声を上げた少女は、頭に大きな耳、そしてふさふさの尻尾がぴょこぴょこと揺れていた。
「畸形……!?」
今度は口を揃えて叫んだ。
自分のことだと察した少女は、紫蕗に解放されるや否や素速く床を蹴って距離を取る。動きが動物っぽい。
「師匠! その人達は?」
「玉城花菜の兄の玉城雪哉と、違界人とのハーフの青羽ルナだ」
「えっ、花菜さんのお兄さん!?」
それを聞き警戒を解いたのか少女は部屋の隅から戻ってきてぴょこりと頭を下げる。
「私、色羽って言います。師匠のお世話してます」
大きな耳がぴょこぴょこと目の前で跳ねる。
「わあぁ、花菜さんのお兄さん、会ってみたかったの!」
「え、ああ……花菜が世話になったみたいで、ありがとな」
ぴょんぴょんと興奮気味に話す色羽は、どうやらあのカマキリの畸形のような好戦的なタイプではないらしい。ドアを開けて間髪入れず飛び掛かってきた時はこちらも警戒したが、危険はなさそうだと安堵する。何より紫蕗が警戒をしていない。先程紫蕗が言っていた『俺達』の『達』の部分はこの少女のことだろう。紫蕗とは随分と性格が違いそうだが、世話や留守を任せているということは信用しているのだろう。誰も信用せず一人で生きていそうなのに。
紫蕗は二人を色羽に任せ、奥の部屋に入っていく。
改めて色羽を見てみると、彼女はヘッドセットを装着していなかった。首輪は嵌めているようだが。ここは違界ではあるが、ヘッドセットの装着の必要がない場所なのだと、本当に安全な場所なのだということがわかった。
一頻り興奮した後、色羽はがらりと表情を陰らせた。紫蕗はあまり表情に変化を作らないが、この少女はそれを補うように表情を巡らせる。くるりと色を変える表情に、二人も少し心配になる。
「あの、花菜さんはどうしてますか? その……腕のこと、師匠に聞いて」
しゅんと大きな耳を下げる。彼女の陰りとは何なのかと思えば……きっと優しい子なのだろう。
「腕はお陰様で何ともないみたいだけど、気持ちが……まだちょっとな」
「そうですか……私、師匠は強いから大丈夫って言っちゃったので、こんなことになって師匠にも花菜さんにも悪かったかなって……。お兄さんが花菜さんを庇って死んじゃったんだよね?」
危うく流してしまいそうになったが、はたりと聞き捨てならない言葉に、雪哉の指先に無意識に力が籠もる。
「え……? 庇った? 地雷を踏んだとは聞いたが、庇ったって……どういうことだ? 俺があの場を見た時には花菜の腕はもうなかった。稔も……」
焦燥を含んだ声色に、色羽は見る見る青褪める。
「……ちょ、ちょっと待ってください。し、ししょー! もしかして言っちゃいけなかったですか!?」
慌てて振り返り、奥の部屋の師匠に呼び掛ける。姿は見えないが落ち着いた冷静な声が返ってきた。
「訊かれれば答えるつもりだったが、訊かれなければ言わないつもりだった」
「ごっ、ごめんなさい!」
「いい。記憶が戻ればいずれ訊かれただろうからな」
奥の部屋から顔を出すと、こちらは全く動じる様子がない。
「雪哉、こっちに来い。脳を診る」
「……後で説明、してくれるか」
「お前が望むならしてやる」
「…………」
紫蕗はフードを脱いでキャスケットを机に置き、雪哉を促して再び奥の部屋へ消えた。
ドアを閉める直前、指を差す。
「色羽。それ、食べても構わない」
キャスケットと共に置かれたサーターアンダギーの袋。
「何ですか? これ」
残されたルナに問い掛ける。
ルナも玉城家の長兄、稔の死については詳しく聞いていない。花菜と稔はそれぞれが地雷を踏んでああなったと思っていた。雪哉もそれは同じだろう。それが妹を庇って死んだとなれば話は変わってくる。これでは、ルナの母と同じではないか。花菜は自分の目の前で、自分を庇って死ぬ兄を見たということではないか。
纏まらない思考の隅で、色羽の問いに答える。
「それはドーナツみたいなお菓子で、サーターアンダギーって言うんだ」
半ば上の空の言葉。
空虚な空気を察したのか、色羽はぱんと一つ手を叩いた。何事かと、目が覚めたようにルナは目を瞬く。
「わあ、師匠ドーナツ好きなんですよー」
努めて明るく言う。
「何で穴が空いてるのか調べようとするくらい」
「……紫蕗もそういうこと気になるんだな」
「ですよー。青界は知らないことがたくさんだし。娯楽も多くて、私も行ってみたいなぁ、なんて」
ぴょこぴょこと大きな耳と尻尾を揺らす。紫蕗は目立つ髪と目を隠して青界へ行っているが、色羽のこの大きな耳と尻尾は隠しきれないだろう。カマキリの少女のように騒ぎになりかねない。
「娯楽と言えば、魔法玉っていうのはどういう原理なんだ? 娯楽とはちょっと違うかもしれないけど、色々できるみたいだし」
「魔法玉?」
ふと黒葉が持っていた黒い玉のことを思い出したので言ってみたのだが、色羽は知らないのだろうか。黒葉によると人伝ではあるがあれは紫蕗の作った物とのことだった。あの玉のおかげでイタリアの一件では死なずに済んだ。その制作者に会えたのだ、礼の一つでも言いたい。
「思考を読み取って何でも起こせるっていう玉だよ。友達の黒葉が持ってたんだけど、紫蕗が作ったんだよな?」
「!」
くるりと色羽の目の色が変わる。呆然としたような、心が何処か別の所へ行ってしまったような、その目はルナを見ていない。
「兄さんを知ってるの?」
「……え?」
言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
「に……に、うわああああああん!」
「え? え!?」
突然泣き出した。何故泣き出したのか見当がつかず、「兄さん?」と狼狽えるしかできない。泣かせるようなことを言った覚えも何かした覚えもない。だが自覚がないならそれはそれで問題だ。
「わああああん!」
「え、何で……え? どうしよう……」
一向に泣き止む気配がない。こういう時どうすれば良いのか、慰めようにも原因がわからない。
「わああ――――」
「煩い!」
助け船ではないが、場の空気を裂くように勢いよく音を立てて奥のドアが開け放たれた。背後の雪哉を一瞥した後、忙しなく色羽へ視線を向ける。
「雪哉、そのまま暫くおとなしくしていろ。――色羽! 大声を上げるな。何事だ、青羽ルナ。泣かせるな」
「だっ、し、ししょお……」
「まず泣き止め。話せる状態にしろ」
「はいぃ……」
一喝で鎮めた紫蕗に感心しつつも、睨まれたルナは肩を縮める。
「おい、どういうことだこれは」
当然矛先はこっちだよな、とルナは気まずい。
「……紫蕗が作ったっていう魔法玉の話をしてて……」
「魔法玉?」
「え? 紫蕗が作ったんじゃ……?」
これでは話が違うではないか。紫蕗が作った物ではないのだとすれば、あれは一体何なのだ?
紫蕗も暫し黙考する。
やがて何かに思い当たったようで、表情が険しくなっていく。
「それは俺が作った物じゃない……それは俺の師が作った物だ」
「師……? 紫蕗の師匠?」
一人で何でもできそうな紫蕗にも師匠がいるのかと驚愕するが、彼も最初から何でも作ることができたわけではないと当然のことに気づく。
「誰がそんな物を持ってたんだ」
「黒葉っていう友達だけど……それのおかげで俺達は助かったんだ! 責めないでほしい……」
「……成程。責めてるわけじゃない。あいつの作った玩具が役に立ったのなら、責める必要はない。――黒葉、か。合点が行った」
「黒葉を知ってるのか?」
「知らないが、黒葉は、色羽の兄の名だ」
「! 妹……?」
泣き止もうと必死な色羽に目を遣る。黒葉とはあまり……似ていないように思う。そもそも畸形の妹がいるとは聞いた覚えがなかった。アンジェならもしかしたら何か知っているだろうか。
「色羽、話せるか?」
「うう……もう少し……」
「まあいい。友人と言うなら少しだけ話してやる」
「うん……頼む……」
理解が追い着かない。説明してくれるなら誰でもいい。だが、もし黒葉が意図的に黙っているのだとすれば、聞いて良いものか躊躇いはある。
紫蕗は一つ息を吐き、話し始めた。
「俺が色羽と出会った時、色羽は後天性の畸形を発症した直後だった。頭から新しい耳が生えたことにより人間の耳が形骸化、ヘッドセットが装着できなくなっていた。そのまま放っておけばすぐに死ぬからな、ここに連れてきた」
ヘッドセットを装着していないのは、装着できないからだったようだ。髪に隠れて人間の耳は見えないが、その下に機能を失い形骸化した耳があるのだと思うと、人の形はしているが異質なものなのだと思い知らされる。
「俺と出会う前、まだ畸形を発症していなかった頃、俺ではない別の技師に拾われていたらしい。色羽を拾った技師に黒葉も拾われている。二人に血の繋がりはないが、兄妹のように育ったそうだ。技師は転送装置を造り二人を安全な青界に転送させようとしたが、それを狙って奇襲を受け、色羽は咄嗟に黒葉を装置に放り込んだ。後から色羽も行くはずだったが、装置は壊された。技師は新たな装置を造ろうとしたが、不運が重なり技師は殺され、その頃に色羽は畸形を発症した」
ルナはこくりと慎重に相槌を打つ。妹が畸形を発症したことを、黒葉は知らない。
「色羽はできることなら青界の兄に会いに行きたいと思っているが、畸形を発症しそれが叶わなくなった。兄の安否も知らないままでな」
「そうだったのか……」
黒葉のことを思い出し、違界に戻ろうとしている理由はこれだと悟る。
「畸形は青界では目立ちすぎる」
色羽が畸形になってしまったことを知れば、黒葉は何と言うだろう。
「……でもっ!」
話し終えた紫蕗の傍らから、涙を拭って色羽は笑顔を作った。
「兄さんが青界で生きてるってわかって、良かった!」
色羽はルナの手を握り、何度も礼を言った。ただ黒葉の名前を出しただけでここまで感謝されるとは思いもしなかった。
「転送には危険が伴うものだ。肉体が全て転送されないケースもある。騒動の中での転送は色羽には懸念しかなかった。転送装置を妄りに消費することは避けたいが、この場合はお前をここに連れてきて良かったと言うべきか」
色羽から話を聞き、紫蕗も何も言わないなりに心配はしていたのだろう。紫蕗が度々青界を訪れるのも、もしかしたら色羽の兄を捜していたのかもしれない。――いやそれは買い被りか。
「黒葉もここに連れてこれないか? 今イタリアにいるんだけど……そうしたら会えるよ」
「俺はタクシーじゃない」
冷たく踵を返す。色羽も少し困ったように目を伏せた。
「会いたいけど……こんな姿、見せられないよ」
目立つ耳と尻尾を振り、隠そうとするように椅子を盾にする。紫蕗が冷たく遇うのは装置の使用についてではなく色羽を気遣ってのものだ。
元々は普通の人間の姿だったのに、ある日突然変貌してしまう。それは違界人なら誰でも起こり得ることであり、防ぐ手立てもない。抗う術のない脅威。
「紫蕗なら畸形を治すって言うか……取り除くことはできないのか?」
思いついたことを口にする。天才と呼ばれる彼なら何か手を持っているのではないかと。
「畸形はただ別生物の特徴が生えてるだけじゃない。性質の変異だ。形を切り落とすことは可能だが、お前は自分に生えている耳を切り落としたいと思うのか?」
「っ……!」
思わず自分の耳を押さえる。色羽の人間の耳は形骸化したと言っていた。それは例え頭に生えた大きな耳を切除しても機能は失われたままということ。
紫蕗は止まった足を再び動かす。畸形をどうにかできるなら、疾っくにやっていることだろう……。
色羽のことはそれ以上はそっとしておき、ルナも紫蕗を追って奥の部屋の様子を覗く。それ以上は何も言葉が出なかったと言うべきか。
小さな部屋の中には、夥しい小さな画面と文字の羅列が宙に浮かび、その下のベッドで雪哉が頭にヘッドセットを装着され横になっていた。ルナには読めない文字は、違界言語だ。次々と吐き出されていた画面がぴたりと止むと、紫蕗は眼帯を外し、ぐるりと目を通す。紅い目を隠すためとは言え片眼の視界を奪って生活することは苦労も多いことだろう。
「……これか」
邪魔な画面を手で払い除け、目をつけた画面に目を通す。
「城で何かされたな?」
「何か? 怪我の治療……と言うか、手術はされたが」
なるべく頭は動かさず、雪哉は目だけを紫蕗に向ける。重傷を負い内臓を移植されたことを話した。
「治癒力を高めたことで、精神的な傷にも蓋をしてしまったようだ。喪失した記憶を何かの拍子に思い出さないように絡まってしまっている。記憶を喪失してなければこういう事態は起こらないんだが……装置の判断ミスだな。記憶はそれぞれ分けられるものじゃない。全て一繋ぎに繋がっている。一箇所だけに蓋をしようとしても、その周囲を巻き込んでしまうものだ」
「じゃあ、その蓋を取れば、記憶は戻るのか?」
「蓋を取ると通常の記憶喪失の状態に戻る。そこから思い出していくはずだ」
休まず目と指を動かし、止まることなく操作を行う。何をしているのかは雪哉とルナにはさっぱりわからなかったが、紫蕗に任せておけば大丈夫だという信頼感が、出会ってそれほど経っていないが確かに存在していた。
「脳に与えられた治癒力強化の命令が生き続けているが、もう完治しているから解除する。随分と長い時間脳に負担を掛けたな。暫く疲労が出るかもしれないが、休めば回復する」
「蓋もそれで取れるのか?」
「ああ。無理矢理記憶を戻すことも可能だが、自然に戻そう。また脳に負担を掛けることになるからな。何かきっかけがあれば戻るだろ」
最後の操作を終え、雪哉に装着したヘッドセットを弄り、散乱した画面が次々と消えてゆく。
「ありがとな」
ヘッドセットの電源を切って外し、身を起こすと、少し頭がふらついた。
「今行ったことは記憶を覗くものじゃない。城の話は落ち着いた後で聞かせてもらう」
「ああ……そうしてもらえると助かる」
疲労が出るかもしれないとは言ったが、想像よりじわじわと頭が重い。軽く酸欠になったような。
「そのまま休んでいろ。何かあれば色羽に言え」
「……お前は?」
「俺のことをタクシーだと勘違いしてるこいつに転送装置の貴重さを教えに行く」
「え? 俺?」
二人の遣り取りを少し離れて神妙に見守っていたルナは、突然の指名に思わず後ろを振り返る。が誰もいなかった。
「別にタクシーだとは……」
「何か面白そうだな」
「お前はおとなしく寝ていろ」
再び身を起こそうとする雪哉の額を思い切り手で突いてベッドに沈ませた。相手が誰でも容赦ないなぁとルナは思う。
子供とは思えない力でルナの腕を掴み、紫蕗は部屋を出る。雪哉は少し名残惜しそうだが、脳は正直なようで、そのまま起き上がりはしなかった。
「色羽、雪哉を頼む」
「あ、はい! 師匠!」
椅子に座っておとなしく待っていた色羽は、呼び掛けられてすぐに立ち上がる。表情にはもう陰りはなくなっていた。
「ハーブティーは色々な効果があると聞きます! 淹れてあげるね、雪哉さん」
自分のやることは今はこれなのだと、色羽は湯を沸かし始める。色羽にとって黒葉は大切な兄だが、会えなくとも安否さえわかればそれで良いと思った。黒葉にも色羽が無事だと伝われば良いと思ったが、畸形になってしまったことは黙っていてもらおう。嫌な心配はさせたくない。大切な兄だから。
小屋を出る紫蕗とルナの背を見送り、戸棚から茶葉の缶を引っ張り出す。
(師匠も何だか楽しそう。師匠の作った義足を直したって聞いたけど、師匠の作った物に手を出した人なんて今まで聞いたことないし、気になるのかな)
師匠とは呼んでいるが、色羽は紫蕗の弟子というわけではない。ただの世話係であり、紫蕗の留守を預かるただの留守番だ。紫蕗の弟子になりたいと言う者はいるが、実際に弟子はいない。彼は弟子を作らない。
外に出たということは、きっとアレを見に行ったのだろう。今までアレを誰かに見せたことはなかった。紫蕗にもわからないものを、他の誰がわかると言うのか。それでも初めて、可能性を見出せたのだとしたら、紫蕗の心が軽くなるのなら、色羽にとってそれはとても喜ばしいことだ。




