翌日
翌日になって、逢佳はいつも通りに学校へと行った。夜眠った段階で休む、という選択肢は無かった。突然休んだらかえって不自然だろうと思ったからだ。何より、電脳世界に行かなければ湊と会うことが出来ない。
心配だったのは、メルカと遭遇した時の対応だ。学校なら手を出せないだろう、もしも何かがあった時は――という心配は無用となった。メルカが学校を休んだのだ。
理由は、現実世界で身内に不幸があったから。
――そういうことになってるらしいわ。
それが嘘だ、と分かる人間は教室に逢佳しかいなかった。
湊は学校に来ていなかった。
逢佳にはどうでもいいことだったが、なぜか和馬も学校を休んでいた。これはいつものことだった。和馬は定期的に学校をサボるのだ。
壊れた液晶じみた夜空が雨を降らしていた。天候の設定は緯電脳によって設定が違う。電脳側で制御している場合があれば、現実世界と同期させている場合もある。茨城緯電脳は現実世界の天気と同期していた。
逢佳は鬱屈とした気持ちで、一時間目前の教室にいた。何も起こらず、何も出来ない時間。たまらなく不快だった。
窓際の席を見ても、湊の姿は無い。談笑するカズマの姿も――
「……一日くらい、いいでしょう」
学校がひどくつまらなく感じて、逢佳は学校をさぼることにした。不自然な行為だとは分かっていたが、倦怠感に耐え切れなかった。
荷物をまとめ、ふらふらと教室から出て行く。クラスメイトの怪訝な視線は大した問題ではなかった。
「問題なのは、どこで何をするか決めてないってことよ……」
レインコートを着込む。学校敷地内ではホームルームに間に合わなかった遅刻確定生徒がまばらに歩いていた。逢佳は、彼らと逆方向に向かって歩く。
外に出たところで気分が晴れると言うわけではなかった。むしろ湿気と、レインコート特有の不快感で気分が鬱屈を加速させていく。
校門を通過しようとして、
「あ、いたいた。おーい、せんぱーい」
「最初に、どうしてあなたここにいるか聞いてもいいかしら?」
多々良が居た。門の上に座り、ぶらぶらと足を揺らしていた。傘もささず、濡れっぱなしだ。さながら野良猫の様だった。
「いやあ、登校中の先輩を捕まえられればって思ったんすけど。まさか学校から出てくるなんて。想定外っす」
「ホームルームはとっくに終わって、一時間目の直前よ」
「サボりっすか? あ、ちなみに夢泉は今日から学校再開ですけど、もちろん多々良はサボるっす」
校門から飛び降り、逢佳の前に立つ。
「それじゃあ、そろそろ行くっす」
「どこへ?」
「多々良の秘密基地に。先輩の様子、気になるっすよね?」
多々良の言う『先輩』が指しているものが逢佳のことではなく、湊のことであるのはすぐに理解できた。
逢佳の記憶が、カットイン映像の様にリフレインする。湊、銃声、メルカ……と。
「当然よ、学校なんて行ってる場合じゃないわ」
「優等生っぽいのにそういう決断が早い先輩、多々良は嫌いじゃないっすよ」
「彼は無事なの?」
「モチっすロンっす」
悪戯好きの野良猫の様に笑った。
「多々良は学校を休んでまでも仕事をする、奉仕者の鏡っすよ。仕事は完璧に、サービスは特別なものを。お得意様には融通を……っす」
◇ ◇ ◇
多々良に連れられて、逢佳は自由層に移動した。
プラットフォームから少し離れた場所、途中からバスがなくなるので歩いて行くしかない。そこは街灯がほとんど存在せず――つまり人の往来が滅多に無い危険な場所だった。逢佳もこの場所のことは知っていた。悪い意味でだ。
――ここは、大人達が口をすっぱくして「行くな」と言う場所。
道路は劣化してひびだらけ、隆起したコンクリートが足を奪う。狂った様に成長した竹が鬱蒼と夜空を被い、月明かりすら届かない。ましてや、雨など届くはずは無い。逢佳は既にレインコートを脱いでいた。ふとして振り返っても闇が続くばかり。電脳世界に野生動物などいないが、時折聞こえる梟の鳴き声はあまりに自然で、この地域に田舎らしさを演出するために設定された効果音だと大抵の人間は気がつかない。錆びた鉄の鳥居は、ここは異界だと警告するために設置されている様に見えた。
イザナミゴシックなどとあだ名されるここは、田舎町を電脳世界に再現しようという逆都市開発が失敗し、その末に打ち捨てられた亡霊の街だ。
人が住んでいる、と言う話は噂話程度に信憑性が無く、逢佳も多々良がこんな場所にセーフハウスを設置しているなど思っていなかった。
その事を逢佳が伝えると、
「人? 居るにはいるっすよ? でも何て言えばいいっすかね……自然に埋もれた九龍城なんすよ、ここは。確かに人が居て、コミュニティがあって、商売すらも成立している。でも、顔を合わせることは無い。みんな隠れてしまって――SNS的なんすよね。たまーに多々良も出前とるんすけど、配達員の顔すら見たことないっす」
折れたパイプ――道路標識だったものに躓きそうになる。
「いつになったら整備されるのかしら……」
「いやあ、放置じゃないっすか? 交通アクセスは悪くて、あちこちのオブジェクトはバグだらけ、空間のエラーの数は手をつけられないほどの数。そもそも雰囲気が最悪。ここを立て直すより、新しく街を開発した方が明らかに安上がりっすよ」
「郷愁によって作られかかった夢の跡、ね。私にはおとぎの森にしか見えないわ。魔女でも出てくるんじゃないかしら」
「あちらが茨城緯電脳が誇る霊峰、鶺鴒山でございまーっす! ……冗談っす。ま、引きこもるにはちょうどいい場所っすよ。あ、ストップ。ここが私の秘密基地っすよ」
そう行って多々良が指を指したのは、長い階段だった。急勾配で一段が高い。階段の先はやはり暗がりに吸い込まれ、全く見えなかった。
「……こういうの知ってるわ。神社とかお寺によくあるやつよ」
これを上ると考えて、逢佳は気が遠くなってきた。しかし、多々良の指示は、逢佳の予想と異なるもの。
「いいっすか? まずは五段上って、次に二段下がる。そしてら三段上がって、六段下がる。終わったら、そのまま百八十度回転して後ろを向くっす」
「待って、どういうこと?」
「いいからやるっす」
言われたとおり、逢佳は階段を上った。
――まずは五段上る、次に二段下がる。そしたら三段上がって、六段下に……
「って、これどういうことよ。最初の場所に戻るだけじゃない」
多々良に文句を言おうと振り向いて、そこに多々良は居なかった。代わりに、景色が丸ごと変わっていた。
「……えっ?」
戸惑い、周囲を見渡す。小さな拝殿、古びた石鳥居、下り階段……。階段を上り終えているという事実に達するまで数秒の時間を要した。
「ワープでもしたのかしら?」
「あ、大体正解。正確にはショートカット。特定の座標と座標を繋いで、物体の転送をする技術っすね。階段の上り下りをしてもらったのはショートカットを起動するためのキーアクションで、まあパスワードみたいなモノっす」
同様に多々良がショートカットして来た。
「イザナミゴシックは空間のエラーだらけ、あの階段は普通に上ろうとすると中盤あたりで最初の段に飛ばされるんすよ。座標情報が狂ってるんすねえ。ま、逆に自然の防壁として利用させてもらってるっす」
「最初に教えてほしかったのだけど」
「いやあ? 先輩の驚く顔が見たくて?」
「私は彼の顔が早く見たいわ」
「心配性っすか?」
「心配性よ。あなたが思ってるより、ずっと」
「うへえ」
大げさに仰け反った。
「何よ」
「なんでもないっす。じゃ、多々良の秘密基地にごあんなーい」
拝殿の扉を開けた。
「……うへえ」
「なんすか?」
天網恢恢の大穴にして天罰覿面を恐れぬ暴挙が広がっていた。
壁一面に張り巡らされた配線は天上一面に広がり、壁には病的に敷き詰められた大量のモニターが、明らかに目に悪影響を及ぼしそうなグリーンディスプレイ風のスクリーンセイバーを垂れ流していた。中央には薄っぺらの座布団が一枚。周囲には多種多様な言語のキーボードが何枚も用意されていた。作業テーブルには怪しげな機械が、なぜか赤い染みのついたスパナが……
「神様は出て行ったのかしら?」
「拝殿に神様はいないっす。本殿に居るかも怪しいっすけど」
「気持ち的な話よ」
「神様の気分にはなれるっすよ。モニター全てに自由層中の監視カメラの映像を写せば」
「彼は?」
「そこで寝て……あれ?」
拝殿の隅、ガラクタや菓子のゴミが山の様に押しやられていた。そうして作られたスペースに布団が敷かれ、ていた。その脇の小皿には弾丸――湊から摘出したものだった。
しかし、肝心の湊がいなかった。
「あれー……おっかしーな、ここで眠ってたはずなんすけど……」
疑問符を浮かべながら、布団を調べる。逢佳も同様に調べて、
「……これ、何?」
大きな赤い斑点――破損データが染み付いた包帯を見つけた。
「あ、それ先輩に巻いてたやつっすね」
怪我の具合を知っている多々良はあっけらかんと言った。湊の傷は修復剤の影響で既に塞がっていて、不要だからと多々良が外したのだ。
しかし逢佳はその事を知らない。特に、破損データの色が『赤』であることが問題だった。それは現実世界の『血』を嫌でも連想させ、現実からの接続者である逢佳の不安を煽った。
「ちょ、どうしたんすか? 六骸礼装なんて!」
「私の『陽性狂人駆動』は筋力強化に目が行きがちだけど、感覚機能も強化されるわ」
「うっわ名前なっが! ……じゃなくて! それが一体なんなんすか!」
「つまり、彼の気配を探知することができる……!」
「先輩、ストーカーの経験は?」
「男子を三回、女子を十五回」
「え」
「撃退したわ」
「……ああそうっすか」
「いきなり何?」
「いや、悪いことに使えそうだなって思っただけっすよ……」
多々良が何を言おうとしてるのか察したが、あえて口にはしなかった。
「……静かに」
感覚を研ぎ澄ませる。聴覚、嗅覚、視覚……周囲の状況を検知し場所を推理した。
「そんなことしなくても、先輩は多分あそこっすよ。ライトがついてるし」
多々良がそう指摘し、逢佳の努力は一瞬で無駄になった。多々良の指差したそこは、後から拡張したスペースのようで、不自然に新しい扉がついていた。
「そう、ありがと」
六骸情報を解除し、誤魔化すように髪をかき上げる。その部屋に向かって歩き出した。
「ちょ、先輩待って! その部屋は……!」
多々良は止めようとするが、遅かった。逢佳がドアを開ける。確かにその部屋には湊がいた。
全裸で。
「……」
「……」
「そこ、バスルームっす……」
「きゃあああああああああああああああああああ!」
「ああぁあああああああああああああ!?」
ダウナー気味の二人が、久方ぶりにあげた悲鳴だった。
◇ ◇ ◇
湊はシャワーから上がり、有蘭学園制服に着替えた。三人は今床に座り、多々良の出した『MAZAI』と呼ばれるブランドのエナジードリンクを飲んでいる。逢佳は拒否した。
「傷が完全に塞がってるようでよかったわ」
「ああ、もう問題ないさ。体内の弾丸も、多々良が摘出したし」
「リハビリは?」
「いらない、すぐに動ける」
「分かったわ。じゃあ現状確認だけど……」
「つい数分前に風呂を除いた女と、覗かれた男の会話とは思えないくらい落ち着いてるっすね……ひぃっ!」
逢佳がその美貌が台無しになるくらいに目を歪めて睨んだ。
「その話を蒸し返さないでくれ……」
苦虫を噛み潰したように言った。
「――いいえ、蒸し返すことにしたわ」
そう言ったのは逢佳だ。「は?」と湊が反射的な反応をする。
「よく考えたらさっきの状況おかしいのよ」
「別におかしくなんか……」
「ここ、斑目さんのセーフハウスでしょう? 女性の部屋でしょう? あなたどうして勝手にシャワー使ってるの?」
「……は?」
湊は一瞬、『思考』という動作のために電脳体の全リソースを割いた。零点数秒の思考の末、逢佳の言いたいことを理解する。
「説明しなきゃ駄目か? 駄目だろうな……」
「当、然、だわ」
「それ、先輩が気にすることなんすか?」
多々良が会話に割り込んだ。「にへえ」という邪悪な笑みを伴って。
「多々良とぉ、先輩わぁー特別な関係でぇーもう家族同然っていうかぁー」
「そう」
「おいやめろ気持ち悪い」
「だからぁ、多々良わぁ先輩ならいつでも大歓迎っていぅかぁー」
「へえ」
「だから」
「なんていぅかぁ、多々良の部屋に先輩が来てもぉー『来訪』っていうか『帰宅』っていう感じすねちょっと愛染先輩なにやってるんすか多々良が殴られる言われはないっすこういう時って普通男が殴らるものじゃセンパーイ! 助けてー!」
修羅の様相を呈する逢佳を見た多々良が、涙ながらに助けを求める。自業自得だ、と湊は無視を決め込もうとしていたが、逢佳が六骸情報を起動したあたりで止めに入ることにした。
「多々良は妹だよ」
「……えっ?」
渾身のパンチを多々良数ミリ前で止めた。
「妹」
「誰の?」
「俺の」
「年齢差は?」
「一ヶ月」
「多々良は十月産まれで、先輩は九月産まれっす」
「……妹?」
「気持ちは分かる。俺だって最初は理解できなかったさ。俺と多々良は異母兄妹だよ」
「――――」
逢佳は力が抜け、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
「待って、えっと、じゃあ、つまり、その。同じ年に、同じ父親の子供が、別の母親から産まれたってこと?」
湊も多々良も、肯定するように首を縦に振った。
「事が判明したのは、俺と多々良が現実世界のことを話してた時。親の悪かったところを散々言い合ってたのさ。ところが、父親についての仔細が妙に一致して、一つ一つ要素を照らし合わせたら……」
「同じ父親としか思えなかったんすよね。さすがの多々良でも、その日ばかりはショックで寝込んだっすよ」
にはははははと多々良が笑った。
「じゃあ、どうして『先輩』なんて呼んでるのよ……」
「せっかく留年したのに、この状況を楽しまないなんてもったいないじゃないっすか」
「事実は小説よりなんとやらだわ……」
「もういいだろ。ストップだストップ。多々良、俺達にはやるべきことがある」
「そうっすねー」
多々良がぱちん、と指を鳴らした。すると、敷き詰められたモニターのスクリーンセイバーが解除される。代わりに映し出されたのは、電脳世界中の景色――監視カメラを通した、今現在の街の様子だった。
「東上メルカ追撃作戦、始めるっすよ」
雰囲気が変わる。今ここにいるのは高校生ではなく、三人のハッカーだ。
「今日、学校に登場先生は?」
「来てないわ。あと私達のクラスで休んだのは香川くん」
「和馬はまあ良くあることだとして、東上先生はやっぱり休んだか。多々良、監視カメラに東上先生は?」
「録画データを軽く検索してみるっすけど、まあ望み薄っすね。先輩達ならわかると思うっすけど、大体のハッカーは公共ネットワークに自分が検知されないようにダミーを流してるっすからね」
「だろうな」
無意味に天上を見つめた。
「東上先生は唯一の手がかりよ、なんとしても所在を明らかにしたいけど……」
「現実世界に引きこもってる?」
「それはあまり考えたくない想定だわ」
「十分にありえるっすけどね……そうなると、電脳移住者である多々良と先輩じゃ手を出せないっす」
多々良が新しいエナジードリンクの缶を開け、
「――そういえば先輩、昨日侵入者にどうして気付かなかったんすか? あのセーフハウスは警報が設置されてるはずっすよね?」
そういえば、と湊。
「反応がなかった」
「んなアホな。っす」
「まあ何があるか分からないって言ってしまえばお終いだが、そう簡単に破られるようにつくったつもりは無い」
そう言って、湊は視界の仮想ウィンドウにセーフハウスのシステムログを表示した。
「……やっぱり昨日反応した記録は無いか。改めて考えると不自然だな。東上先生はどうやって侵入した?」
「現実から接続する時、あの地点を指定することは?」
それに対しては逢佳が答える。
「不可能よ。現実から接続したときに出現する地点は決まってるの。あそこは廃校よ、公式には人の出入りが禁止されてる場所。接続地点としては指定できないわ。……って言うと、東上先生がどうやって侵入したかもっとわからなくなるわ」
溜息を一つ。
「……もしかして東上先生、元々中にいたんじゃないか?」
「ちょっと何を言ってるかわからないっすね……」
「警報を回避するならそれしかない。あるだろ、直接内部に侵入する方法が」
「……ショートカット?」
逢佳の言葉を多々良は秒で否定した。
「いやいやいや。どうしてそういう発想に至ったかはわかるっすよ? たしかに多々良はこの秘密基地にショートカットを設置してるっす。でもあれはこの空間がエラーにまみれてるから出来たこと。教育層は空間がちゃんとチェックされてるはず、ショートカットプログラムを割り込ませるなんてできないっすよ」




